#8. 大銀杏
まず髪に水を付けてよく揉み込む。
これをしっかりやらないと油のノリが悪くなり、出来栄えも良くない。
櫛で、ある程度まとめてから髪全体に油を塗る。中もしっかり。
ちなみに油といってもサラダ油のような液体ではなく白く固まったもの。
櫛をかけて油を伸ばしていくんだけど、慣れないと引っ張られて結構痛いらしい。
櫛には毛が巻き付けてあって油の塊りや髪についたゴミとかも取れるようになっている。
油のニオイは独特で、もし喫茶店とかにお相撲さんがいたらすぐにわかる。
俺も手とかにニオイが染みついちゃってるから、「香水、何使ってんの?」とか聞かれる事がある。
キレイにまとまったら元結という和紙で出来た紐状のもので結ぶ。
この結び方も歯を使って、しっかり結ばないとすぐに崩れちゃうから、かなり力を使う。
先っぽを櫛で揃えて、さっき結んだところから折り返し、また元結で結ぶ。
そして最後にカタチを整えて・・・
「ヨシ!出来たぞ!」
「ごっちゃんでした!」
「じゃあ兄弟子達に挨拶してこいよ!」
今日、初めて髷を結った新弟子のカネコ。
これから親方や関取、兄弟子達全員に「お陰様で髷を結いました!」と挨拶をしていく。
そして挨拶された兄弟子達から受ける恒例の儀式がある。
それはコンパチというんだけど、いわゆるデコピン。
丸出しになったおデコにバチコーンとデコピンを入れてもらう。
そして油銭を貰う。髷を結う時の油代は実はお相撲さん達が自腹で払っている。新弟子達はお金がないから、最初だけは兄弟子達が出してくれるって事。金額は人によってそれぞれだろうけど、まぁお相撲さんになって髷も結ったんだから、これからも頑張れよ!ってお祝いの意味もあるんだろう。
アハっ!カネコのやつ、もうおデコが真っ赤になってる!デコピン強い兄弟子達はいっぱいいるからな!
「イチさん!アタマごっちゃんす!」
「おぅ!」
俺は一重部屋の床山で床一って名前。トコイチって読む。キャリアはもう15年。
床山もそれぞれの相撲部屋に所属する。
俺が入門した時、今の師匠はまだ現役で大横綱の全盛期の頃だった。
その夏巡業の時。
横綱がケガをして東京に帰って来るってんで留守番の力士達が大慌てしていた。
それでその時、床山は俺しかいないのに横綱が帰ったらすぐ髷を結い直すなんて言ってるからビックリだよ!
まだ若い衆の髷だって充分に結えないのにいきなり横綱なんて・・
手は震えるし、元結をくわえる歯にも力が入らない。おまけに夏だから汗が止まらなくて、横綱に汗を落とさないようにそんな事にもビクビクしながら髷を結った。
でも結い終わった時、横綱は鏡を見ながら言ってくれたんだ。
「なかなか上手いじゃないか・・」てね!
ありゃ嬉しかったねぇ!あの時、ああ言われたから今まで続けてきたって言っても過言じゃねぇな!
しかし、相撲部屋には色んなお相撲さん達がいるから面白いよな!
髷を結いながら、お相撲さん達と色んな話をするんだけど、コレがまた楽しいんだ!
「イチさん、昨日、合コン行ったんスけどメチャクチャ可愛い子がいたんスよ!」
「へぇ!いいな!で、首投げ決めたの?」
「いや、まだっス!でもLINE聞いたからまた会いますよ!」
「そっか!俺も連れてけよ!」
やっぱ女の子関係の話題が多いかな!お相撲さん達も若者だからな!
「イチさん、今日駅前のパチンコ屋、新装開店スよ!これから行ってきます!」
「俺も終わったら行こうかな!良い台あったら取っておいてよ!」
パチンコ好きなお相撲さんは結構多い。
「見てくださいよ、この引っ掻きキズ!アイツ、ツメ切ってねぇんだもんなぁ!」
もちろん稽古や相撲の話もする。
まぁ俺の性格もあるんだろうけど、新弟子達も気軽に話しかけてくるから10歳以上も歳が離れた子達と話すのも楽しいよな!
床山の仕事は当然、お相撲さんの髷を結う事で、という事はお相撲さん達の稽古が終わって風呂も上がった昼頃に部屋に行けば充分なんだけど、そこはやっぱり部屋に所属してるってことで、それなりに早い時間に部屋に行っとかないといけない。
ていうか元々、入門した時は部屋に住み込んでいたんだけど、今は部屋の近所のアパート借りて一人暮らしをしている。
で、大体八時過ぎ頃には部屋に行って稽古が終わるまでチャンコ番を手伝ったりする。
手伝うと言ってもマネージャーのヨシオさんが美味い朝飯作ってくれるから、それを食べて、あとはヨシオさんやチャンコ番のお相撲さんと雑談してるだけだけど。
相撲部屋には魚とか肉とか、スゴい良いモノが差し入れでいっぱい来るから、毎日お相撲さん達と一緒になって食べていたら当然太る。入門してからもう10キロは太ったな。
「イチさん、千秋楽、大銀杏お願いします。」
「オゥ!そうだな!」
チャンコ番の藤井だ。
お相撲さんの髷には二種類の形がある。
一つはお相撲さん達が普段結っている、ただ髪をまとめて折り返した形。
もう一つが、相撲中継を見てもらえばわかると思うけど、お相撲さんの髷って先っぽが丸くなって、横側が広がってるよね?アレが大銀杏。
この大銀杏っていうのは基本的には十両以上に上がらないと結う事が出来ない。
(巡業とかで初っ切りをやる人達等は例外として結う事が出来るが)
お相撲さん達は入門してもほとんどが十両以上には上がれずに引退していく。
そしてウチの部屋ではちゃんと引退するお相撲さんには断髪式をやる。
その時、はじめて大銀杏を結う事が出来る。
藤井は俺より5年下だからちょうど10年目だな。
番付は三段目の上の方まで行ったけど、ヒザをケガしちゃって、最近は稽古も出来ずにずっとチャンコ番。
で、今場所の千秋楽に引退する事を決めたらしい。
千秋楽では浅草のホテルで打上げパーティーがあるんだけど、その中で藤井の断髪式もやる事になった。
お相撲さんの断髪式といえば引退相撲って言って国技館でやるのが有名だけど、これもやっぱり幕内に何場所かいないと出来ない。
で、幕下以下の若い衆の断髪式は部屋によってそれぞれ違うやり方で、例えば稽古場で部屋の力士達だけでやる所もある。
ウチも大体そうなんだけど、藤井は10年もやってたから親方が最後に大きな舞台を作ってやったんだろう。
部屋の力士達の他にも後援会の人とか知り合いとかからハサミを入れてもらえる事になった。
「お母さんとか来るの?」
「はい、一応!」
お相撲さんとして最後の晴れ舞台だからな。
キレイな大銀杏を結ってやろう。
大銀杏はまさに床山のウデの見せ所ってヤツで、大銀杏が上手く結えないと一人前とは認めてもらえない。
俺も一人で結えるようになるまで一年はかかったかな・・?でも今だに上手く出来ないというか、自分では納得出来ない時もある。
大銀杏が変だと、その関取もカッコ悪く見えるしな。
大銀杏を結うのに大体30分はかかる。
髪を揉み込んで、油を付けて櫛をかける所までは同じ。
最初に元結で結ぶ所が少し違う。いつもの髷より少し高い所で結ぶ。
そして髷棒と呼ばれる鉄製の棒で頭の横と後ろ側を開いていく。
ココがまずポイントだな。キレイに開けるようになるまでが難しい。
でもこの時、髷棒と髪が引っかかってカタカタって音が鳴るんだけど、それが気持ちいいんだ!
そして横と後ろがキレイに開いたら髷の部分を整える。
大銀杏は折り返す部分が三角形になるから、そこらツメを使ってまずは菱形に整える。
で、真ん中に髷棒を挟んで折り返すとキレイな三角形になる。
今度は髷の先の所。
いわゆる銀杏の形にするんだな。
まずはツメで髷の先を潰しながら丸くしていく。
それでコレも髷棒を使って、キレイに銀杏の形に整える。
そうして最後に全体の形を整えて・・・
「ヨシっ!藤井いいぞ!」
「ごっちゃんした!」
おぉ!藤井、大銀杏似合うじゃねぇか!
いや、やっぱ俺のウデが良いからだな!
ここはホテルの控室。
もうすぐ千秋楽の打上げパーティーが始まる。
部屋のみんなが藤井の大銀杏姿を見にきて一緒に写真を撮ったりしている。
パーティーが始まり後援会長さんや親方の挨拶、勝ち越し力士達の紹介と進んでいき、いよいよ藤井の断髪式。
ハサミを入れる人は受付の時点で申し込んでご祝儀を払っている。
断髪式っていうのは何人もの人が少しずつ髷を切っていくんだけど、幕内力士やそれこそウチの師匠みたいな人気力士には何百人とかいるから、本当に少しずつ切っていく。
やっぱり色んな事、思い出すんだろうなぁ・・
藤井のヤツ、もう泣いてるよ。
おっ、藤井のお母さんもハサミを入れた。
知り合いや友人、家族の次は部屋の力士達。
藤井は優しい兄弟子だったから後輩達からも慕われていたよな。
次は俺の番。
自分で結った大銀杏にハサミを入れるなんて感無量ってヤツだな。
藤井、おつかれさん!
そして関取衆、マネージャーのヨシオさん、おかみさんがハサミを入れたら・・
最後は師匠の止めバサミ。
一重親方が完全に髷を切り落として断髪式は終了。
会場で見守るお客さんの中にも泣いてる人がいる。
温かい拍手に包まれた良い断髪式だった。
藤井はそのままホテル内にある美容室に行ってアタマを整える。
どんな髪型になるんだろうな?
美容室から戻ってきた藤井が親方とステージに上がって挨拶をする。
新しい髪型も落ち着いてる感じで似合ってるよ。
親方に「頑張れよ」とか「部屋に遊びに来いよ」とか言われてご祝儀を渡される。
もうさっきの涙も引いて、これまた和やかな感じ。
藤井はしばらくは都内のチャンコ屋で修行してゆくゆくは地元に帰って自分の店を開くつもりらしい。
お相撲さんで10年間頑張ったんだもんなぁ。
でもこれからの方がもっと大変だろうし長い人生だからな、頑張れよ!
さぁ、俺はこれからもう一仕事。
藤井の切った大銀杏を飾った時に見栄えが良くなるようにキレイに整えてやる。