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見てる世界が180°違う母と娘の世界が少しリンクした話

昔から母とはウマが合わなくて。でも子供的には喜ばせたい、と思って努力してた幼い頃。努力届かず関係が崩壊した思春期。早送りして中年を迎えた今、出来ることといえば、素のままの自分を丁寧に伝える作業。

二人とも粗悪な人間ではないのだけれど、私の欲しいものを母は持っていなかったし、私も母の思い通りにできなかったせいで関係が歪んだ。

口語での自己表現が苦手な私と、未知なものを受け入れたがらない母。ある日私は不得意の刀をたずさえ果敢に母に挑んだのだが、素振りの時点でシャットアウトされた。お互いの不得意な部分がぶつかって、はじきあった。磁石のマイナスとマイナスみたいに。結果、試合が始まる前に私の刀が折れた。気持ちを伝えられなかったショックよりも、聞こうとする気がサラサラ無いってことが私を闇にスッポリ落とした。

自分のコンセプトを母に伝えられないまま大人になり、結婚後も平行線。何かの集まりで顔を合わせても私の刀は萎えるか怒りに震えるか。プラスの要素はない。

新春占いフェア。軽いノリで体験したマヤ暦占いで、母とは180°見えてる世界が違うから分かりあうのは難しいはず。と言われ腑に落ちる。そこから萎えたり怒ったりの感情は薄まった。見える世界が違うと思うと、母と上手くやれない罪悪感から解放され心が軽くなった。互いが、見えてる自分の世界で、いいと思う生き方をする。お互いを侵害することなく。それがベスト。

さんざん自分の世界で楽しんで、身近な人に楽しさのおすそ分けも出来るようになった。すると母にも少し渡したくなって。でも押しつけにならないよう気をつける。異世界の人なので、良かれと思ったことが不快を与えるかもしれない。強引な宗教勧誘みたいになってはいけない。ちょっと覗いてみる?コッチの世界も、的な感じで。リアクションは無くても情報で繋がってる感は出るはず。気持ちが少しプラスに寄る。

そんなことをしてみたら、ある日突然、母が我家を訪れた。結婚し、持ち家になって10年だが、初めてのこと。その前の一人暮らし時代を含めると20数年ぶりの家庭訪問。散らかり度ほぼMAXだが、綺麗好きの異星人との異文化交流の会場としてはふさわしい。

そんな出来事があって、サラリと情報発信だけは続けてみようと思う今日この頃。異文化交流会ではお茶も出せなかったが、コチラの世界も悪くなさそうだと思ってくれたなら180°違う世界が、少し近くなるかもしれない。そしてそんな想像をするだけで娘の気持ちは不思議とやたら前向きになるのだった。

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