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うさぎ式読書日記200413

昨日は雨で寒い日だった。
起きてTwitterを見ると、総理大臣が優雅に茶を飲んでテレビを見るという画像が流布されていた。星野源が呼びかけたコラボレーションに乗っかって投稿したものらしく、本当に醜悪なものだった。感染症で死者が出て、多くの人の生活が困窮する中でこんな画像を投稿できるという感覚が、もう頭がおかしいとしか思えなくなる。タイムラインも騒然としていた。
起きてからも部屋の中にずっといて、温度計を見ても16度でそれほど低いわけじゃないんだけどなあとか思いながら、石油ストーブに火を入れた。
猫が来てその前に寝転がる。
洗濯をしてトイレ掃除をして、読みかけの漫画「大上さん、だだ漏れです。」の最終巻を読んだりした。なんとなく最近は展開がもったりした感じだなあと思っていたんだけど、最終巻はすごく気持ちのいい終わり方で良かった。
昼はカレーを食べてちょっとうたた寝したりする。
ずっと部屋で座っていると、猫が足に登ってきて、そこで座ったりする。猫は飼い主の身体に乗ってくるようなことをめったにしないので、嬉しくて足がしびれても我慢する。
やることばかりだと思うと、逆になにもできなくなるものだ。
同僚が競馬好きで、話を聞きながら数百円だけ買っているんだけど、そのレースを見るためにほとんどつけないテレビを付けた。
2年前の大地震の時にアンテナが曲がって以来つかなくなったBSの電波がなぜか復活していて、意味もなく「空港ピアノ」を見たりする。
そのあと見た競馬は当然外れ、またテレビを消して、ずっとTwitterのタイムラインを眺めつつ、近くにあるものを読み散らかす。
夕方になって、雨の中を近くのコンビニに行った。会社に置き忘れて傘がなかったので、上着のフードをかぶって外を歩く。
桜は半分散って、それも悪くないなと思った。そうして上を向いて歩いていたら、子供連れの親子とすれ違った時に子供が自分に当たりそうになって、かわしたら溝に落ちそうになった。
コンビニのレジには上から透明のビニールカーテンみたいなのが降ろしてあった。店員の人も、なるべく人と手を触れないようにしている感じだった。

帰ったら、ほんの10分くらい出ていただけなのに、猫が仕事から帰ってきた時と同じようにベッドに飛び乗って腹を見せて寝転がり、撫でて欲しそうにする。
いい加減に撫でて、また座椅子に座ってスマホでYouTubeを見た。
先月から始まった #新生音楽 という、高野寛と映像集団が始めた新しいコンセプトのライブ番組の第2段があって、それを2時間ずっと見る。
高田漣が父親の高田渡の「坑夫の祈り」を演奏していて、とてもよかった。
この番組はずっと各アーティストの自宅からの画像でつないでいくもので、それぞれの部屋の中が垣間見えてそれも楽しい。
高田漣はカメラの映る場所に「THIS MACHINE KILLS FASCISTS」と書かれた帽子を据え置いていた。この言葉の成立にはいろんな話があるけれど、ひとつの明確なメッセージを持ちながらこの歌を歌っていたのは確かで、すごく勇気づけられた。
他にも鈴木慶一が演奏している時に、横のインコがギャーギャー言っていて、それが妙に音楽に合っていてすごいなとか思ったり、それぞれが面白くて、良かった。
そのあとは、「みんなのコミュニズム」を読み始めたり、メールの返事を書いたりした。
土曜日から4連休中だというのに、ずっと続く不安感はなんなんだろう、と一日中思っていた。
月曜日は休みの日なのに、どうしても月曜日中じゃないとだめだと言われた、実際にはやってもやらなくても大きな影響のないような作業をしに、どうしても出勤しなくてはいけなかった。
そんなこともあるのか、それだけじゃないのか、季節の変わり目だしなあとか、世間には鬱になる話しかないしなあとか。
それでも、いいことだってあるし、本当に外側から見た事実というよりは、自分自身がとてもグラグラしているんだと思う。4月になってから、ずっとそうだ。
ただ、こうやって日記を書いていると、少し気持ちが落ち着いてくる。

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