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夢と現(うつつ)の間で
このタイトルは、大学時代に作文の授業をとっていて、そのときに書いた文章のタイトルだったりする。特段未来予測的な内容ではなかったのだけれども、世相にあっているのかなと思ったので、今回の記事タイトルにしてみた。
真夜中に更新しつつ一旦消したのは、月額マガジンのシステムを正しく理解していなかったことに気づいてしまったから。ほんと申し訳ないのです。
なお、このマガジンのシリーズは宇佐兎三がファンに向けて思ったことを垂れ流しているため、普段よりモヤッとした感じだったり、オチがちゃんとつかない記事だったりします。ご了承くださいませ。
学生時代に書いたその文章は原稿用紙1枚(たぶん400字?)程度のもので内容は、
現実に生きている私たちでも、特に都会に住んでいれば建物だったりそうでなくても家の中で目の前に広がる風景は物質に囲まれている。しかし、それらというのは誰かがいつか「夢」をみて作った産物であり、現実にいながらにして誰かと誰かの夢に挟まれている。
そんな内容だったと思う。
「夢かうつつか」と言った場合の夢は、基本的には「眠ったときの夢」のことを指すことを多い気もするのだけれども、空想だったりとか想像そして創造としての夢と、うつつ=現実に掛けるという内容だった。
例えば1000年前の人が現代に突然タイムスリップしてきたとして初日にパッと価値を見出せないものというのは(1ヵ月もいればある程度のものは用途がわかるかもしれないけれど)、大抵何かしらの用途だったりの「付加価値」という名のストーリーがのっかっている。
例えば、USBメモリをみてペンダントトップ的な装飾品だと思うかもしれないし、通電しないNintendo Switchをみて精巧な石版だと思うかもしれない。(逆にオーパーツ的な話をしてしまえば現代では失われた動力で動く何かが太古の昔にあったとして、同じように通電しないどころか風化したため、ただの装飾品扱いしているけれど実は記録媒体のマイクロチップでした!なんてものもあるかもしれない。というのは蛇足。)
そういったものって、一応は現実の範疇にはあるのだけれども、考え方によっては、半分は夢によってできているという考え方もできると思う。
さて、そんな作文を書いてから幾年も経っているのだけれども、当時書いた内容というのは間違ってたなと思うどころかむしろより現実味を増してきていると思う。
海外の話はあまり明るくないため、日本の話に限定するけれども戦後の高度成長期からバブルにかけて、物質偏重と言われるくらいに家の中のものは増えた。ただ、私の子供時代か何が種類として増えたか?ゲーム機などは進化したかもしれないけれども既にあったしなどと考えると、インターネットにつながるPCとスマートフォンくらいしか思い浮かばなかったりする。(コンピューターも私が生まれる前からロッカーサイズのならおじいちゃんちにはあったしなぁとか…なんならプリンターもタワー型+ブラウン管モニタのワープロもあって質はともかくスキャナもついてたし、まぁ、もっと古いタイプで和文タイプライターもあったけど)
正直に、甥っ子のおもちゃ選びながら何にびっくりするってキャラクターは変わってるし若干の進化はしていても思ったほどには変わってないところ(笑)これが親世代と私世代の子供の頃のおもちゃを比べるともっと違うきがするのだけれども。
何が言いたいかというと、これ以上モノの種類いらないよね?ってあたりまで何年も前に来ているのではないかと思うのですよ。そもそもアップデートはされているけれども、新しいものが出てくる速度が急激に落ちているのは、現実化する夢の限界に既に達しているかもしれないし、
そのカウンターカルチャーとしての流行が、断捨離かもしれない。
最終的に日用品くらいしかほとんどいらなくなってしまうかもしれないななんて思ったりする。この傾向は実は私自身既にあって食品スーパーマーケットで売っているものくらいしかこの1年買っていない。そもそも数年前にMMORPGを始めた段階でクレジットカードの請求が半分まで下がっているのだけれども。(現実の洋服よりも、ゲームの中の鎧の方が欲しい!ってなってそれを獲得することで物欲は満たされていたので。それでも最低限の洋服は買っているけれども)
さすがにすぐにとはいかないだろうけれども、マトリックスであったり、もっと古くは「百億の昼と千億の夜/光瀬龍」(私が読んだのは親がもっていた萩尾望都の漫画版なのだけれどもものすごく面白い。漫画版はKindleではなさそうなのが残念。)の未来のディストピアで登場するカプセルの中で眠る人のように最終的にはなってしまう可能性すらあると昨今のVRをみていて思ったりする。
とはいえ多くの人の意識というのはつい1年前までもっともっと現実に、リアルに向いていたと思う。それが、コロナを機に一気に夢、幻想のような世界であるインターネットに流れ込んできたように、どっぷりそっち方面に元から浸かっていた私ですら思う。
実際に私自身10年前には世界中に友達がいて、子供時代は「ほぼ幻想の世界の住人」だった海の向こうの人々が、毎日話すものすごく身近な友達になっていたし、数年前にはその海の向こうの友達に聞いたedXというサイトでアメリカの大学の授業を興味のあるものだけとはいえ、受けていた。
その当時は、一握りの人の趣味だったけれども、それが好もうと好まざろうと今は強制されるようになっている。コロナがなくても現代のインターネットによるプレイスシフト傾向というのは「いつか」は到達した未来だっただろうと私は思っているが、その傾向が無理矢理にはめられた今、もしそれがなくなった未来もこの傾向は続くばかりだと思っている。
夢の領域が増えた世の中で、どう活躍していくのか?
この生活の変化自体をどう受け入れるのかが、今後の生き方のポイントになっていくのではないかと思っている。
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