橋本徹(SUBURBIA)×柳樂光隆(Jazz The New Chapter)トークショウ20230304@タワーレコード渋谷
構成・文/waltzanova
V.A.『Blessing ~ SUBURBIA meets P-VINE "Free Soul × Cafe Apres-midi × Mellow Beats × Jazz Supreme"』
コンピレイション原体験とその思い出
橋本 こんにちは、サバービアの橋本徹です。今日は柳樂くんが来てということもあって、ただ単にコンピCDのプロモーションという感じではなく、いろいろ興味深い話を聞いてもらえるんじゃないかと思ってますので、しばらくの間ぜひお楽しみください。バックに流れているのが、先週出たばかりの僕のコンパイラー生活30周年を記念した『Blessing ~ SUBURBIA meets P-VINE "Free Soul × Cafe Apres-midi × Mellow Beats × Jazz Supreme"』というコンピですので、このトーク・イヴェントのBGMでいい感じだなと思っていただけたら、CDを手にしてもらえたら嬉しいなと思っています。アートワークなんかもいろいろ思い入れをこめて作ったものなので、もしよかったらぜひ聴いてみてください。それでは今日、司会進行というか聞き手をやってくれる「Jazz The New Chapter」の柳樂光隆くんです。
柳樂 よろしくお願いします。この『Blessing』というコンピのリリース記念トークショウということになるんですけど、これはジャケからして古くからのファンにはたまらないですよね。
橋本 そう、ジャケットは僕が30年前に出した初めてのコンピレイション『’Tis Blue Drops; A Sense Of Suburbia Sweet』の表1で使用した写真をリデザインした感じで、ちょっとメモワールという意味もこめてのアイディアなんですけどね。
柳樂 1992年の10月21日リリース。副題に「A Sense Of Suburbia Sweet」って入っているんですけど、これって「Suburbia Suite」出した後ですか?
橋本 フリーペーパーとしていくつか出していて、ちょうどこのコンピレイションの1か月後に最初のディスクガイド、「Suburbia Suite; Especial Sweet Reprise」っていう、多くの方に1冊目のサバービアって呼ばれているレコードガイドが出るので、作ってたのはほぼ同じ時期でしたね。
柳樂 じゃあコンピの方が先に出たんですか?
橋本 うん、ひと月ぐらい早かったかな。フリーペーパーの頃から、東京中心というか渋谷中心ではあったけれども、サバービアはわりと話題になっていて。先日亡くなったコンテムポラリー・プロダクションのアート・ディククター信藤三雄さんと、やはり亡くなられてしまったんですけど、今度また弥生美術館で回顧展もあるファッション・イラストレイターの森本美由紀さんと、あとは当時雑誌編集者だった僕で1枚ずつ、3枚のコンピレイション・シリーズをという感じで企画オファーされたのがそのコンピだったんですね。
柳樂 言ってみれば橋本さんはコンピレイション職人30年じゃないですか。なので、その話を聞きたいんですけど、そもそも最初に買ったコンピって何ですか?
橋本 何だろうね? 高校生の頃、ちょうどイギリスでパンク~ニュー・ウェイヴをこえた新しいアコースティックなポップスみたいなものを好きになって、それをコンピレイションというかレーベル・オムニバスで聴くことが多くて。アーティストのアルバムは全部買えなくても、そのレーベルの主だったアーティストのいい曲とか代表作が集まっているレーベル・コンピレイションみたいなものが当時あったんです。ニュー・ウェイヴの頃のインディー・レーベルにすごく特徴的だったと思うんですけども。最初が何だったかは思い出せないんですけど、個人的に印象に残っているのはチェリー・レッドの『Pillows & Prayers』とか、クレプスキュールの『Ghosts Of Christmas Past (Remake)』とか『The Fruit Of The Original Sin』や『From Brussels With Love』、それからポール・ウェラーが主宰したレスポンド・レーベルの『Love The Reason』とか、あとトット・テイラーが主宰していたコンパクト・オーガニゼイションの『A Young Person's Guide To Compact』とか。ちょっと後だとエル・レーベルの『London Pavilion』とか、そういうニュー・ウェイヴ以降の自分の好きなポップ・ミュージックを聴く入り口として、今言ったインディー・レーベルのコンピレイションを聴いていたのが最も原体験なのかな。ラフ・トレイドの『Clear Cut』シリーズとか、イギリスだけでなく日本でも企画されてさまざまなものが出てたんですけどね。
柳樂 じゃあその頃、そういうネオ・アコースティック系のコンピレイションを結構買って熱心に聴いていいなと思っていた?
橋本 そういうことになるかな、アコースティック・ギターを中心にした音楽なんだけども、ジャズの要素とか、ソウルの要素とか、ラテンやブラジル音楽のボサノヴァや映画音楽の要素とかが入り混じっているような、音楽性豊かなアコースティックなポップスが好きっていうのが自分の中での認識としては大切でしたね。
柳樂 そういうの集めたテープとか作ってたんでしょ?
橋本 今すごい思い出したんですが、2006年から2007年にかけてネオ・アコースティックのコンピを3枚頼まれて、同じ時期にポール・ウェラーのフリー・ソウル・ベスト盤も頼まれたんですけど、作ってるときに、これってハイティーンの頃作ってたカセットの選曲と同じだなっていうのはめっちゃ思いましたね。一方で、当時エアチェック世代なんて言われたりして、アメリカの音楽もFMとかでエアチェックしたものを編集してテープを作ったりしてたから、それはコンピレイションを作る仕事の原体験になっているのかなって思います。
DJ〜クラブ・カルチャーを背景に生まれた愛聴コンピ
柳樂 DJ的なミックステープっていうよりは、どちらかといえばエアチェックして個人的な好みをベスト盤にまとめていたのが原体験なんですね。
橋本 そうですね、僕はクラブとかに遊びに行ったりするようになったのがそんなに早くなくて、20歳すぎて1988年ぐらいから遊びに行くようになった感じだったので。その頃に印象的だった、先ほどのコンピレイションについての個人史の続きを話すと、チャーリー・レーベル傘下のカリエンテの「We Got Latin Soul」シリーズとか、当時スティーヴ・バロウやギャズ・メイオールなんかも選曲していた一連のスカのコンピは、アルバイト代でたくさん買ってよく聴いていましたね。そういうコンピレイションでブーガルーとかスカやロック・ステディーの魅力にハマったりして。ワシントンD.C.のゴー・ゴーなんかもそんな感じでしたね。それと同時期にロンドンのいわゆる“ジャズで踊る”ムーヴメントが入ってきて、やっぱりブートレグですけど「Jazz Juice」シリーズとか聴きあさりました。ジャイルス・ピーターソンであったりノーマン・ジェイであったり、あとパトリック・フォージとかバズ・フェ・ジャズとか。リーガルなものもイリーガルなものも含めて、たくさんのコンピレイションがロンドンのクラブ・シーンから生まれていたので、そういうもので東京で手に入るものを買って聴くのが楽しかったのが80年代後半から90年代初頭あたりかな。そこでクラブ・シーンとかDJみたいなものを強く意識するようになって。「Ultimate Breaks & Beats」シリーズにも手を出したり。
柳樂 なるほど。橋本さんが最初に出したコンピ『’Tis Blue Drops』ってレーベルがセンチュリーじゃないですか。橋本さんがその後フリー・ソウルとかアプレミディでやっているようなものとちょっと違って、センチュリー・レーベルの音源からいい曲をかいつまんでって感じですよね。
橋本 そうですね。小さなレーベルだったので、使える音源が本当に限られていて。僕はそのコンピのオープニングに入れたんですけど、ウィリアム・ディヴォーンというソウル・ミュージックのアーティストがすごい好きで。シャーデーとかがかつてフェイヴァリットに挙げていて、マッシヴ・アタックやクリーヴランド・ワトキッスが90年代の初めに彼の代表曲をカヴァーしたりしてたんですけども。別の曲は僕が1995年に『Be Sweet』『Be Lovely』という2枚のコンピを作ることになるアリワ・レーベルでマッド・プロフェッサーがラヴァーズ・ロックに仕立てていたりして。そういうものを中心に組みたいなって、センチュリーからお話をいただいたときにすぐに思って。ライナーノーツを書かせてもらったりしていたマッド・プロフェッサーが主宰しているアリワっていうレーベルのラヴァーズ・ロックは、ウィリアム・ディヴォーンと組み合わせるのが相性いいから、メロウな感じにまとまるよなっていうところで。そこにスパイスとしてたまたま単体でセンチュリーが契約していた、リンジー・ディ・ポールとかハーパース・ビザールの再結成盤とか、当時の東京の雰囲気を背景にしたソフト・ロック・テイストのものをまぶしたっていう感じですね。
ジャズやソウルを愛するイギリス音楽シーンと渋谷の街の親和性
柳樂 じゃあカーティス・メイフィールドが入っているのも、ポール・ウェラーとかジャムとかがカヴァーしていたイギリス経由の流れ?
橋本 もちろん、そうですね。カーティスとウィリアム・ディヴォーンはどちらもレゲエにも影響を与えていて、ヴォーカル的にもタイトなリズム的にも相性いいし。そもそも一番最初にソウル・ミュージック好きになったきっかけは、ポール・ウェラーがスタイル・カウンシルを始めて、インタヴューとかで「ソウルが重要なんだ」みたいなことをよく言っていたからで。彼もカーティス・メイフィールドのカヴァーだったりモータウンみたいな曲だったりをいろいろ披露してたんで、やっぱり多感なハイティーンの頃って影響を受けやすいから、自分の好きなアーティスト、かっこいいなと思っているアーティストが「これいいよ」って薦めているものを聴いていくのが本当に自然な入り口でした。
柳樂 最初からイギリスの流れに合わせるコンセプトを考えてたんですか?
橋本 いや、全く自然な流れでしたね。時代の空気感、街の空気感がそうだから、たぶん僕だけじゃなくて90年代前半に何か表現できるとしたら、渋谷という場所ではやっぱりレア・グルーヴやUKソウル~アシッド・ジャズの流れにあるようなロンドンのシーンとも親和性のある選曲になっていくんじゃないかな。これが六本木の方に行くとニュー・ジャック・スウィングとか、そういう文化になってくるから。渋谷や下北沢はグラウンド・ビートで花開いたUKソウルやモッドの流れを汲むアシッド・ジャズ、ロック寄りならプライマル・スクリームとか、そういうテイストが肌に合う人たちが多かったのは間違いないと思います。
柳樂 渋谷にあったインディペンデントでDIYな感じの小箱のパーティーですね。
橋本 そうそう。その頃、渋谷はDJ Bar Inkstickをはじめそういう場がいくつかあったし、下北沢にはZOOから名前を変えたSLITSがあって。そういうところでレコードをかけたりするような90年代前半の若い仲間はみんなイギリスのシーンにどちらかといえば影響を受けていて。アメリカのヒップホップも好きなんだけど、トライブ・コールド・クエストとかデ・ラ・ソウルとかジャングル・ブラザーズとかの、ジャズやソウルとの接点が見えやすいニュー・スクール~ネイティヴ・タン周辺のものが一番肌に合う感じで。
柳樂 アメリカのヒップホップの中でもイギリスのクラブ・ジャズ・シーンでも人気があるものですよね。
橋本 当然そうだよね。やっぱりジャズやソウルのエッセンスを感じやすかったというのは大きかったと思いますね。
CDリイシューの活発化と「Suburbia Suite」が果たした役割
柳樂 橋本さんの最初のコンピってちょっと調べたら、ちょうどジムコ・レーベルがカーティス・メイフィールドの日本盤の再発を初めて始めた頃なんですよ。
橋本 そうですね、リイシューCD化をね。
柳樂 ウィリアム・ディヴォーンも最初にCD化されたのがそのタイミングです。アリワもそうなんですよね、コフィーとかサンドラ・クロスとかもちょうど1992年頃にCD化されています。だから最初の方のコンピレイションってわりと、今まで聴けなかったもの、簡単に聴けなかったものを集めていますよね。
橋本 確かにそういう使命はあったかもしれないな。やっぱりウィリアム・ディヴォーンがCD化されたときは、僕たちの周りはすごく沸きましたね。さっき話した「Suburbia Suite」の1冊目のレコードガイドもウィリアム・ディヴォーンの広告が入っていて。アル・クーパーの再発広告もそうなんだけど、ヤン富田さんとか小西康陽さんとか田島貴男さんとかスカパラの青木達之さんが推薦コメントを寄せてるみたいな。広告って言いながらも「Suburbia Suite」の最初の頃って、全部こちらで作らせてもらっていたんですよね。広告ページも含めて。
柳樂 そうなんだ。自分たちで作ってたんですか?
橋本 そう、本としての統一感にこだわってたから、デザインもこちらで。だから1冊目の「Suburbia Suite」は広告ページが後ろの方にまとめられてるんですけど、ピエール・バルーのサラヴァ・レーベルとか内容面も含めて、編集ページとあまり違和感なく読んでもらえると思います。表2広告も僕と小西さんと小山田圭吾さんのコメント付きの『黄金の七人』サントラ再発広告だしね。次のディスクガイド、1994年の「Suburbia Suite; Welcome To Free Soul Generation」くらいまでは、だいたいそんな感じでやってました。
柳樂 広告も自分たちの本の一部ってことですよね。
橋本 やっぱり内容はもちろんデザイン的な統一感は、とても大切にしてましたからね。
フリー・ソウルによる新しいスタンダードの誕生と環境整備
柳樂 橋本さんの最初のコンピは1992年ですが、当時のコンピレイションは簡単に手に入らない音源を聴けるようにするためのものだったわけですよね。
橋本 そうそう。コンピレイションの役割ってどんどん変わってきてると思うんですけど、80年代後半から90年代前半っていうのは、今思うとそこまでレアというほどではないんだけど、当時すごくレアとか秘宝とか幻の名盤って言われてたようなものが聴けるようになるっていうきっかけとしての役割ってすごく大きかったんですよね。テイストへのこだわりやリスニング・シチュエイションの提案といったスタイリングのセンス以上に。
柳樂 橋本さん、1993年にブルーノートのコンピレイション出してるでしょ?
橋本 BN-LA、70年代のブルーノートがロサンゼルスに拠点を移したあとのドナルド・バードやボビ・ハンフリー、ブラジルのモアシル・サントスとかね。特に大事なのはラリー・マイゼルのスカイ・ハイ・プロダクションズの音源なんですけど。ジャズ・ファンだけじゃなくて、そういったレア・グルーヴ〜クラブ・ジャズを踏まえて、当時増えていた若い音楽好きにブルーノートの新しい面をアピールしたいということで東芝EMIからコンピの依頼があって、『Blue Saudade Groove』『Blue Mellow Groove』『Blue Bitter Groove』を、僕と二見裕志さんと小林径さんが1枚ずつ選曲して作りましたね。
柳樂 その3枚の選曲からは、当時まだ聴くのが容易ではなかった音源を入れようとする意図を明確に感じるんですよね。
橋本 東京ではDJはもうかけ始めていたんですけど、一般的には日本盤のCDが出るのは考えられないような時代で。ただおそらく東芝EMIは、その何年か前にピーター・バラカンさんの『ソウル・フィンガーズ』とか、ヤン富田さん選曲で井出靖さんが企画したマーティン・デニーとエキゾティック・サウンドとか、そこそこのセールスにつながるようなカタログ音源の発掘みたいな流れができつつあったと思うので、それで「Suburbia Suite」が人気だから僕みたいな20代のセレクターに選曲を任せてみようみたいなアイディアが出てきたのかなと。
柳樂 「Free Soul」シリーズの最初の頃もそうですけど、自分たちのパーティーでかけてたり「Suburbia Suite」に載せている自分たちが好きなレコードの中からなかなか聴けない曲を、みんなが聴けるようにしようという狙いがありますよね。
橋本 フリー・ソウルのコンピレイションCDがまさにそれでしたね。パーティーで人気の曲を家でもドライヴしながらでも聴きたいという声はすごくたくさんあったので、パーティーで楽しく盛り上がっている曲を実際にCDでどこでも聴けるようにできたらというのが出発点のひとつではありましたね。
柳樂 それらの曲はほぼCDが出てなかったんですよね。
橋本 僕が最初にBMGで出した『Free Soul Impressions』と『Free Soul Visions』の収録曲は、当時ほとんど日本でCD化されていない曲です。
柳樂 僕はリアルタイムではないですけど、リアルタイムで「Suburbia Suite」を読んでいたレコード屋時代の先輩から、そもそも掲載されているレコードはお金出しても買えなかったと聞きました。どこのレコード屋に行っても売ってなかったと。
橋本 それはね、もともと日本にはあまり入ってきていなかったレコードもあったり、入ってきても東京の僕らの周りにいるような人たちがすぐに買っちゃうからね。当時そういう廃盤買い付けの専門店みたいなものがやっとでき始めた頃だったんですけど、そういうところの壁に飾られるとすぐに売れちゃうような状況でしたね。だから東京以外の街なら、なおさら厳しかったんじゃないかなと。
柳樂 だから橋本さんの初期のコンピレイションの役割って、選曲のセンスだけじゃなくて、聴けなかったものを聴けるようにしたっていうことがすごく大きいんだろうなと。
橋本 どうしてもタイムラグがあるから、それがCDで聴けるようになる前に中古盤や廃盤の値段が上がったりもするんだけどね。
柳樂 まずはコンピレイションを出して、そこに入っている曲の中の特に反響のあったアーティストに関しては、オリジナル・アルバムをフリー・ソウルのシリーズでCD化すると。
橋本 まさにそうでしたね。レコード会社の方たちは、コンピレイションで売り上げを伸ばして、そこに入っている曲のオリジナル・アルバムを何枚出せるかみたいなことを考えていたと思います。特に旧譜カタログのセクションの方たちっていうのは、ある程度タイトル数を出して年間の売り上げを達成するみたいなところがあったんで、フリー・ソウルのコンピが出て、そこに入っている曲のオリジナル・アルバムを何枚出してみたいな計算がたぶんあったんでしょうね。
柳樂 だから今やフリー・ソウルに入っている曲は「定番」だと思われているけど、当時は意味合いが全然違ったわけですよね。
橋本 うん、本当に。30年かかってというと大げさだけど、90年代を通してそれがどんどん定番になっていったというか。1994年の時点ではほとんど知られていなかったものが、パーティーで人気が出たりコンピCDに入ったり、オリジナル・アルバムがリイシューされたりすることで新しいスタンダードになっていったっていうのが、90年代半ばからの10年間くらいだったのかなと思いますね。
柳樂 フリー・ソウルのシリーズをずっと出したことで環境が変わったと。インフラ整備みたいな感じですね。
橋本 タワーレコードはその筆頭かもしれないけど、本当にCDショップの品揃えが劇的に変わっていったっていうのは印象的でしたし、喜びでしたね。
フリー・ソウルが影響を受けシンパシーを抱いたコンピの数々
柳樂 1980年代後半から90年代半ばに出ていたコンピって、イギリスで出ていた「Jazz Juice」に代表されるようにDJが選曲していて、クラブで人気のある曲が入っていましたよね。
橋本 あれはジャイルスとパトリック・フォージがディングウォールズでサンデイ・アフタヌーンにかけていたジャズを集めた、ということだろうしね。そういうDJパーティーの世界観とか人気曲をそのままパッケージしたコンピレイションの影響を受けて自分も育っているから、フリー・ソウルも自然にそうなっていったというか。だから本当は、もうちょっとリスニング寄りというか、メロウなテイストや普段の生活や昼間でも聴けるような感じを大事に考えていたつもりなんだけど、どんどん選曲がDJパーティーの盛り上がりにつれてフロア・オリエンテッドになっていってしまったりね。その他にもいろんなコンピから影響を受けていて、「Urban Classics」というのはポリドール系の音源ではやっぱりとても重要で、その要素が「Free Soul Underground」に流入して、それがフリー・ソウル・コンピにも反映されていって、3冊目のレコードガイドは、タイトルを「Suburbia Suite; Suburban Classics For Mid-90s Modern D.J.」にして、表紙のデザインもオマージュにしました。BMG系の音源だったら「Rare」というシリーズがありましたけど、『Free Soul Impressions』『Free Soul Visions』には「Rare」で知ってオリジナル盤を探して買ったアーティストが結構収録されています。『Free Soul Lovers』『Free Soul Colors』はソニー系の音源ということで、クラブ寄りのコンピではなかったんですけど二見裕志さんが好きだった『Soul Souvenirs』っていうのがあって、その中の曲と結構重なっていたり。新旧織り交ぜての現場感とのリンクという意味では、もちろんアシッド・ジャズ・レーベルの「Totally Wired」シリーズにはシンパシーを抱いていましたしね。
柳樂 いろいろなコンピに影響されていたわけですね。
橋本 影響されていたというか、一番大きかったのはコンピレイションでしか聴けない好きな曲をたくさん知れて、昔はオリジナル・アルバムを聴くのが王道みたいな風潮があったんですけど、「コンピレイションっていいな」と思ったことですね。その最たるものというか象徴的なものはアーゴ/カデット音源のコンピで、やっぱりレア・グルーヴに根差したシリーズだったんですけど、その第3弾として編まれた「Free Soul」と題されたものでした。そこにテリー・キャリアーの「Ordinary Joe」という僕の大好きな曲が入っていたんですね。だからフリー・ソウルというネイミングには、「Ordinary Joe」が入っていたコンピというイメージが流れ込んでいます。
柳樂 へえ、面白い。その感じでなかなか聴けない珍しい曲を入れて、パーティーで盛り上がっている曲を入れてという感じでフリー・ソウルもタイトルを重ねていくと、ちょっとずつコンピレイション自体の選曲の流れとかムードみたいなものがだんだん変わっていって。
橋本 そうだね、そうかもしれない。発掘ものとかアーカイヴという意識よりもコンパイラーのセンスみたいなものが、だんだん僕のコンピに限らず重要になっていったのかもしれない、90年代後半以降になってくると。
カフェ・アプレミディ・コンピのパーソナルなスタイリングに現れた時代の変化
柳樂 最初の頃はまだ「選曲家・橋本徹」になりきっていないというか、シーンの代弁者的な役割もあった印象なんですよ。やっぱり個人的には「Cafe Apres-midi」シリーズで選曲家としての橋本徹が完成した気がします。
橋本 たぶんフリー・ソウルの方が東京のシーン、渋谷のシーン全体の集合知という感じがあったのかもね。「Cafe Apres-midi」のコンピの方がより個人のリスニング・ライフというか、歴史みたいなものをある種のセンスのもとにまとめたというところはあるかもしれない。90年代後半ぐらいにいろんなコンピレイションCDを聴いていって、特に覚えてるのはデヴィッド・トゥープの「Ocean Of Sound」シリーズとかで。それは広い意味でアンビエント系のものなんですけど、ジャンル横断的で、ある種の世界観でいろんなジャンル、いろんな時代のものを紡ぐみたいなコンピに共感と関心が生まれてきて。ソウルならソウル、ジャズならジャズ、ブラジル音楽ならブラジル音楽っていうコンピじゃなくてね。僕は「Man Ray」のシリーズとか好きだったんですが、同じ頃からヨーロッパの方で、例えば「Buddha-Bar」とか当時トレンドになっていた、お洒落な大人が集まる場所が発信する世界観みたいなものを表現するコンピレイションが出始めたんです。それは街からだけでなく、例えばイビサみたいな海やリゾートでも「Cafe Del Mar」的なバレアリック~チルアウト系のシリーズが出てきたり。そういうものの方に、僕はジャンル別の名作選やアーティストの未発表曲集や年代順アンソロジーより惹かれるんですよね。だから「Cafe Apres-midi」のシリーズをスタートするときには、フリー・ソウルみたいに踊れる曲ばかりでなくて、くつろげたりリラックスできて胸に沁みたりするような曲とかも自分のコンピレイションに入れられるな、というところでスタイリングの仕方がちょっと変わったというか、DJパーティーのドキュメントという感じよりはもっと個人的な「気分の」スタイリングにできるなと思って。
柳樂 ボサノヴァ、ソフト・ロック、フレンチ、ラテン・ジャズ、サウンドトラック、あとライブラリーを横断するみたいなものですよね?
橋本 うん、そういうテイストも含めての「午後のコーヒー的なシアワセ」を感じさせてくれるものというか。その頃はだんだんブラジル音楽からライブラリーとかヨーロピアン・ジャズとかへの流れがシーン全体に生まれてきていて、そういうものを反映させながら高校生~大学生の頃から聴いていたもので親和性があるものを混ぜていくという作業だったかな。
柳樂 アプレミディのコンピからは、かなりパーソナルにもなりましたけど、同時にフリー・ソウルでもやっていた簡単に聴けない音源を聴けるようにしてあげるという部分も両立させてましたよね。
橋本 そうですね。あと作っているコンピの数が増えていったことによって、フリー・ソウルのときはシーンとか東京とか渋谷とかを背負っている感じで選曲している部分も当然あったと思うんだけど、わりと個人的になっていったというか、肩の力が抜けた選曲になっていきましたね。特に最初の何枚か作るときって、絶対この曲入れたいからアプルーヴァルが来るまで発売延期してもらって、妥協しないみたいなところがあったんですけど、たくさん作るようになってからは、これはもう次の機会に入れればいいかなという感じになって。そのときに許諾OKが来ている音源で楽しく選曲できるようになったというか。
柳樂 橋本さんの選曲の傾向が変わっているのを見られるのが、ブルーノートのコンピだと僕は思ってます。最初の頃は「レアなやつ入れてやるぞ」っていう勢いがあるんですけど、2004年の『Blue Note for Apres-midi Grand Cru』あたりになると、プライヴェイトな家で聴きたい感じの選曲になっていて。
橋本 そう、『Blue Note for Cafe Apres-midi』と『Blue Note for Apres-midi Grand Cru』は、カフェやレストランはもちろんリヴィングやベッドルームで聴くブルーノートという感じで。あの2枚を作った2004年はそれ以外にもフリー・ソウルで2枚とモッド・ジャズっていうテーマでも作ったんで、やっぱり数があるからそういうテイストも表現できるようになったところはあると思いますね。
柳樂 ブルーノート×アプレミディの2枚のムードは、その後の2006年の「Classique Apres-midi」シリーズにもつながっていくプライヴェイト感があって、この頃、橋本さんの選曲に表れていた傾向みたいなものを感じます。ゴンザレス『Solo Piano』が出た時期のムードとも言える気がしますね。
橋本 まさに、そうですね。あの頃はフランス印象派のクラシック・ピアノなんかもよく聴いていたから。
新譜中心のコンピ構成に託された思いと「Mellow Beats」〜「音楽のある風景」
柳樂 一方で、90年代の半ばからは現在進行形の音源を中心とした、「Free Soul 90s」っていうシリーズを出したりもしてましたよね。もちろん12インチにしか入ってないレアなヴァージョンとかも入ってるんですけど、基本的には入手が難しくない音源で構成されていました。
橋本 リセット・メレンデスの“グリグリ”(「Goody Goody」)も入ってるみたいな(笑)。
柳樂 その後も新譜の中から自分のテイストとか世界観で選曲を作るみたいなコンピが、徐々に増えていくじゃないですか。
橋本 フリー・ソウルが大人気になったときに、年配のブラック・ミュージックの先生みたいな方たちに、「重箱の隅をつついて」みたいなことを言われたりしたこともあったんでね(笑)。だから別にそういうことじゃなくて、現行のヒップホップでもR&BでもUKソウルでもアシッド・ジャズでも、今人気のある曲とこういうメロウでグルーヴィーな曲がつながってるんですよ、70年代で言うならこういう曲とつながってるんですよっていうところを示したくて、「Free Soul 90s」のシリーズをやったところも実はあったかな。ただメジャーなヒット曲ばっかりになってもそういう意図が伝わりづらいんで、12インチにしか入っていない、CDでは簡単に聴けないような音源も半分くらい使いつつ、ちょっと選曲の幅をよりダイナミックにして、マイケル・ジャクソン「Human Nature」をサンプリングしたSWVの「Right Here」を入れたり、ナイス&スムースのグレッグ・ナイスをフィーチャーしてる「Goody Goody」を入れたりしてみたんですよね。そういう曲も好きなんで。サンプリングやカヴァーを通して鮮やかに70年代と90年代のつながりを示せたんで、「Free Soul 90s」は自分的には溜飲が下がったというか、現在から見て輝いている過去に光を当ててるのがフリー・ソウルなんだよってことを、わかりやすく伝えられたと思うので、よかったですね。それってきっと柳樂くんが「Jazz The New Chapter」でやろうとしてることとフィロソフィー的には相当近いんじゃないかなって思っていて。音源的には「Free Soul ~ 2010s Urban」シリーズとの兄弟関係の方がわかりやすいかもしれないけど。
柳樂 僕は「Free Soul 90s」大好きなんで全部持ってますけどね。最初はフリー・ソウルとカフェ・アプレミディのシリーズは、わりと古い音源で手に入りにくいものをまとめてあげるっていう作業をやっていたのが、「Free Soul 90s」を出して、そのあと、2001年に例えばドイツのコンポスト・レーベルのコンピ『Compost for Cafe Apres-midi』やイギリスのトーキング・ラウド・レーベルのコンピ『Talkin’ Loud Meets Free Soul』を出したり、90年代をまとめています。「Mellow Beats」や「Jazz Supreme」はその流れの延長にある気がするんですよね。
橋本 僕的にはむしろその辺の方がコンパイルの作業としては楽しくてね。最初の頃はレコード会社の旧譜のセクションの方と仕事をするっていうことがほとんどだったんですけども、フリー・ソウルのコンピが大ヒットしたり、あと「bounce」の編集長をやってた時代が大きかったのかな、ニュー・リリースの担当のセクションのレコード会社の方とも知り合いになることが増えて、それでトーキング・ラウドのコンピやりませんかとか、コンポストのコンピやりませんかっていう話が来るようになって。それは本当に待ってましたっていう感じでしたね。「Mellow Beats」のシリーズに関しても、フリー・ソウルとかカフェ・アプレミディのコンピの担当をしてた方からの提案だったんですけど、2007年当時、Nujabesのブレイクあたりから、いわゆるジャジー・ヒップホップ的なものの人気が高まってきていて。「Mellow Beats」はこのタワーレコード渋谷店だけでもすさまじく売れたと思うんですけども、そういう時代を迎えた中で、僕の好きな“ジャズとヒップホップの蜜月”っていうテーマで「Mellow Beats」と題したスタイリングを成功させられたのは、すごくやりがいのあることでしたね。
柳樂 当時のヴィレッジ・ヴァンガードの下北沢店でバイヤーだった金田謙太郎さんが「ものすごく売れた」って言ってましたね。
橋本 「Mellow Beats」は本当に時代の気分を捉えてたのかなって気がしますね。よく覚えてるのは、立ち上げのときに普段あんまり連絡が来ないような「Boon」っていう雑誌が、90年代はすごいストリート的なイメージだったんですけどスタイリッシュな大人の洗練された「Boon」にリニューアルするというタイミングで、「そのコンセプトも選曲もまさに新創刊の号にぴったりなのでぜひ取り上げたい」ってインタヴューをオファーしてくれて。ヒップホップとかアンダーグラウンド・ミュージックをこういう風に見せるんだっていう、センスをリスペクトしてくれたんだと思うんですけど、そういうところからの反応も印象に残ってますね。
柳樂 橋本さんは新しいところに行くんだって感じがしましたね。2008年の「Jazz Supreme」シリーズも「Mellow Beats」の発展型というか、兄弟的なニュアンスがありますけど、その後の「音楽のある風景」シリーズとか、あれは完全に新譜じゃないですか。
橋本 「音楽のある風景」シリーズは2000年以降の音源で、カフェ・アプレミディで流れていたらいいなっていう曲とか、実際に「usen for Cafe Apres-midi」っていう音楽放送チャンネルでヘヴィー・プレイしてきたような曲を集めていて。リラックスして笑顔になれるような、言ってみれば本当の意味で「午後のコーヒー的なシアワセ」を感じさせてくれるようなものを集めているんですよね。
柳樂 その辺りで僕は95%ぐらい橋本徹が仕上がったなって感じがするんですよ。今改めて2000年代初頭の「Cafe Apres-midi」シリーズを聴いてもそんなに橋本徹っぽさを感じないんだけど、「音楽のある風景」はすごい橋本徹っぽい。
橋本 それはやっぱりフリー・ソウルやカフェ・アプレミディやメロウ・ビーツほど売れてないから(笑)、パーソナル感を感じるのかもしれない。僕のパブリック・イメージだけでなく、付き合いもあってプライヴェイトな僕を知ってくるとこういう面も橋本徹の中で重要なんだなってことをわかってくれるようになったのかもね。
柳樂 パーソナルでプライヴェイトな志向だった時期に『美しき音楽のある風景~素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』をリリースして、それに続いて「素晴らしきメランコリーの世界」の2枚を作ったことは、すごく納得がいきました。 これも新しい音源を集めたコンピレイションなんですよね。
橋本 その辺りのコンピが静かな共感を呼んだのは、嬉しかったですね。
内省的な私小説『ブルー・モノローグ』からチルアウトで心地よい「Good Mellows」へ
柳樂 中でもその流れで特に印象的なのは『ブルー・モノローグ』です。
橋本 2012年の初めですね。『ブルー・モノローグ』は自分でもすごく思い入れの深いコンピで、僕個人も時代も、東日本大地震とかあって内省的にならざるを得ない時期に、本当に真夜中に自分がひとりで聴いていて本当に心に沁みた曲だけを集めたような、言ってみれば究極に地味なコンピなんですけど(笑)。そう言ってもらえるのはすごく嬉しいし、今までに350枚くらいコンピレイション作ってますが、5本の指に入るかなと思うぐらい印象に残っていて、自分自身が救われたコンピです。
柳樂 「音楽のある風景」シリーズから『ブルー・モノローグ』あたりは、かなり選曲家による「作品」っていう感じがするんですよね。
橋本 自分がブルーで、元気なくて内向きだった時代の結晶だから(笑)。
柳樂 エッセイっぽいというか。
橋本 そうだね、私小説。
柳樂 最初の方はコンピレイション自体にいろんな目的があったし、たぶんレコード会社からの要望も含めて与えられてた役割みたいなのがあったと思います。それらをちゃんと受け止めて表現をしていたと思うんです。でも、「音楽のある風景」や『ブルー・モノローグ』になると、かなり選曲家個人の仕事って印象なんですよね。
橋本 インパートメントが配給しているアプレミディ・レコーズっていう自分のプロデュース・レーベルだってのも大きいかもね。「素晴らしきメランコリーの世界」やアルゼンチン・ネオ・フォルクローレとかサロン・ジャズのシリーズもそうだけど、自分が好きなようにテーマを決めて選曲候補を選んで、「じゃあこの曲とこの曲が使えます」って言われたら順番に並べるっていうような制作過程だからね。
柳樂 でも350枚もコンピを作ってたら、仕事に寄りすぎない、自分の表現っぽいものをまとめたい欲求は出てくるじゃないですか。
橋本 そうですね。特にフリー・ソウルやカフェ・アプレミディやメロウ・ビーツみたいにたくさんは売れないかもしれないけど、これは作りたいっていうものはあるというか。もちろん全部のコンピが好きなことしか全くやっていないんですけどね。嫌々とか例えばお金のためにとか、これは義理で断れないからみたいなものっていうのは一枚もないんですけど、正直そんなにたくさんの人に聴いてもらえるかわからないみたいなものは、アプレミディ・レコーズのように自分の名前がついてるレーベルだったらともかく、ユニバーサルやソニーやワーナーとかではできないかな(笑)。
柳樂 そうですね(笑)。その後に2010年代半ば以降バレアリック・チルアウトっぽいシリーズ「Good Mellows」をやるようになります。2010年代初めのプライヴェイトな感じも残しつつ、オープンなムードになっていった気がしますね。開放感といいますか。
橋本 全くその通りかもしれない。あれもディスクユニオンから「レーベルやってくれませんか?」という話があって、「Suburbia Records」を始めて。自分が他のレコード会社でやれていなかったコンセプトのものをやりたいなと思って。90年代からすごくたくさんの12インチ・シングルを買い続けてきたんですけど、そういう音源は本来はクラブDJとかで使われる目的で作られたレコードも多いんですが、自分らしい切り口のニュー・パースペクティヴでそれらを編集できないかな、提案できないかなっていうのがあって。ティーンから20代の頃はかっこいい音楽やグッとくる音楽が好きだったわけなんですけど、だんだん歳をとって気持ちいい音楽とかチルアウトできる音楽を聴く割合が増えてきて、そういうテイストでたくさん買ってきていた、リアルタイムで買い続けていた12インチの音源をコンパイルできたらいいなというところで、「Suburbia Records」のシリーズは「Good Mellows」っていうタイトルで、海辺で聴いたら気持ちいいとかドライヴしながら聴いたら心地よいとか、そういうテイストをクラブ・ミュージックの12インチの中から選りすぐるというコンセプトでやったんですね。それは自分の日常生活ともすごくリンクしていくことになって。以前は多摩川をあまり越えたことがなかったんですけど、しょっちゅう葉山とか逗子とか鎌倉とかに行くようになったり。食事や飲みに行くのも横浜とかに行ったりするようになったので、そういう自分自身の日常にも「Good Mellows」のシリーズをやれたことでいい影響がありました。アプレミディ・レコーズで作った『Chill-Out Mellow Beats ~ Harmonie du soir』や、“架空のFMステイション”をテーマにした「FM」シリーズにも同じことが言えるんですけど。
日常に寄り添うメロウネスと年齢を重ねて深まりゆくコンピ表現
柳樂 DJは基本的にパーティーで曲をかけなきゃいけないし踊らせなきゃいけないし、さっき言ってたような、ある種ティーンの頃の気持ちでやらなきゃいけない、みたいな部分もあるじゃないですか。でも、橋本徹のコンピを時代を追って見てると、ちゃんと年齢を重ねている感じがしますね。
橋本 それはあるかも。無理して選曲する必要なんてないしね。だから本当に「Free Soul Underground」とか、幻のように「なんであんなに盛り上がっていたんだろう?」というような光景が思い浮かぶことがあるんですけど、ある時期まではもう一度あんな感じでという気持ちでやっていたのかもしれないんですが、この15年くらいはそういうことも思わなくなって。今の歳をとった自分に合ったコンパイルのスタイルというか、自分が聴きたいと思うようなものを作りたいので、作ったものがより心地よく響くような生活やシチュエイションに身を置きたいなと思っていますね。
柳樂 昔のコンピは「暮らしのBGM」って感じじゃないですよね。パーティーもしくはハレの日という感じなので。
橋本 それはすごくあるね。「usen for Cafe Apres-midi」とかの選曲をしてることもあって、日常生活の中で流れる音楽という意識とか、街で流れる音楽みたいな意識がやっぱりどんどん増してきたというのもあるかもしれない。そういう中で無理せずに自然体で自分の好きな音楽で今表現できることをすればいいというか。僕があの頃みたいなDJパーティーのピークタイム・チューンばっかり集めたコンピレイションを作ったとしても、まず自分がそんなに聴かないだろうし、そういうことは選曲の説得力に出ますよね。あの輝きは若いとき特有のパッションやエネルギーがあってこそという気もするので、そこで無理するよりは自分でも心地よく日常の中で楽しめるようなコンピレイションCDを作りたいという気持ちに自然となっていますね。
柳樂 そうかもしれないですね。Pヴァインやユニバーサルから2010年代半ばくらいに出していた「Free Soul ~ 2010s Urban」のシリーズでも、アッパーな曲ではなくて、日常の延長で聴けるような曲を選んでいたと思います。
橋本 そう、わかりやすい言葉で言うと“メロウネス”ってことになるんだと思うんだけど、そういう感覚は曲を選ぶときに自然に入ってくるというか。でも柳樂くんが以前言ってくれたことで一番嬉しかったのは、“橋本徹は永遠の28歳”。
柳樂 ははは(笑)。
橋本 でも歳をとってしまいました(笑)。
柳樂 DJや選曲家はいつまでも若いマインドでいることを求められる職業だと思いますけど、一方で、どうやって歳をとるか、どうやって成熟していくかが課題だと僕は思っているんです。橋本さんはちゃんと歳を重ねてるのがわかるし、わりと成熟していってるんだなと感じました。もちろん作品が多いからそれができるというのもありますけど。
橋本 逆にひとつのことをやり続けて、今でも若い頃に聴いていた音楽を「最高!」って偽りなくかけられることは素晴らしいと思うんですけどね。自分はいろんな音楽を好きになりすぎたので、その中からそのときの自分に合うものを選曲することをライフワークにしていきたいというか。まあ、僕は大貫憲章さんにはなれないってことだね(笑)。
柳樂 ははは(笑)。でも、この感じでだんだんチルっていったら、10年後はもうちょっと枯れた感じの選曲になるんですかね?
橋本 それがね、ちょっと上の世代の方を見てると、60歳くらいに向かってまたみんな元気が出てくるんですよ(笑)。自分がどうなるかはわからないですけどね。そもそもコンピレイションCDというものが存在しない世の中になってしまっているかもしれないし。
柳樂 でも、何らかの形で選曲はしているでしょうから。
橋本 「usen for Cafe Apres-midi」や「usen for Free Soul」は街のいろんなところで流してもらっているしね。
柳樂 僕が行っている美容室でもかかっていますよ(笑)。
橋本 それは嬉しいね(笑)。あとやっぱり個人的には、毎月dublab. jpで「suburbia radio」というインターネット・ラジオの選曲番組をやっていて、それがライフワーク的にはバランスが良くなっているというか。毎週いろんな新曲を聴いているわけですけど、その中から自分の気に入ったものを、パッケージにはならないんだけども記録として残していけているという意味で、dublab. jpで「suburbia radio」をやれていることは、自分の音楽面の精神的な健康にはプラスになっています。
柳樂 それじゃあ4年後、60歳の還暦になったら、『Kanreki Free Soul』をやってください。
橋本 いいね(笑)。どんな感じになるんだろう? コロナ禍の間についに結婚したから、『Free Soul Wedding』も作りたいと思ってたんだけど、やっぱり『Kanreki Free Soul』だね。でも本当に健康が一番。何を言い始めているのかって感じだけど(笑)、本当に健康で生きていられることが一番だと思うので、皆さん自分の心と身体を大切にして「日々を楽しみましょう!」としか言えないかな。
柳樂 すごい締めですね(笑)。
橋本 全然30周年コンピ『Blessing』の直接的なプロモーションにならないトークショウでしたね(笑)。
※その後、スタッフの方が加わって、フリー・ソウルの新しいTシャツ(30周年を記念して30カラー・ヴァリエイション/各3,000円)の告知や、橋本徹さんがモデルとして登場したタワーレコード「No Music, No Life」キャンペーン・ポスターの話などがあり、トーク・イヴェントは終了しました。コンピ『Blessing』のCDブックレットに掲載された橋本徹さんのインタヴューと、ele-kingに掲載された橋本徹さんのインタヴューも、お読みいただくことができます。
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