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平成の贅沢禁止令と令和の社会主義

どんなに不況でも無理な社会主義化による歪みと崩壊を考えれば、自然の流れは資本主義だと思って。(過去形)

宇佐兎三でございます。

主義とかなんとかイズムというものはほぼほぼ宗教であり、その中にいるときは疑うことすらしない。科学信仰型資本主義が正しいと思ってたけど、それを疑いはじめちゃったから時代の転換点なのかもしれない。

ただ、なんかいくつかのアイデアがコチャコチャっとしてる状態なんだよね。むしろ引用として概要は知ってるけど、きっちり読んだことないマルクスを読んだ方がよくね?って思っているところで。

よく引用される中で宇佐兎三が理解しているマルクスの「資本論」は、彼自体資本主義を否定して社会主義こそが正義だ!なんていった人なのではなく、高度な資本主義の末に社会主義が到来するというものだと記憶しているのだけれども。
ちゃんと読んでないから知らんけど、衰退期の格差是正と脱成長をすると結果そうならないかと。

今の10代くらいの子たちの、ネイティブでライングループとかがあって目立たずなんとなく横並びのところにいたい感って、左とか赤とかリベラルとかそういうのと違った自然な流れの社会主義化なんじゃないかと。

なんて選挙前に途中まで書いてたら、なにげに自民党負けてるやんけぇぇぇ!
若いほどに国民民主党に入れてる。どうせなら選挙前に記事出したかった(笑)

タイトルはちょっと変わってるけどw

ここより上の文章って1週間以上前に書いてるのよね。
ぼんやり思ってたことがマジで目に見える形で現れると思わなかった。

バブル期くらいの日本を揶揄して

「日本は、地上で最も社会主義が成功した資本主義国家だ」

なんて話があるしね。

資本主義による格差の拡大が国としての衰退つながるならば、その後に格差の是正をするのは社会主義なんじゃないかとか。

宇佐兎三が感じてる違和感

宇佐兎三は、資本主義の象徴とも言えるiPhoneもNVIDIAのハイスペグラボが搭載されててるゲーミングPCも大好きだし、エアコンのない生活なんてありえないと思ってるし、なんだかんだで買い物は楽しいから基本的には資本主義万歳っておもってるし、必ずしも社会主義的な考え方が良いとは思ってないんだ。

でも、お金がないといいつつモノが溢れてる部屋に住んでる人の存在とか、こんなに使う人いるのかな?っつーくらいに大量生産された店に並べられた安モノとかを見るとそんなに必要なのかなってちょっと思う

まぁデパートでウィンドウショッピング楽しいけど!楽しんだけどぉぉぉぉ!
宇佐兎三ね他人が作ったもの見るのは好きだけど、友達がうらやましいっていうくらい元から物欲薄いし、モノ買わないからなぁ。欲しいと思ったものは普通に買うけど。

うまく言えないんだけど、その昔は輸出大国だった日本も今となっては内需が7〜8割だそうで、値段は海外製の激安品じゃなくて、日本製の何千円かプラスしてちょっと良いものを揃えていったら、先方の商売としては買い替え需要がなくなるから結果的に商売としてはおいしくないしGDPは増えないけど、一生使えるものなら資源としてももったいなくないし、そういうものを使った方が良くない?って思ってて。

この記事のテフロンフライパンからステンレスフライパンに買い替えたのも、なんとなく2年で使い捨てのフライパンってどうなのよ?って思ってた部分とかも強くて、半額のお惣菜ばっか食べてて実はあんまり持ってなかった調理器具とかもちょっと高くても、劣化がゆるやかな(宇佐兎三が死ぬくらいまでは使えるはず)日本製のステンレス製のものにしてるんだよね。(ドイツ製にしたらよかったと思ったがw)

みんながこういうものばっかり買っていくと、結果的にモノはだんだん売れなくなっていくかもしれないけれど。粗悪品で経済を回すのはやっぱちょっと違うと思う。モノは長く使った方がいいよねって思う一方で、2年前に買った中古戸建の水回りは全部交換してるから、どの口が言うんじゃ状態だけれども。
ただそれでも中古住宅をちょっとづつ手を加えながら住んでいくのは、全体をみればエコな感じはするけどね。

日本は新築至上主義だけど、物価上昇、資源高騰、あとはもしかしたら住宅の質の向上でで案外そっちに流れていくかもしれないよね。
木造だとさすがにヨーロッパみたいに江戸幕府ができたころからある建物みたいにはならいにしても築25年とは言わず倍の50年くらいは保つようになるかもしれない。
そうなれば、通算で2〜3世帯が1つの住宅を使うことができる。ただこれに関する懸念事項は、日本ってめっちゃ地震国なんだよね。新築の耐久年数はこれくらいの期間大地震に見舞われなかったらラッキーだよねってくらいの長さになってる気もしなくないんだ。そして大工さんを減らさない知恵だとしたら?と思わなくもない。
それにしては高すぎると思うけど。そう言う意味ではせめてリフォームくらいはして大工さんの経済回した方がいいのかなぁ?

ミニマリストと脱成長

技術革新しても単価が下がるだけでそんな儲からなくて、給料も上がらないんだったら、もう成長とか発展とかやめりゃいいんじゃね?って一瞬思ったし、経済の成長を願っているのは庶民だけで、そもそも日本政府自体がそうしようとしてるんじゃないかと最近思っているんだけれども。

なぜそう思ったかはこの記事の動画を見て欲しいんだけど、

もしも日本政府が経済の成長を願っているならば、国債をバンバン発行してでも経済をまわしているはずなんだけれども、この30年に政府がやっていることは完全に脱成長なんだよね。
そうであるならば、私たちもそれに最適化した生活を送るべきだと思っていて。

先人たちを残した大量のモノは社会としてはすでに手にしているから、できるだけ無駄なく使うみたいな。
とりまコマーシャルに流されて粗悪品買うのやめろwってところから。
究極の最適化例ってやっぱミニマリストなんだろうなぁ。
全部捨てろ系の極端なミニマリストは個人的には非推奨なんだけど、でも宇佐兎三自身趣味のモノがそこそこ多い一方で、生活はミニマム。
無駄なものを買わないところから始めるミニマリストならそれはそうだろうなって思う。(捨てるところからはじめるファッションミニマリストは好きじゃないし、極端すぎて頭悪いのかなって思ってるけど)

それに対応できずに、未だに大量消費を続けてるタイプがお金が無いと叫んでいる気がしていて。政府は贅沢をするなとは言っていないけれど、経済は日本人に贅沢をさせないように動いている。
そして上からどうしろとは言われない静かな動きの怖さは、ちょっと高いものが買える層はトータルではあんまりお金を使わなくても生活できるようになって、お金がない人ほどお金がかかるようになってる。NISAが「無駄遣いしないで投資に回せ」というメッセージなら割と遠回り過ぎるけど、政策や経済から感じるのは完全に贅沢禁止令なんだよね。
つまり、知能が試されちゃう。
江戸時代の贅沢禁止令みたいに禁止項目がある方がよっぽどマシよ?たぶん。
義務教育したから考えれるでしょ?ってかんじだったら…うーん。

知能が試される無駄遣いというのは単に高価なものを買うというよりかは、ちょっと高くても高級なものという意味ではなく質の良いものを買えばずっと使えるのに粗悪品をつかまされ続けたり、便利さとか時間の無さの裏返しで食べ物だったりを毎日ちょこちょことだけれどもちょっと高いものをつかまされ続けたりみたいな方が多い気がしていて。
見栄で高級品をバカスカ買うようなのは問題外にしても、安いモノを使ってればいいわけじゃないからこそ、贅沢禁止令も出せるわけがないんだけど。

逆にお金があるなら、結果的に割高になる安物をちょこちょことつかまされてもいいんだけどどういうわけかそうならないところが微妙だし、現金と掛け売くらいしかない時代から考えると現代の金融システムが複雑になってて初見殺しだしめんどくさいけど微妙にめんどくさい手順を踏むと、割引されるようになってるところも微妙なんだよね。ポイントとか優待とか。
別のところでついたポイントをこっちに持ってくるとかやると、案外お金を払わなくて済んじゃうケースとか最近増えてる気がしてる。(だからといって嵌め込まれると余計に無駄遣いが増えるんだけどw)
NISAで優待付く株買いました!みたいのもしかり。

そして、質の良いものが近所の店で売ってるとは限らない。

もう一度出しちゃうこの記事でも書いているんだけど、よく行ってるホムセンには消費する道具ばっかり売ってるって気づいちゃったんだよね。生きてる間に消耗しないものの値段自体はせいぜいホムセン価格の2倍から3倍程度の値段だけど、自分で調べて探さないとダメ。(ちなみに宇佐兎三の場合は、参考記事のタイトルどおり、1つ目は使うかわからないのとすぐ使いたいからとりま安物で、2つ目はものすごく吟味する)

この傾向はおそらく他のジャンルのモノにもあると思う。
いろんなジャンルでそういうものがあるからこそチリツモで差が出るんだけど、計算できないと結構キツイ時代だよね。あと日本人の財布の紐が固過ぎる結果あまり粗悪な安物しかなくなる世界とか地獄だからそこはちゃんと考えた方がいいと思う。
その結果が計算無理!全部投げた!全部捨てる!が極端なタイプのミニマリストなら、幸せなら好きかはともかくそれも否定しないけど。

宇佐兎三が思うにこのミニマム化していく経済の行き着く先は、中世ヨーロッパの暗黒時代だわ。タイトルも覚えてない昔読んだ本によれば、この頃働くのはガチで悪だったらしい。学生のころかそれに近い頃に読んだので、あんまりピンとこなかったし失われた30年のもうちょい早い時期でまだまだバブル志向をひきづってたころだからヤバイ時代だと思っていたけれど、今は働くのは罰ゲームな世の中になりつつある気がしてる。
タイトルも不明だけど今読んだら案外今の時流にあってるかもしれないと思うんだ。

それが転じると、プロテスタントではない旧いタイプのキリスト教みたいに働くのは罰であり働かないほどに良いみたいになるよね。

ただ、それが本当に悪い時代だったのかなんてわからないんだ。もしかしたら経済的、技術的成長こそしてなかったとしてものんびりした良い時代だったかもしれない。この時代に大学とかできたり、芸術とか文学が栄えたというしねって今は思うんだ。

中央集権ではないフラットな社会

そんな経済状況で我々が意識すべき社会は、クライアントサーバー的中央集権的社会ではなくP2P(peer-to-peer)的な人と人が直で繋がるフラットな社会だと思う。中央集権的な社会主義って完全に赤い旗の国なんだけどおそらくそういう方向ではなく、対等に繋がる平等な社会。

Peer_to_Peer|Wikipediaより

宇佐兎三自体、インターネット黎明期くらいのP2P思想毒され気味だからそう思うだけかもしれないけれど、そういう形なら理想的だとは思ってるんだ。

ただ、そうはいってみているもののリアルの地方出身の友達に「宇佐兎三は田舎なんて住めないよw宇佐兎三の地元なんてご近所づきあいそんなにないから、ガチのやつできないでしょw」って言われちゃってたんだけど、別の地方のゲーム友達のご近所付き合いエピソード聞いて、宇佐兎三にはそれ事案にならないのwみたいなのとかあって(もう一人の友達もその話きいてたんだけどその子も横浜育ちでちょっとひいてた)、もろにそういう世界かと思ったら、ちょっとクラクラしちゃうけどきっとそういうのも大事。

この間読んだこの本とかでもあったんだけど、

クライアント型システムによるビジネスによって、他人をどんどん感じない世界になりつつあるんだけど、普通にいるとそうなっちゃうことをきっちりと認識しつつ、別にその対策はそんな難しい必要がなくて、ただちゃんとリアルでも知り合いや友達をいろんなところに作っておく努力しておくのが重要だと思うんだよね。
そしてできることなら誰から買ってるのかも認識できるなら理想だよね。

そして、想像でしかないんだけれども旧いクライアント型社会主義は生産者や労働者が誰かというのは関係なかった。
そういう思想をする人は一般的に勤勉だけど、そうじゃない人を想像できなかったから失敗したなんて言うけれども、それだけじゃなくて政策がマクロによりすぎててミクロの視点…個人をないがしろにしすぎたのも崩壊の原因だと思う。

もし新しい社会主義的なものができるとして、「誰が作っているのか」「誰から買っているのか」がものすごく重要になってくる気がするんだよね。

それって結局のところブランド力であって資本主義じゃないか!となりそうだけれども、資本主義を経た成熟した形での職業選択の自由と自由経済の上に成り立つ社会主義なるものがあるとしたら、大きい製造工場がないと作れないものはともかくとして、小規模で作れるものほどにおそらく直接取引による経済活動になると思っていて、いかに繋がりを個人的なつながりを作れるかにかかってくるんじゃないかなって思うんだ。
そして、働く場合も対等で個人的なつながりの中で手伝うように働く

現在の技術だと一見そうしているようなシステムは、あくまでもクライアント型システムの中でのマッチングで仲介料を手数料として取っていて、また個人間での取引の結果労働力をダンピングしているような状態なので働く側としてはあんまり良い結果になってないのだけれども、そこを解消できるようになるには、ベースとしては働かない社会なんだろうなって思うんだよね。

「みんなが働く」をベースにしているから、困窮しているような気がしてて、そうじゃなくなるようにするにはやっぱベーシックインカムなのかなぁ。

ただ、それを無理やりやろうと思うとマクロ経済(上方)からの押し付けになるからおそらく赤い旗の国みたいな結末になるので、下からのムーブメントであくまでも自然な流れで。

ってところまで政府が計算しているならば、すげーなって思うけど、まぁそんなことないだろうなって思うし、もし計算づくならなおさら無理やり社会システムを変えるとろくなことにならないのは知っているはずだからそうもできないだろうなって思うと、あくまでも自然に身を任せながらどうするのがこれからの時代に最適なのか考えていく必要があるんじゃないかなと思う。

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