きたないことば

初めて「死ね」と書き殴った小学生三年生の夜、ひとつ大人に近づいた。「きもい」と口に出した小学五年生の放課後、もうひとつ大人に近づいた。高校時代、早朝の満員電車に揺られながら、頭の中できたないことばたちを繰り返し唱えた。大人になる1歩手前にいた。大学二年生の冬、両親に向かって汚い言葉を吐いた。大人になったと思った。

幼少期、テレビに出ている大人は、私と違う言葉を話した。大きな口をした司会者が、間抜けな顔をしたお笑い芸人に「アホ」と叫ぶ。雛人形のモブみたいな大人たちが、大袈裟に笑う。何が面白いのか分からなかったけど、父と母が笑うから真似をして笑った。笑いを途絶えさせるのは怖いことだから。
テレビの中では笑いの中心にあるきたないことば。家では飛び交うことの無いきたないことば。大人だけが使うことを許される、きたないことば。
人を呼び捨てすることも、「バカ」も「アホ」もきたないのだと先生や母が言うから、しなかったし言わなかった。私の世界はきれいなものだけでよかったのだ。UFOキャッチャーで祖母と一緒にとったキラキラ光る宝石と、膨れ上がったシール帳と、虹色のハートで彩られたプロフィール帳が、世界の全てだった。きたないものなど何一つなかった。

14歳で恋人を作った私に、母は息をするようにきたないことばを吐いた。なんだかよく覚えていないけれど、テレビみたいに笑えるような響きではなかったことを覚えている。きっと、私のことや恋人のことを汚いと言った。あなたの吐く言葉の方が余程汚いのに、と思った。その頃から、散々禁止されてきたきたないことばが、徐々に解禁され始めた。
父を「きもい」と言いながら、クラスメイトを「うざい」と言いながら、笑うようになった。
恋人とは、別れることにした。母によってきたないことばで定義されたその人が、本当に汚い人間のように思えたから。
自分から人を好きになることができなくなった。他の人の言葉で簡単に「きたない」と思えてしまうのなら、私の感じる好きは全部嘘だった。

いつの間にか、キラキラ光る宝石も、膨れ上がったシール帳も、ハートのプロフィール帳も、おもちゃ箱から消えていた。きれいなもので満ちた世界が崩壊したことに気が付かないほど、きたない生活に馴染んでいた。私自身もきたないのだから、妥当な暮らし方なのだと思った。別れた恋人を、母と同じ汚い言葉で形容した。「バカ」で「アホ」で「常識外れ」だと、面白おかしく人に話した。人は、「別れて正解だよ」と笑った。私は、テレビの中の人間と同じになった。

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