昭和40年男、我が心の梶原一騎の感想文

 まず、僕は幼稚園の頃アニメ「タイガーマスク二世」が好きだったし(おそらく、佐山タイガーとの区別がついていなかったと思われ)同時に「プロレススーパースター列伝」も読んだし、「巨人の星」と「愛と誠」はずいぶん前に読んだ、「あしたのジョー」はアニメジョー2の再放送を何度も見た、「侍ジャイアンツ」、「天下一大物伝」「紅の挑戦者」、「四角いジャングル」はマンガ図書館Zで読んだ、「斬殺者」は「バガボンド」にあやかって再版されたときに読んだぐらいで、梶原一騎との接点はたいしてないということを断っておきます。だって、76年生まれの僕が、87年没の梶原一騎をリアタイで読めるわけないじゃないですか。

 そんな僕がなぜ梶原一騎に興味があるというと、評伝の中ではトップクラスと言っていい、斎藤貴男「夕やけを見ていた男」(新潮・文春・朝日と三度化されていて、リンク先は一番新しい朝日文庫版です)を読んだからです。最初は「マンガ界のレジェンド梶原一騎とはどういう人だろ?」という興味でしたが、「こんなに生き方がヘタで、不器用な人がいたのか」という哀れさと、「スキャンダルにまみれた晩年の梶原はつきあいたくないけど、悪い人ではないのだろうな」と放っておけない的な愛情です。余談ですが、斎藤貴男が評伝を描かないのは、「梶原より興味を持てる人間はいないし、雇われ仕事で書いてもクォリテイ―が落ちるだけ」と思っているからでは?と思っています。

前置きが長くなりましたが、フォロワーさんである菅原さんが約半分を執筆した「昭和40年男 我が心梶原一騎」の感想文を書きます。

 「巨人の星」ですが、子供の頃なぜか最終巻だけ家にあったのです。当時は「なぜラスボスがライバル花形ではなく、星一徹と組んだ伴宙太なの?」という疑問がありました。今思うと、「親の世代を子が越えないと、社会の発展はないし、『親を越える』というのが全ての子どものテーマ」ということではないのか?ということです。そして、親友である伴と戦うことは、「気を遣って衝突を避けるのではなく、ときには衝突しないと親友は得られない」という友情の厳しさを読者に教えたと思うのです。

 そうなると、飛雄馬がヒジを壊して球界を去るラストはバッドエンドではなく、飛雄馬は父一徹を越えたのだから、もういいのだ。というハッピーエンドになるのです。このことを中学生、高校生がターゲット層であるマガジンで描いた梶原一騎は凄い

 菅原さんが指摘している(P111)ように、飛雄馬はノンタイトルだし、完全試合さえもうやむやになり、ジョーは世界タイトルを取れずと梶原作品はバッドエンドが多いとされていますが、その理由は「努力して結果を出すのは尊いことではなく、努力する過程こそ尊いのだ」と解釈されますが、それは梶原が少年時代は救護院で過ごして、親の愛情を得られず、作家を志すも売れず、マンガ原作に進まざるを得なかったという体験から、「全てを得られる人生などないのなら、結果より過程を重視した方がいい」という人生観に到ったのなら、梶原の孤独を察することができます。

 もし梶原が救護院に行かずに親元で過ごし、最初からマンガ原作にやりがいを感じていたなら、飛雄馬は沢村賞、最多勝、防御率などのタイトルホルダーになり、ジョーは世界チャンピオンになっていたかもしれないです。でも、それが名作になったかは別の話なので、「人生はままならない…」という無常を感じます。梶原が作品を通して伝えたかったのは、人生はままならないのだから、結果より過程を大事にした方がいいということかもしれません。

 昭和40年男 我が心の梶原一騎は「夕やけを見ていた男」と併読すると面白さが増しますし、「梶原を語るには、もっと梶原作品に触れないといけないな」と思ったので、この記事を書くにはまだ甘いというか、資格がないなという結論に至りました(大汗

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