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[老後とピアノ]稲垣えみ子(2022,1,17)ポプラ社. 221p. ☆☆☆

3段階の評価をつけます。
☆☆☆:読む価値あり
☆☆☆:暇なら読んでも損はない
☆:無理して読む必要なし


50歳で会社を退職した著者が、40年ぶりにピアノ演奏に挑戦した奮戦記です。
古稀を過ぎた私は、動かない指、続かない息など様々の困難に手こずりながらフルートに挑戦していることもあり、思わず飛びついてしまった本です。

 誰かに認められたいどころか誰かに聴いてもらうつもりもなく、毎日フルートを練習しています。
先生につくこともなく、インターネットだけをたよりに吹いています。
「何のためにフルートの練習をしているの?」妻から追及されてドッキリ。

この本の中の次の文章、チョット哲学的な感じもして、妻への応えとして思わず納得してしまいました。
『練習とは「自分を掘り起こすこと」だったのだ。硬く自分を覆っていたコンクリート、つまりは見栄とか、世間体とか、こうじゃなきゃいけないという思い込みとか、そういう硬い覆いを柔らかく掘り起こし、その下に眠っていた一見平凡な、でも世界に一つしかない「石コロ」を取り出す作業が「練習」だったんじゃないだろうか?』
『音楽とはそもそも、できるとか上手いとかいうこと以前に、浮世に振り回され硬く縮こまっていた人の心をワイルドに解き放ってくれるものなんじゃないかと思ったりしたのです。』

そうなんです。そして、結論!
『肝心なのは結果じゃない。自分をとことん使い果たして生きて、死んでいくこと。それでいいのだ。そのことをピアノ(私にとってはフルート)が教えてくれているんじゃないだろうか。』
これはまさに仏様のお言葉ですね。
著者は私より10数歳若いのです。
私はこの著者よりもはるかに人生の終点に近いので、このお言葉はズシンと気持ちに響いたのでした。

エピローグによると、著者がピアノを始めた切っ掛けは雑誌「ショパン」発行の出版社の91歳老会長との偶然の出会いだった。すばらしい先生も紹介してもらった。ある意味ではめぐまれた状況にあったとも言えます。
私達のような一般の老人には、こんな奇跡的な機会はほとんど訪れないと思いますが、小さな出会いだったらそこら中に沢山ころがっているのではないでしょうか?
そんな中には、珠玉の出会いがあるかも・・・

高齢者、後期高齢者となって音楽に挑戦したいと思っている方、あるいは自分の老後の精神生活を心配している壮年者にもお勧めの一冊です。
きっと元気をいただけると思います。

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