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「命題的コミュニケーション観」-発言内容の正しさは態度全体を正当化しない

1.「命題的コミュニケーション観」とは何か

「命題的コミュニケーション観」とは、人の発言の一つひとつをあたかも論理学でいう命題のように捉え、その真偽(正誤)のみに着眼するコミュニケーション観をいう。

『地球は太陽の周りを回っている』(真)

『人を殺してはならない』(正)

『外国人に生活保護を受給させることは憲法違反だ』(誤)

『企業就職したいのなら、文系院進学は控えるべきだ』(確からしい)

ここでは「命題」を、真偽や正誤、あるいは確からしさといった様々な尺度でのジャッジを受けるセンテンス、と広く定義する。そうすると、上に挙げた『』内のセンテンスはいずれも命題であるといえるだろう。

命題的コミュニケーション観は、人の様々な発言の中でも命題に注目する。そしてその真偽や正しさを検証しようとする。こうした検証自体は問題ない。ところが、命題的コミュニケーション観はしばしば発言内容自体の正しさにこだわるあまり、発言対象や発言のタイミング、話題の選択といったメタ的なコミュニケーション情報を無視しようとするのである。

2.典型例:痴漢被害者に対し冤罪問題を説く者たち

セクハラや性犯罪の被害者らが自身の被害経験を可視化する「#metoo」運動が、ここ最近日本でも活発となっている。この運動の趣旨や意義については様々な捉え方があるだろう。ただし当事者の意図としては、被害の事後的救済や加害者の糾弾といったことよりも、そうした性被害がいかにありふれて存在しているかを示そうとしての被害告白であることが多いようだ。

こうした性被害の告白の多くは、TwitterのようなSNSでなされている。そして、被害者に対してわざわざ言うべきでない発言を当てつけのように投げつける者がよく目に入る。

たとえば、電車内で何度も痴漢された被害経験を告白するツイートへのリプライとして、

『ただ、痴漢冤罪の問題も深刻ですね』

『中には痴漢被害をでっちあげてカネを巻き上げる女もいて、僕たち男も困ってます』

というような当てつけをわざわざ送り付ける者がいる。痴漢冤罪が司法的な側面から困難な問題であることは真実だろう。痴漢被害を騙って美人局をするような犯罪者も確かに存在する。上記『』内の文は命題的には正しい。だが、全体的な態度としてはどうか。実際の痴漢被害に遭ったという個人の声に対し、痴漢冤罪や美人局の問題をピンポイントに持ち出し、相手の反応を伺おうとする姿勢。何らの必然性もなく、こうした別の問題を被害当事者に押し付ける態度は、当該痴漢被害の深刻さを希釈化・相対化し、被害告白を抑圧するものといわれても仕方がないだろう。痴漢冤罪の問題を、実際の痴漢被害の個別事例にかこつけて論じなければならない必然性はどこにもない

このように、発言内容の命題としての正しさは、発言者の態度全体を正当化しない。いつ、どのようなシチュエーションで、誰に対し何について発言したのか。そうしたメタ・コミュニケーションも踏まえ、発言者の態度を評価すべきなのだ。

ちなみにタイムリーな話題として、財務省事務次官セクハラ問題に関し、麻生太郎財務相が「『セクハラ罪』という罪はない」などと繰り返し発言するという問題があった(現在は「撤回」したようだ。この言葉の軽さたるや)。これなども、セクハラ罪という罪が刑法上存在しないこと自体は真であるが、それを殊更に言い立てることの意図や効果は明らかだろう。つまり、道義上許されないはずのセクハラ行為の不正性を希釈化し、結果としてセクハラを助長、さらに被害告白を妨げているのである。

3.命題的コミュニケーション観が正当化しがちな態度の特徴

ここで、発言内容自体の正しさによって、全体的な態度の不当性がごまかされがちなパターンを一般化してみようと思う。

(1)「それを持ち出して、何が言いたい?」パターン

物事のサブ的事項や本質的でない部分を殊更に取り上げ、印象を誘導する(ex. いじめ被害者や児童虐待の被害者にしばしば不良な素行があったことを不必要に取り上げる)

(2)「メインはそこじゃない」パターン

物事の例外的事項を針小棒大に取り上げ、コミュニケーション・リソースを占有する(ex. 組織の方針を決める際、リスク面ばかりを事細かに論じる)

(3)「俺に言うな」パターン

責任のある張本人には言わず、その下の末端の人間に言う(ex. 上司Aが部下Bに対し、上司Cの現在進行形の誤りを指摘する)

(4)「それ今関係ある?」パターン

その状況下での本筋とは離れるトピックを持ち出し、話題を逸らしたりフリーライドしたりする(ex. 配偶者に家事分担について相談を持ちかけたつもりが、いつのまにか家計と浪費癖の話にすり替えられる)

(5)「ちゃんと言え」パターン

言うべきことをきちんと言わない。何も言わない分、誤ったことを言っているわけではないが、その不作為自体が問題である場合(ex. 商品やサービスのデメリットを伝えない。必要な注意喚起をしない)

4.まとめ

今回は、「発言内容自体の正しさ」と「全体としての正しさ」という観点からコミュニケーション観について考えた。ただ、この概念の射程はもっと広い。

たとえば、彼氏を褒めるときに髪形や服装といったビジュアル面ばかりに言及する態度からは、その彼女の価値観や人となりがみえるだろう。ただしそうした事例の場合は、ほとんどの人が自然にメタ・コミュニケーションを踏まえた評価・判断をしている。

やはり問題となりやすいのは、今回事例として取り上げているような、発言者の態度に問題があるものの「言ってること自体は正しいから...」とごまかされがちな場合だ。そうした場面に遭遇したときに、「言ってることは正しくても、それを今ここで言うのは違うでしょ」と切り返すことができれば、状況を適切な方向へ導けるかもしれない。

「ファクトチェック」がブームになりつつある今だからこそ、ミクロな正しさによって不当な態度を糊塗する行為に惑わされないようにしたいと思う。


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