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理想を突き通すのって結構難しいよねって話
ここに堂々と書けるのは、実際に言われなかったら、いや言われてなお首をかしげるレベルでそうなってなかったからなのだけれども、おじいちゃんちは「おじいちゃんが思うアメリカの邸宅」を模したものだったらしい。
宇佐兎三でございます。
おじいちゃんが雑誌や映画で見たアメリカの邸宅は、メインストリート側に芝生がある平屋で、洗濯干しはもともとは家の裏側だったそうで。増築されて私が生まれた頃にはテラスはなくなっていたけれど、テラスにあがるための段の名残として謎のコンクリートの段があった。プールを掘るのは無理でも、母が子供の頃には子供用のビニールプールをそこに置いていたりしたらしい。
大学生時代にアメリカの知人宅に訪問したときに配置をみたら「あ〜これを目指してたのか!」とは思ったけれど、洗濯は私が生まれた頃には結局日当たりの問題で、敷地の表側で干してたし、芝生はあったんだけれども実用のあれこれでだいぶ潰されたり車で禿げていたりした。
何より周りの家がそうじゃないのに加えて日本の大工さんが作った日本家屋だったからね。
もともとはテラスだった場所にあがるための広めのコンクリートの段は、子供の頃にいた犬のお気に入りの場所で犬がよく寝っ転がっていたのだけれども、縁側の石にしてはでかいコレはなのかと思っててこの台なんだろう?ってしばらく謎だった。(もしかしたら当時の大工さんの発想の限界とかもあったのかもしれない)
真新しかった頃はもっとアメリカ風にみえたんだろうか?
きっとそんなことない気がするけど、白黒の写真じゃ判別できなかった。
おじいちゃんちは割とこだわった注文住宅だったのだけれども、北にあった玄関は縁起の問題だけでなく、敷地内への入り口からの動線からちょっと無理があったっぽく使われてなくて、みんな増築された元テラスから入ってたし、それじゃあといって私が中学生か高校生くらいのころに犬を閉じ込めてる敷地(といっても、私の家2軒分以上には広い庭の中に1匹なので他のこの辺の犬よりはよっぽど自由に動き回ってた)の中に玄関を増築したものの、玄関として使われたのは1カ月程度でその後は高級な犬小屋になってしまっていた。
新しい下駄箱には何足かは靴も入れてたらしいけど、大半は犬用おやつやグッズ置き場になっていた。
玄関ができる前、そのころの犬は寝るときに具合が悪いとき以外は家にあげてなかったと思うんだけど、その前の犬は寝るときだけ新聞をひいたその増設した玄関側の隅に新聞をひいて檻をおいてそこにあげてたので、引き戸で区切られた内と外の中間地帯ができたならば当然の結果とも思えなくないんだけど。
なにより玄関に犬の寝床用の檻を置いちゃったらまぁそうなる。
それが悪いことかと言えば、妥当というか、犬にとっても人間にとっても良かったんじゃないかなって当時は思ってた。実家から徒歩でも行けるくらい近かったので父もその件はもちろん見てたし知ってたけど、行く頻度が私や母に比べると少ないせいもあって"玄関だった"短い期間には来れなかったので「良い犬小屋できたね」くらいだった。
おじいちゃんの理想とはかけ離れていたけど、あの家の理想と現実のギャップが悪いものだったかというと必ずしもそうでもなかったと思う。
(ただ、実用に傾きすぎると部屋が散らかる傾向にあるのでそれは良くないと思うけれども)
理想とは削ぎ落とす側面の方が大きい
家いじりをしてて思うのは、ものすごくわかりやすい形で、理想と現実を突きつけられるなって思うんだよね。
宇佐兎三んち自体は、値段で妥協に妥協を重ねた物件ではあるんだけれども、その中で最大限に理想に近づけているともいえなくないわけで。
で、宇佐兎三の本業的には"コンセプトに合わないものを削いで整理する"なんていうのは当たり前だから割と慣れているけれど、それでもそれを家の中でやるのははじめは結構工夫が必要だった。
そこを「工夫するのがめんどくさいから、全部捨てるし増やさない!」っていう無理が祟っている人というのが「やっぱミニマリスト辞めました」というような、下手なミニマリストなわけなんだけど、宇佐兎三はデザインとして「スカスカすぎる」のはそれはそれでセンスがないと思ってるのよ。
もちろん余白が美しいデザインもある。
でも何もないのは違う。
背景の素材感、照明の演出があるからこそ余白のある空間がひきたつだけで、コンセプトもなく(「何もない」というのがコンセプトなのかもしれないが)ただ何もないだけの普通の部屋に通されて「いいでしょ?」って言われてもうーんってなっちゃう。
とはいえ、理想を諦めてコンセプトを無視しはじめると、玄関すら一瞬で犬小屋になるんよなぁぁぁぁっておもっちゃうわけで。
もちろん一人なら理想を通せても、他人もいる話だと案外実用に寄っちゃうのは仕方ないのかもしれないけれども。
宇佐兎三が割とコンセプトって大事だよねって言ってる理由の一つはコレだよね。
理想的な家にするなら、ミケランジェロがダビデではない部分を削りとって傑作を作ったように、コンセプトにそぐわない部分を徹底的に削いで行かなきゃダメなんだよね。宇佐兎三んちも寝室は本当に寝るだけの空間だからルンバをかけるくらいでいいけど、リビングはいる時間が長いのでそこそこ机の上が散らかるので、週1回10分くらいは片付けてるし、ついでに5分程度は置く場所の見直ししてるよ。
ゴミは都度ゴミ袋にいれるようにしてるし、使ったものをは無理なく元に戻せる位置にがっつり設定してるし、それでも出しっぱなしにしちゃったものは悪くなる前に片付けてるからそんなもんだけど。
とはいえ、目に見える部分はもちろんだけれども、何かの目標としての目に見えない理想だって案外そうなのかもしれない。
理想とはかけ離れた行動とかをそぎ落としていくことで、ちょっとづつ理想に近づけるのかもしれないよね。ただ、目に見えないのと、自分のことをかなり客観的に観る視点がないとなかなかに難しいのだろうけれども。
そして、目標とかも一人でやる話ではなかったら、他人のある話になってくるので、必ずしも理想と現実のギャップはでてきてそのあたりの調整は必要になってくるだろうなと思うと、理想の方向に向きつつもそれは一旦忘れて目の前の実用を取っていった方が幸せだろうなとは思うんだけれども、それでも自分で完結する理想ではないところは、やっぱ削げるだけ削いだ方がいいよね。
なんて、おじいちゃんちのものを片付けながら思ったんだよね。
おまけ。
おじいちゃんちのものを整理していたら出てきたら、出てきた初めて見た謎の記録媒体。(名前知ってる人いたらコメントで教えて欲しい!)
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昔のコンピューターは、テープに記録してたみたいな話は聞いたことあるんだけど、完全に音楽用カセットテープのことかと思ってたら、専用媒体あったのね。
おそらく原理的に鑑みるに、音楽用カセットテープだってデータ保存できるんだろうけど。たぶんフロッピーとかZIPの素材も似たり寄ったりだろうし。
コレ見て、うちではじめてMacが買ったとき、うちの母が躊躇なくいろんな記録媒体のドライブを買い揃えてたのなんか妙に納得したよね。フロッピーは本体についてたけど、ZIPもMOも外付けのドライブを買ってたので。ZIPなんて結局1年も使わなかったと思うけれど。
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