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橋本徹×山下洋のFree Soul 30周年記念対談


V.A.『Legendary Free Soul ~ Supreme』
V.A.『Legendary Free Soul ~ Premium』

橋本:Free Soulが2024年で30周年、1994年の3月にDJ Bar Inkstickでクラブ・パーティー Free Soul Undergroundがスタートして、4月に『Free Soul Impressions』と『Free Soul Visions』の2枚のコンピレイションが出たので、アニヴァーサリー・イヤーということで、その頃の空気感とか熱気が伝わるような選曲の30周年記念コンピをという話をいただきまして、今回『Legendary Free Soul』という2枚組CDが2セット、“Supreme”と“Premium”というタイトルでリリースされることになって。今日はあの頃のことを振り返ってみたいと思うんだけれど、どうしてあの頃そういうDJをして、こういう音楽をかけて楽しんだり、コンピレイションCDという形式で皆さんに提案したりとかするに至ったか、その前史みたいなところをしっかり話したら、Free Soulってそういうことだったんだと伝わりやすいんじゃないかと思ったんだけど。

山下:30年経ってますからね。やっぱりもう一度説明が必要ってことになるわけですよね。

橋本:そうだね。当時の状況や時代背景、街の気分なんかも含めてね。僕も山下くんも少年時代にビートルズを好きになったり、他のDJたちもだけど、イギリスの音楽が好きでレコードを聴くようになったところから、ソウル・ミュージックとかブラック・ミュージック全般、ジャズやファンクっていうふうに、自然にイギリスの音楽シーンを楽しむ中で興味や好奇心が広がっていったという共通点があるのかな。

山下:自分は中学生くらいまでは、例えばマーヴィン・ゲイとかスティーヴィー・ワンダーって、もう60年代に居た人だって知らなかったわけで。後追いでジャムとかビートルズとか、時代は違うけど、それらを聴くと、僕が好きなイギリスのバンドって、みんなアメリカのソウル・ミュージックってやつを好きなんだなってのは勉強になって。よりFree Soulっぽいイメージを具現化したのはスタイル・カウンシルだったと思うんですよね。あとオレンジ・ジュースでも、アズテック・カメラでも、あの辺が全部みんなソウル・ミュージック好きなんだなって。

橋本:うん。山下くんと僕は2学年違うけど、本当にそういう体験は共通してるなと思っていて。中学生の頃とかはビートルズを貸レコード屋で借りる中で音楽を好きになっていって。80年代前半はいわゆるネオ・アコースティックみたいな音楽が好きで、白人のミュージシャンが多かったんだけど、みんなソウル・ミュージックが好きで、っていうようなところに影響を受けて。Free Soulを始めたちょっと後に、当時大好きだったペイル・ファウンテンズがデニース・ウィリアムスの「Free」をライヴでカヴァーしていたのを知ったときは、感動したな。

山下:イギリス人は本当にブラック・ミュージックが好きだからね。例えばスペシャルズがそのルーツを辿りつつオリジナルをやると、ちょっといい感じにかっこよかったり。クラッシュだったらレゲエだしね。

橋本:クラッシュの「Hitsville U.K.」やジャムの「Town Called Malice」はモータウン・スタイルだったり。スタイル・カウンシルだったらソウル・ミュージックにジャズやボサノヴァやフレンチの要素も混ざっていて。

山下:そういう中でやっぱり自分にとって一番わかりやすかったのがスタイル・カウンシルだったな。

橋本:僕は併せて、エヴリシング・バット・ザ・ガールからジャズやボサノヴァで大きな影響を受けたな。ペイル・ファウンテンズからはバート・バカラックやジョン・バリー、映画音楽だったり。やっぱりリアルタイムで好きになった、高校生の頃に好きになったアーティストたちが、みんな自分が好きな古い音楽に憧れて、自分たちらしい音楽を奏でていたから、自然にそのルーツというか、インスピレイション源の方にも興味が広がっていったよね。最初はマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、ダニー・ハサウェイ、スティーヴィー・ワンダー、スライみたいな有名なアーティストからだったけど。

山下:がんばって調べて、知るんですよ。田舎の高校生がですよ。がんばりましたよ(笑)。

橋本:今みたいにね、パソコンやインターネットで調べたりできないでしょ。Spotifyですぐ聴けたりというような時代じゃなかったし。僕も当時は少ないお小遣いで、まだ宇田川町にあったタワーレコードや、青山の骨董通りにあったパイドパイパーハウスに行って、そういうルーツになる音楽のレコードを探して、一方でCISCOでネオアコやニュー・ウェイヴの12インチを買うのを並行してやってたのが高校から大学時代で。そこが山下くんとも近いというか。

山下:スタイル・カウンシルのポール・ウェラーとかブロウ・モンキーズのドクター・ロバートがカーティス・メイフィールドって言うと、誰それって探すわけですよ。ソウルってコーナーにあるかもわかんないのに。

橋本:ポール・ウェラーはジャムの最後でカーティスのカヴァ―をやったり、ドクター・ロバートはブロウ・モンキーズで一緒にコラボしたり。

山下:ブロウ・モンキーズは「Superfly」を一番わかりやすくカヴァ―してましたね。日本公演のオープニングです。1曲目に「Superfly」のカヴァ―をやるって。

橋本:そういうのと並行して、NHK-FMの「サウンドストリート」やピーター・バラカンさんのラジオとかから情報を得て。

山下:バラカンさんの『魂(ソウル)のゆくえ』はちょっとした参考書だったかな。

橋本:僕ら世代に象徴的だなと思うのは、イギリスの音楽シーンをリアルタイムで楽しんでいくと本当にいろんな音楽に会えて、80年代後半になるとソウル・ミュージックだけじゃなくて、ロンドンからダンス・ジャズのムーヴメントが、ファッション誌やカルチャー誌のトシ矢嶋さんのコラムとかで伝わってきたりして。

山下:より顕著でしたよね。

橋本:その当時イギリスのそういう音楽がイケてるというか、魅力的に響く中で、イギリスから入ってくる様々なコンピレイションに、ブートレグもたくさんあったけど、オフィシャル盤も含めてとても影響を受けたね。僕はラテン~ブーガルーやスカ~ロック・ステディーを集めたものから、『Jazz Juice』とかクラブ・ジャズ・シーン発のもの、さらにその流れでレア・グルーヴまで、とことん聴いたな(笑)。あの頃レア・グルーヴもハウスもヒップホップも、ワシントンDCのゴー・ゴーとかも、80年代後半の東京には同じように海外で今イケてる音楽として入ってきたイメージがあって、好奇心に富んだ都市の若者向けの輸入文化という感じだったよね。その中でレア・グルーヴっていうところでは、アーバン・レーベルの『Urban Classics』に出会って、そこから一気により深いところのソウル・ミュージックに興味を持つようなった。

山下:本当にイギリスのコンピってすごくて、ジェイムス・ブラウンのクリフ・ホワイト編集のやつとか。

橋本:そうだね、『In The Jungle Groove』。あの辺からコンピレイション文化にすごく影響を受け始めたんだろうな。

山下:アーバンはノーマン・クックが絡んでたよね。あとケントで50番以降の70年代のディスコとかファンクが入ってるのも好きだった。

橋本:Free Soulはそういう風にソウル・ミュージックやその周辺のジャズやラテンやブラジル音楽を、ある種の感覚で自由に楽しむイギリスの雰囲気に影響を受けて、そこから生まれてきたコンピレイションを20代前半にたくさん聴いたり楽しんだりしたことが、1994年の春に東京で開花したんじゃないかなって、今振り返るとすごく感じるな。具体的なリファレンスとしても、『Urban Classics』とアーバン・レーベルだけじゃなくて、Free Soulっていう言葉が生まれたきっかけのひとつであるアーゴ~カデット・レーベルのコンピ・シリーズのVol.3が『Free Soul』っていうタイトルだったり。元はジョン・クレマーの曲名だけど、テリー・キャリアーの「Ordinary Joe」が入っていて。

山下:ジャック・マクダフから名づけた『The Heatin' System』がVol.2だったね。

橋本:RCA~アリスタ系の音源だと『Rare』っていうコンピ・シリーズもあったし。

山下:『Rare』にはウェルドン・アーヴィンだね。

橋本:ソニー系だと『Soul Souvenirs』とか。

山下:あのシリーズも良かったね。

橋本:あれはちょっと歌ものソウル寄りだったけど、やっぱり一番大きいのはアシッド・ジャズからの『Totally Wired』シリーズかな。現在進行形のものに古いものをちょっと混ぜてるのも良くて、グルーヴィーで。

山下:アリス・クラークは『Totally Wired』の7だっけ?

橋本:確か7に「Don't You Care」で、Free Soulが始まった後の11に「Never Did I Stop Loving You」が収録されたんじゃなかったかな。ジョン・ルシアンの「Would You Believe In Me」も10に入ったり。やっぱりイギリスで育まれたコンピレイション文化みたいなものとの相互影響は、僕ら世代はとてもあったね。そういう自分たちの「好き」という気持ちを東京ならではの形で表現できたらなっていうのが、Free Soulを始めるときにすごく意識してたことだったよ。

山下:Free Soulのコンピが出る1年以上前に、僕と橋本さんはロンドンで会ってるじゃないですか。

橋本:そうだよね。あのときは渋谷や下北沢じゃないかと思うくらい、同世代の音楽好き何人ともロンドンですれ違って(笑)。ジャミロクワイが出てきた頃。

山下:巡礼してたんですよ(笑)。アシッド・ジャズのスタジオでレコーディングできるってロンドンに行って。そしたら橋本さんも同時期に来てて。あのときアリス・クラーク10枚買い占めたもん(爆笑)。買っちゃっていいのって、レコード屋で訊いたら、イイって言うもんだから。30ポンドだったから、安くはないけど。

橋本:でも今に比べたらかなり安くて、当時はそれぐらいで買えたよね。僕もあのときは人生で一番レコードを買った旅行で。もう本当に腕がちぎれそうになりながら(笑)。当時、ロンドンに来てる童顔の日本人がレコードを買い占めてるっていう話をジャイルス・ピーターソンたちがしていたそうで、それは橋本くんだって大笑いされたっていうこともあったな。

山下:最高の話だね(笑)。

橋本:でも僕は、そうやってイギリスのシーンやコンピレイション・カルチャーに刺激を受ける一方で、90年代の前半は、後に渋谷系って言われるような感性というか、ソフト・ロックのブームだったり、サバービアのレコードガイド第1号で取り上げたような映画のサントラとかボサノヴァとかフレンチとか、ちょっとお洒落で洗練されたものを楽しむという東京の空気感の中心にもいたんで、そういうテイストと、自分たちが好きなソウル・ミュージック周辺のメロウ&グルーヴィーな音楽が自然にクロスするようになるといいなっていう意識も強かったかな。フレンチ・カジュアルや70s古着の人気に、オリジナル・ラヴやピチカート・ファイヴ、コーネリアスや小沢健二の活躍なんかも追い風にしながら、ピースフルなデイジー感やフラワー・チルドレン的な雰囲気のもとにね。ロンドンやニューヨークはもっとクールでシリアスなイメージがあると思うんだけど、簡単に言うとより自由でハッピーなテイストをそこに注入したいという。その頃よく山下くんと話していたのは、“Fun”が大事だよねってことだったり。

山下:日本人の良くないところで、ジャズだったりソウルだったり、本格的になりすぎちゃうっていうか。語りがちで、頑固なやつらが多い。

橋本:だからもっと自由にカジュアルに楽しみたいなっていう。フレンドリーで怖くない感じね(笑)。

山下:自分なんかルーツは歌謡曲だよっていつも言ってて。もっと普通で、日本人の耳ってもっと柔らかいはずなんですよ。それで橋本さんも自然に楽しく聴こうよっていうのを打ち出したかったんじゃないかな。レア・グルーヴとかすごい詳しくて、マニアックな部分もあるんだけど、ただ勉強してね、レアだねとか言って、そんなの何がいいのって。もっと楽しむためにレコードってあるんじゃないかっていう。

橋本:うん、楽しむっていうことを大事にしたかった。あの頃、山下くんがすごく意図的に使ってた言葉で印象に残ってるのは、“茶の間でも楽しめるから”みたいな。

山下:そうですね。TVと一緒。

橋本:Free Soulってそういう要素もあるのが、他のアンダーグラウンド・カルチャーと違うのかなと思うね。だからこれだけ多くの日本の音楽好きに届いたっていうところもあるんじゃないかな。

山下:そうですよ。茶の間と一緒でいいのに、DJパーティーの現場とかクラブって、気取ったり、偉そうになってるのがすごい嫌で。

橋本:そこでまたDJ間とか、DJとお客さんの間に何かヒエラルキーみたいなものができちゃってるような雰囲気が、当時すごく違和感があって。これイイじゃん、これイイよねっていう感覚を大切にしたかった。その頃は曲を訊かれても教えないよっていうDJもたくさんいたし、おまえがこのレコードを買うのは10年早いよみたいな感じで先輩に進呈しなきゃいけないみたいな、そういうようなことがあったり。DJもクラブをめぐる人間関係も、上下関係が理不尽でナンセンスだと思っていたから、そういう人間関係から自由になりたいっていう意識はすごくあったね。

山下:正しいですよ。偉ぶっちゃいけないんですよ、本当に。

橋本:なんかそういう怖い感じに対してもそうだけど、スノビッシュな人たちに対しても違和感はあったんだよね。あと業界人やコレクター、評論家に対しても。海外の情報に詳しいのが偉いとか、より知識のある人が偉いみたいな風潮が、音楽とかカルチャーの世界に持ち込まれていることにもね。もちろんオブラートに包んでソフトに表現してはいましたけど、やっぱり反骨精神みたいなものが奥底にあったと思いますね。

山下:やってることはソフトなのに、思いっきり反骨精神なんです。

橋本:そういうところもやっぱりスタイル・カウンシルの方法論に通じるものがあるのかもしれない。コンピCDに象徴されるように、アートワークやグラフィック・デザインを大切にしているところもそうだけど。

山下:要は自由にカジュアルに楽しんでほしいと。音楽ってそんなもんだしっていうさ。

橋本:もう山下くんが昔からそれをすごく言ってて、僕はとても共感できて。もちろん古い価値観やヒエラルキーへの怒りや憤りみたいなものもエネルギーになってるんだけど、本当はもっと単純に、自分たちと同じような音楽が好きで、その魅力を分かち合えるいろんな人が増えたらいいなとか、そういう人たちと一緒に楽しい時間を過ごせたらいいなっていうことがすべてで。それがね、新しいスタンダードになっていったらいいなみたいな。そういうことをひたすら大事にしてきたから、30年かけて新しいスタンダードが生まれて、定着して、今ではこのCDに収録されているような曲も定番になっているんじゃないかな。最近は「usen for Free Soul」チャンネルが流れてる西友で、買い物しながらFree Soulに親しんでますって人もいるくらいだから(笑)。


※Free Soul 30周年記念コンピ『Legendary Free Soul ~ Supreme』と『Legendary Free Soul ~ Premium』のライナー・ブックレットには、この対談の後にさらに、それぞれのCDの収録内容についての対談もたっぷり掲載されていますので、ぜひ収録曲を聴きながらお読みください!

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