すべて手放したその後に
手づくり品をたくさん作ってきた。
初めは自分のためだけに作り、今も宝物のように所持している。
最近少しずつ人からの依頼も受けるようになり依頼品と分かっていながらも、完成した時には作品を手放すのが惜しくなる。
出会って数週間から数ヶ月、ほぼ毎日顔を合わせて偽りなく気持ちを確かめあってきた同士とお別れする様な。
しかし作品的には、お別れの後が本来の役目。しっかり果たせますようにと祈りを込めて送り出す。
作品が渡った先の依頼者さんから感想を頂き、喜んでくれていると確認できた時、やっと想いが昇華する。
ああ良かった、作ることに、手放すことに意味はあった。
そんな些細な手放しにすら心揺れる日々なのだが、この世を去るとき、すべてを手放さなくてはならない。もしかして、その時のための練習をしているのかもしれない、と思う。
手放したもの達が私に代わって作用してくれると思えたなら、死の中に希望を感じることもできる。
実際には見ることのできない先の世界だが
それでも想像しよう、自分の想いが作用し続ける未来を。今、持っていたり生きてる間にこれから生みだす全てが未来への送りものになり得るのだ。
だから種を蒔こう、より豊かなものを先へ送るために。
もの、ことば、考えかた。
未来を明るく照らすにはそれらをどんなふうに使うのが良いか。
もう一方で負の遺産は残さぬよう、奪うことなく憎むことなく生きる毎日を実践しよう。
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