雨が止んだら -宿題-
イヤホンを付けて再生ボタンを押す。
耳には心地よい音楽が流れる。
普段は雨衣も好きな歌手の曲ばかりを聴いているのだが、宿題のときの選曲は違う。どちらかと言えば、クラシックに分類されるだろう。
とある人の作った音色が私を包み込み、心に染み渡る。
私がこの人の曲を知ったのは、実は訃報を見てからだった。生前に彼がどんな曲を作っていたか、何となく気になってユーチューブで適当に探して聴いてみた。
その時は本当にただの好奇心からだった。何の気なしに動画の再生ボタンを押す。
「え……」
その音色の洗練さと綺麗さに驚いて、私は一時停止ボタンを押した。勝手に涙も流れてきていた。
私にとっては、それほど衝撃的な音色だった。ピアノやクラシックと関わりのない人生を送ってきた手前、こんな音楽に触れるのは初めてで尚更驚いた。ピアノと弦楽器だけの音楽なんて、所詮眠くなるような退屈なものだと思い込んでいた。
でも、その人の音楽だけは違った。
在り来たりな表現だが、どこか儚くて、切なくて。まるで楽器が歌っているような音色がそこにはあった。まるでその人の言葉をそのまま楽器が唄っているような。
「こんな綺麗な音、作れる人がいるんだ。」
そう思ったのを今でも覚えている。
彼は歳を追うごとにその音色はシンプルになっていった。デビューしたてのころはシンセサイザー等、近代楽器を使った音楽を好んで作っていたようだが、晩年にはピアノと弦楽器、そして環境音な曲が増えてきた。
彼は段々と自然の中へと溶けて消えてしまったのだと思った。それに到達したから、この世に染み渡りその姿を消したのだろう。
死因は癌とされているが、私は自然の摂理に則って彼はその生涯を真っ当したのだと思った。
生前に彼は独特な言い回しで音楽について語っていて、「皆さんは文章で日記を書くでしょう?私はそれを音で書いていただけです。」と言葉を残していて、とても格好良いと思った。私もこの世から消えてしまった後でも、この世に名前を残せる存在になりたいと思った。
それは一人でも構わない。映画やドラマとまではいかないが、その人が覚えている限り、私はその人の元へ何度でも帰りたい。そんなことすら思える音楽を彼はこの世に遺していった。
そんな彼の曲を今ではほぼお決まりと言っていいほど、宿題する際のお供として聴いている。
この日もまた然り。
時刻は午後二時半頃、お昼ご飯を食べ終えてちょうど良いくらい、そしてクーラーの利いた部屋に、心地良い音楽。
しかし、宿題をするには最悪の組み合わせだった、油断した。
目を開けると、午後四時すぎ。晩夏の空は少しだけ夕焼け空になっていた。お母さんが帰ってくる前に宿題を終わらせて、家事を手伝う約束だったのに。帰ってくるまであと一時間も無い。
「あー、やってしまった。」
どうしていいか分からずにとりあえずで呟いた。夜にやればいいじゃんとも思ったが、自分のプライドがそれを許さなかった。
私は頑固だと、雨衣にもよく言われる。
とりあえずやれるとこまでやろう、話はそれからだ。
宿題に集中する、科目は国語。
今回の宿題は教科書に書かれている短編小説に関する問題だった。
それを解くのに集中する為、先ほどの音楽を一旦消した。
部屋の中に静寂が訪れ、聞こえてくるのは小鳥の囀りだけになった。
そして今度は視界で捉える文字だけが体に染み込んでくる。
一瞬にして部屋は私だけの世界になる。
私と作者との二人だけで対話できる世界。
「そうか、なるほど……。」
おそらく独り言を言っていた。
でもそんなことお構い無しに文を読み進めていく。
実は、私は文を読むのが苦手だ。正確には、読み解くのが苦手と言えば良いだろうか。
よく問題に出てくる、
「この文章を読んで、作者の気持ちを書きなさい。」というのが大の苦手で。というのも、人の気持ちを考えすぎてしまう私の性格上、「そんなもの分かるはずがないじゃないか。本当の作者の意図なんて完璧に分かる人間は本人以外に居ない。」そんな考えを持っていた為、その問に対して私は毎回空欄で提出していた。
先生に授業中に問われたとて「わかりません。」で貫き通した。
誰もそれを理解してはくれなかった。それは雨衣ですら。
そんな弄れたことを考え続けていた時、ある人が言った。
「あれは問題の出し方が悪いのだよ、本当は『この文章が書かれた意図は何なのか考察しなさい』というのが正しいと私は思う。」
……なるほど、と納得した。考察なら私も少しくらいはできる。
この文章を書いた意図か。作者の気持ちでは無かったのだ。要するに「ここは伏線だからよく読んでいてほしい」とか「このキャラクター像を明確にする為に必要な文章」など、そういうことだ。
おそらく教科書や問題文で「意図」と言っても小学生や中学生にはまだ馴染みのない言葉のため、「気持ち」というものに問題文が変換されてしまったのであろう。
その人の話を聞いて以来、私はその問題を解くことができた。先生にも褒めて貰えるほどの解答もできるようになった。
気づけばお母さんは既に帰ってきていたが、私が宿題に集中していることに気づいていたのだろう。そっとしておいてくれていた。
――音楽、文学、絵画。
それはどれをとっても本人にしか分からない意図が存在すると思う。きっとその人の人生を、生き様を表すものだ。言葉の代わりに残せる何か。
今回の日記はそれをテーマにしよう。少し長くなってしまうが、思いついたので書かずにはいられない。
題名は「私の生き様」
それは、私を覚えていてくれる様にするため。読んでくれる人が、私を忘れないように。その人生が巡るとしても、私が何度でも貴方の元へ帰れるように。
雨が止んだら -宿題-
〜終わり〜