見出し画像

#7. 夏場所

大相撲の本場所は年六回あって、一月場所を初場所、三月場所を春場所とか大阪場所、五月場所は夏場所で七月場所は名古屋場所。九月場所は秋場所で十一月場所は九州場所と呼ぶ。

でも五月を夏場所って呼ぶのは少しおかしくないか?
五月はまだ夏じゃないし、初夏って言うのもまだ早い。

確かに力士達、ぽっちゃり体型の人間は暑がりだし、五月頃にはもうパンツ一丁、素っ裸でいてもクーラーがないと生きていけないけど・・

そんな事を考えながら、気が付けばもう力士になって十三年も経っていた。

二十八歳。

力士にとって二十八歳というのは微妙な年齢でもある。
十両や幕内、三役あたりの番付ならまだまだこれからなんて言ってくれる人もいるけど・・

俺みたいに幕下以下の番付だと、もうそろそろ・・なんて目で見られる。

大体、上に上がっていく奴っていうのは二十代前半位でどんどん番付を駆け上がっていくからな。

でも、今場所はそんな俺にとって、最大で(そして多分)最後のビッグチャンスが訪れた。

今場所の俺の番付は幕下、東の二枚目。
成績次第では新十両昇進の可能性がある番付。

幕下以下の力士にとって、十両という番付は非常に大きい。
十両に上がると一人前の関取として認められ、今まで部屋の大広間でみんなで雑魚寝してたのが個室を使えるようなり、身の回りの世話をしてくれる付け人が付く。
そして月給が貰えるようになる。
俺達、幕下以下の力士達には相撲協会から場所手当てというものが二か月に一回、数万円支給される。
他に勝ち星金と言って、一勝するごとに幾らかのお金が貰えて、勝ち越せばそれにまた幾らかプラスされる。
協会から支給される公式なお金はそれぐらい(あと巡業とかに出ればまた手当てがつくが)で、他には部屋の後援会とかから、まぁ非公式?なお金が貰えるくらい。
それが十両に上がれば毎月、しかも普通の人達よりもかなり高額なお金が貰えるようになる。

そして、十両に上がれば結婚が出来る。

当然、幕下以下の稼ぎじゃ結婚して奥さんや子供を養うなんて無理だから十両以上に上がらないと結婚は出来ないという事。

結婚。

二十八にもなれば俺にだって彼女はいる。
ちな子と言って二つ下の二十六歳。
同じ中学の後輩で、たまたまちな子が就職した会社がウチの部屋の近くの錦糸町駅前にあって、そういえば中学の先輩で力士になった人がいたな?って稽古を見に来たのがきっかけ。

中学の頃は顔を合わせた記憶はなかったんだけど何回か会って地元の話なんかしてるウチに自然と付き合うようになった。

四年位付き合ってて、ちな子ももう二十六だから結婚とか、そういう気持ちがあるのかもしれないけれど、俺の事情もわかってくれているので、そんな話にはならない。

でもね・・
わかっているよ。
それじゃいけないって事。

ぶっちゃけ、もう相撲辞めてちな子と結婚しようかと考えた時もあって、師匠の一重親方とおかみさんに紹介した事もあった。

親方はその時、「お前の好きなようにしろ」とは言ってくれたけど、でも「もうちょっと相撲頑張って十両上がってから結婚しても良いんじゃないか?」とも言われて、自分でもどうしたら良いのか決断出来ないでいる。

そして今場所。
十両に上がれるとしたら多分、最後のチャンス。もしダメだったらもうムリだろう。
そして、ちな子と結婚するんだったら、相撲を辞めるしかない。

ちな子は会社の近くのマンションに住んでいる。という事はウチの部屋からも近くて東京にいる時はほぼ毎日ちな子の家で晩飯とか食わしてもらっている。

「リョウちゃん!お肉ばっかり食べないで、もっと野菜も食べた方が良いんじゃない?」

「食べてるよ!」

「ウソ!せっかく作ったサラダが全然減ってないじゃない!美味しくない?」

「いやいや、美味しいよ!今から全部食べるんだよ!」

ちなみにリョウちゃんてのは俺の事で、俺の名前は根山遼一。
四股名は付けてなくて本名の根山で土俵に上がっている。
親方には何度か四股名を付けないか?と聞かれたけど、断っている。
理由は特にない。ただ根山という本名で土俵に上がりたいだけ。

晩飯の後は二人でテレビ見たりしてダラダラ過ごす。それで大体、ちな子が寝る位の頃に部屋に帰ったり、まぁ盛り上がった時には泊まる事もある。
こんな感じで半同棲みたいな付き合いを続けてきた。

今日の稽古場は賑やかだ。
東京場所の時にはいつも後援会長の丸本さんが会員の人達を連れて稽古見学をして、親方・関取とちゃんこを食べる。

丸本さんは親方の古くからの友人で、俺も入門した時には親方はまだ現役横綱で付け人をしていたから付き合いが長い。

「おい!根山!お前、今場所チャンスじゃないか!期待してるぞ!」

「はい!ごっちゃんです!」

「俺はなぁ、一重部屋の力士はみんな大好きだし可愛いよ!でもなぁ根山!お前だけは特別なんだよ」

「・・・」

「お前が入門した頃、覚えてるよ!今よりもずっと細い身体でニオウに付いてな!色んなとこ遊びに行ったなぁ!」

「はい・・」

「ニオウが部屋持って、俺が後援会長になった時、一番に思ったのが根山!お前の化粧廻しを作ってやりたい!って事なんだよ!」

「・・!」

「今まで、海山や大天達の化粧廻し作ってきたけど、その度に次は根山の番だ!ってずっと思っていたんだよ!」

「・・・!」

「だからな根山!今場所、叶えてくれよ!」

今日も夜はちな子の家。
やっぱり自分の家みたいな感覚でなんか落ち着く。
ちなみにもう住んでるみたいなもんだから、俺もちょっとは家賃出そうか?って聞いた事あったけど、会社から補助が出てるから大丈夫って。じゃあ食費も少しはって言ったら、自分の好きなモノ買ってるだけだから気にしないでって、

「リョウちゃんは相撲の事だけ考えて!」

なんて言われちゃうと何も言えなくなった。

晩飯食べてテレビ見ながらウトウトしてる時、ちな子が話しかけてきた。

「さっきリョウちゃんが来る少し前にね、実家から電話があったんだけど・・」

「ん?何かあった?」

「そうじゃないんだけど、なんか地元が盛り上がってるみたいだよ」

「何が?」

「リョウちゃんの事!」

「えぇ?なんで?」

「なんでって!今場所、頑張れば十両に上がるでしょ!」

「あぁ・・」

「もし上がったら、市内をパレードするみたいって言ってたけどホント?」

「あぁ・・そんな話もあるような・・」

「・・もし、そういうのがあるなら、私もその時地元帰ろうかな?」

「・・・?」

「でね、お父さんがね・・」

「・・なに?」

「その時、二人の結婚式やればどうだって言うんだけど・・」

「・・・!」

「・・ほら、もし十両上がったら・・出来るでしょ?家族とか親戚だけの小さなモノでもいいからって・・」

「それはでも・・ちょっと急じゃない?」

「・・・」

「でも、ほら・・上がんないかもしれないし・・そういうのはちゃんと決めてからにした方が・・」

「・・そうだよね・・ごめん、変な事言っちゃって・・」

「いやいや、変じゃないよ!変じゃないけど・・今日はもう・・帰ろうかな」

逃げた。
突然あんな話になるもんだから、ちょっとびっくりした。

ちなみにお互いの両親にはもう顔を合わせている。
そりゃ小さな田舎町で同じ中学出身の二人が東京で付き合いだしたなんて話はすぐに広まるから、じゃあ一応挨拶しとこうみたいな流れで・・

なぜか、ちな子のお父さんの方が結婚にはかなり積極的なようで、会うと必ずそういう話になる。

ちな子はそういう話になると、いつも「まぁまぁ」みたいな感じではぐらかしてくれるんだけど、前にお父さんが「遼一君も相撲はそろそろ・・」なんて言い出した時、ちな子がメチャクチャ怒った事があった。

俺自身はお父さんも酔っ払っていたし特にそこまで気にしてなかったんだけど、ちな子はしばらくお父さんと口も聞かなかったらしく、それ以来、あまりそういう話にはならなかったんだけど。

でも、お父さんの気持ちもわかる。
もういいトシの娘が俺みたいないつまでも結婚も出来ないようなヤツと付き合っていたらな・・

次の日。
稽古が終わって、ちゃんこも食べてケータイを見たら、ちな子からメールが来ていた。

「今日の夜はどうする?」

いつもこうやってメールが来る。
一応、俺にもちな子にも予定がある場合もあるから確認の為。

大体は
「いくよ!」って一言で返すんだけど、今日は

「ごめん!夜、親方とメシ行く事になった!遅くなるかもだから今日は行かないよ!」

実際そういう日もあるけど・・

ごめん。
今日はウソ。そんな予定はない。

なんか昨日の話の続きになったらイヤだなって・・一瞬、頭によぎってつい、そう返信した。

しばらくしたら、ちな子から返信があった。

「飲み過ぎ、食べ過ぎ注意だよ!」

東京の夜に俺が部屋にいるのは珍しい。
だから俺が大広間で皆に混じってテレビを見ていたら後輩の青木が

「あれっ?根山さん今日は部屋にいるんスか?」

なんて言ってくるもんだから

「うるせー!青木!飲み行くぞ!」

って誘ってやった。
ついでに新弟子のミツオにも声をかけて。

「今日の夜はどうする?」

「ごめん!なんか昨日飲み過ぎたのかな?腹の具合が良くないから部屋で寝とくわ・・」

今日もウソ。

今夜は部屋のみんなでゲームをした。
やっぱり、こうやってみんなで遊ぶのも楽しいよな・・

「体調どう?今日の夜はどうする?」

さすがに三日連続で断るのは悪いから・・

「良くなった!今日は行くよ!」

ちな子の家。
二日行かなかっただけだけど、なんか久しぶりな感じがする。

「お腹大丈夫?あんまり脂っこいのとかやめといた方が良いよね?」

「あぁ、大丈夫だよ!ちょっと食い過ぎただけみたい」

「だから言ったのに!もう若くないんだから・・」

飯を食ってる時はそれなりに会話もあって普段通りな感じだったんだけど・・

「・・・」

「・・・」

なんかぎこちない感じがする。

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・今日は・・もう帰ろうかな・・」

「・・え?・・もう?」

「うん・・やっぱちょっと腹がまだおかしいっていうか・・」

「・・大丈夫?」

「うん、大丈夫なんだけど・・一応・・ね!」

俺が帰る時、ちな子はいつも玄関まで見送りに来てくれる。

「じゃあまた・・」

「気をつけてね・・」

なんだろう。
ずっとちな子と付き合ってきて、もちろんちな子と結婚したいなって思っているし、真剣に考えているつもりなんだけど・・

それが現実として近付いてきてると感じるとなんだか何も考えたくなくなる。

ちな子からまたそういう話をされるのが、コワイというか、なんかそんな感じ?

なんでだろう。

次の日もちな子の家に行ったんだけど・・

なんであんな事言っちゃったのか・・

本当に深い意味はなくて、ただまたあの沈黙?ぎこちなくて気まずい感じ?に耐えられなくてつい・・

二人で黙ってテレビを見ている時、なんか喋んなきゃと思って、

「ちな子ってさぁ・・」

「・・うん?何?」

「俺が大阪とか地方行ってる時って何してんの?」

特に考えていた訳でもなく、無意識にそんな事を聞いた。

「何って・・普通にいつもと同じだけど?」

「友達とか、職場の人とかと飲み行ったりするの?」

「そりゃするよ、優子とか恵美とか知ってるでしょ?」

「そうだよね・・ちな子って男の友達とかもいるの?」

「・・友達もまぁいるし、職場の人とか?普通にいるよ?」

「ふ〜ん」

ここで終わるつもりだった。

でも、ちな子が

「なんでそんな事聞くの?」

なんて聞いてくるから

「いや、別に・・」

「別にって何?何でそんな事聞く必要あるの?」

ちょっと機嫌悪くさせちゃったと思って、その場を和ませるつもりで、冗談のつもりで

「いや、誰か他に好きな人とかいないのかな?・・なんちゃって!」

これがいけなかった。
火に油を注ぐってヤツ?

「何言ってんの?どういう意味?」

完全に怒らせた。

「いやいや!ごめん!変な事言っちゃった!」

「どういう意味?って聞いてるんだけど!」

「いや、意味なんてないよ・・」

「意味がないのにそんな事言うの?」

「だからごめんて!」

それから、ちな子はまた喋らなくなった。

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「今日は帰ろうかな・・」

ちな子はいつものように玄関まで見送りに来てくれたけど、何も言わなかった。

「・・じゃあ、また」

次の日。
稽古が終わってケータイを見ると、ちな子からのメールが来てたけど、文面はいつもと違った。

「昨日言ってた事、やっぱり意味がわからないんだけど?」

どうしよう。何て返そう。

結局「ごめん!本当に深い意味なんてなかったんだ!」としか返せなかった。

しばらくするとちな子から返信。

「今日はどうする?」

「夜、親方の知り合いがちゃんこ食べに来る事になった!準備とか色々時間かかるかもしれないから、今日はいかない。」

これもウソ。
今日、ちな子に会うのはコワイ。

夏場所初日まで一週間を切った。

俺は同じ幕下の山田との三番稽古を終えて四股を踏んでいた。
土俵では大関の仁王海山と幕内の仁王大天が稽古をしている。

やっぱり幕内力士は身体が違う。
デカいというよりも厚い。ぶ厚い。

二人共、当然後輩。
ついこないだまではほっそい身体で俺より下の番付にいたのにあっという間に追い抜かれた。
特に海山は入門してから大関まで一気に駆け上がっていった。

やっぱり素質ってあるんだよな。
幕内とか上がる力士は入門した時からみんなと何か違うもの持ってるよ。

稽古が終わった。
ケータイを見るとちな子からのメールは・・まだ来てない。

風呂から上がった大天が急いで帰る支度をしている。

「アレ?メシ食わねーの?」

「はい!なんか子どもが幼稚園で熱出したみたいで!カミさんも仕事だからオレが行かなきゃいけなくて!」

大天は結婚して子どももいる。

「子持ちは大変だな!」

部屋にいる時はイタズラばかりして親方からもいまだにまだ怒られたりしてるのに家に帰れば家庭があって、子どももちゃんと育ててるんだから大したもんだよな。

そんな事、俺にも出来るのかな?

結局、今日はちな子からのメールはなかった。
だから俺もちな子の家には行かなかった。

最近、俺がよく部屋にいるもんだから、みんなが気を使っているような感じがして、ちょっと居心地が悪い。

でも、そんな時でも青木のバカは

「アレ?根山さん最近、ずっと部屋にいますね?もしかしてフラれちゃったんスか?」

なんて言ってきやがるから今日も飲みに連れてった。新弟子のミツオも一緒に。

今日もちな子からのメールが来ない。
やっぱり一応、人の家に行って食事も作ってもらってんだから本人の許可がないと行けないし、こっちから行っていいかと聞くのもなんか・・特に今の状況では。

これだけ長く付き合ってんだからもちろんケンカをした事もある。

前に知り合いに連れてってもらったキャバクラのホステスさんが営業活動に熱心な人で結構電話やメールがたくさん来て、それがちな子にバレてしばらく口を開いてくれなくなり、家にも呼ばれなくなった時があった。
その時は二週間くらい毎日俺から謝りのメールを送り続けていたら許してくれた。

今回もそんな感じかな・・
でも前回は明らかに誤解だったから俺から謝る事が出来たけど今回は・・

どうしたらいいんだろう? 

次の日もメールが来ない。  
俺からも送ってないし、当然ちな子の家にも行ってない。  

でもやっぱ、これじゃまずいよな・・と思って次の日ちな子にメールを送った。  

「今日、夜どう?会おうか?」

錦糸町駅前のちょっと洒落た居酒屋。

「リョウちゃんとこういうお店に来るの久しぶりだね!」

俺はいつも通りちな子の家に行こうと思ったんだけど、ちな子からこの店で待ち合わせをしようと言われた。

「前に職場の忘年会だっけな?この店でやったんだ!料理も美味しいし、ボリュームもあったからリョウちゃんでも大丈夫だと思う!」

「・・・」

今日のちな子はよく喋る。
機嫌も良さそう。

でも俺は知っている。
こういう時のかな子こそ一番コワイという事を・・

それからもちな子が色々と話してきて俺が少し答えるって感じになっていて、これじゃいけない。そろそろ俺からも何か言わなきゃ・・なんて考えていた時だった・・

「リョウちゃんは地方に行ってる時、何してるの?」

「えっ?」

「いや、こないだ私に聞いてきたじゃん!私もリョウちゃんは何してるのか気になって?」

「いや、何って・・まぁ部屋にいたり、青木とかと飲み行ったり?」

「ふぅん・・前のキャバクラ?とかそういう所、今も行ってるの?」

「いや・・たまには・・ね。付き合いもあるし・・」

ヤバい・・
スゴくコワイ。

「ごめん」

ちな子は何も言わない。

「・・・」

「・・・」

ちな子の顔を見た。
すると、ちな子はフッと笑って

「ちょっとイジワルしてみた」

と言ってくれたから俺も安心して笑った時だった。  

「別れよっか・・」

「・・え?」

今、なんて言ったんだろう?
よく聞きとれなかった。

「何か、その方がいいような気がしてきた・・」

ちな子は何を言ってるんだろう?

俺はどうしたんだろう?
何も言葉が出てこない。

「ごめんね・・」

ちな子はどうして謝ったんだろう?

「ずっとリョウちゃんと付き合ってきて、ずっとリョウちゃんと結婚したいと思っていたんだけど・・」

ちょっと待って!
俺もそう思っているよ!

「でも、最近ね・・それってリョウちゃんにプレッシャー?負担をかけていたのかな?って思うようになってきて・・」

そんなこと・・

「リョウちゃんは相撲を頑張っているけど、それって私と結婚する為じゃないよね?自分のためだよね?」

そんなこと・・

「いいの!それでいいと思う!」

え?

「リョウちゃんは余計なこと考えないで、自分のために相撲を頑張ってほしい。」

「・・・」

「特に今場所は大事な場所でしょ!」

「・・・」

「余計なこと考えないで、自分のために、自分の夢のために頑張ってほしい!」

「・・・」

「だから・・ありがとうね!」

結局、この状況が掴めず何が何だかわからないまま、俺は何も言えないまま、ちな子は帰ってしまった。

俺はそのまま30分位、その店に一人でいたのかな?
会計はちな子が払ってくれていたのは覚えている。
でも部屋に帰って、いつ寝たのかとか覚えていない。

気がつけば朝、部屋の稽古場だった。  
なんか、ぼぉっとしている。
昨日の事、もしかして夢だったのかな?なんて思ったりもしている。

ふと稽古場の座敷にあるテレビカメラが俺の方に向いてるのに気づいた。
ウチの部屋には大関がいるから場所前になるとテレビやら新聞やらの取材が多くくるから、もう慣れているけど、それにしても何か俺の方ばかり撮っていないか?

そうだ!俺だった!

二十八歳で新十両に挑戦ていうのはそれなりに注目を集めているらしく、あるスポーツ番組が今場所の俺の相撲を密着するんだった!

で、今日は稽古の様子とあとはインタビューもするとか言ってたな・・

ヤバいヤバい、こんなぼぉっとしてるとこテレビに撮られたら大変だ!

・・まぁ、負け越したりして十両上がれなかったらお蔵入りになるらしいけど?

「二十八歳の根山さんにとって今場所はどうですか?いつもと違う感じはありますか?」

「まぁ長いことやってますからね・・いつもと変わらないですよ!」

「地元、岡山では大変盛り上がっていると聞いていますが?」

「・・そう・・なんですかね?よくわからないですけど・・」

とりあえずインタビューは無難な感じで終わった。
何か自分のことなのに他人事みたいな変な感じだな・・

風呂に入ってメシ食ってケータイを見たけどちな子からのメールは来ていない。

昨日はやっぱり夢じゃなかったんだな・・

夏場所、初日。

長いこと力士をやってると、忘れられないというか印象に残っている場所というのがいくつかある。

そのうちの一つが八年前の夏場所、初日。
今の師匠である横綱・仁王の富士が鷹花山に負けた日。

俺は横綱の付け人として花道の奥であの一番を見ていた。
あの時の国技館の異様な雰囲気を忘れる事はないだろう。

勝負が決まった瞬間の大歓声って言ったら、もうスゴかった。
たぶん国技館の中だけじゃなくテレビを見ていた人達全員の声まで届いていたんじゃないか?
本気でそう思えるくらいの大歓声だった。

あの時、はっきり言って横綱の体調は最悪だった。
元々、肩の脱臼がクセになっていて、今までは腕立てとか筋トレでケガをカバーしてたんだけど、その年の初場所に腕の筋肉を切ってしまい筋トレも出来ない状態だった。

休場明けの場所。元北富士の先代一重親方にはもう一場所休んだ方が良いんじゃないかと言われていたが横綱は出場した。
ちょうど鷹花山が新入幕から連続勝ち越しで上位に上がってきて今場所対戦するのは確実だったからやってみたかったんだろう。

その気持ちを汲んだ一重親方は当時取組を決める審判部長だったから横綱と鷹花山の取組を初日に組んだ。

取組前、横綱はハンパなく気合い入っていた。
いつもは汗が出る程度に軽く四股を踏んで、付け人に胸出させて、ちょっとぶつかるくらいのアップしかしないのに、その日は立ち合いで前ミツを取る動きまで確認して大銀杏もグチャグチャになっていた。

負けて支度部屋に戻ってきた時、もの凄い数の報道陣に囲まれた横綱は何か機嫌良さそうな感じでよく喋っていた。
元々サービス精神の多い人だから良い相撲で勝った時とか冗談も交えてよく喋るんだけど負けた時にあんな感じになるのは珍しい。

俺は付け人の仕事で忙しく動き回っていたけど、「横綱、もう引退するのかな・・」と思っていた。
結局、横綱はその日には引退せず、次の日に板山関に勝ち、三日目の鷹力関に負けて引退を表明した。
きっと鷹花山に負けた日に引退しなかったのは横綱なりの意地だったんだろう。
二日目、三日目といつも通りに場所を務めた横綱を最高にカッコイイと思った。

そしてその八年後の夏場所が俺にとって最大の(そして多分)最後のチャンスの場所になるなんて・・
ちょっとカッコ良く言いすぎか。

幕下上位ともなると取組の時間は二時すぎ頃になるから普通に稽古をして、風呂入ってちゃんこ食べて少しくらいなら昼寝も出来る。

俺はちな子にメールを送った。
もちろん今日までちな子からのメールは来ていなかったけど、やっぱりこのままじゃダメだよな・・

ヨシッ!
これであとはいつも通りに相撲を取るだけだ。


千秋楽。

千秋楽の夜はどこの部屋も後援会やお客さんを集めて打ち上げパーティーが行われる。
部屋によっては大広間とか稽古場に板を敷いたりして会場を作るけど、ウチの部屋は浅草のホテルの大きな宴会場を貸し切ってやる。
そこはやっぱり親方の知名度が高いから300人とかたくさん集まる。

「それでは今場所の勝ち越し力士の発表です!まずは大関、仁王海山、十一勝四敗!」

パーティーでは勝ち越し力士が発表され親方からご祝儀と一言が贈られる。

「海山は久しぶりに優勝争いに加わってくれました!もっと稽古して来場所は優勝してくれよな!」

「幕内、仁王大天、八勝七敗!」

「ようやく勝ち越したな!子供の為にももっと頑張りなさい!」

そして・・

「幕下、根山!五勝二敗!おめでとうございます!」

そう、俺は勝ち越した。しかも五勝二敗!
まだ正式に決定していないが十両力士との入れ替え戦にも勝っているから、十両昇進はほぼ大丈夫だろう。

初日から四連勝で勝ち越しを決め、入れ替え戦もあっさり勝って、もうちょっとケガしたりドラマみたいな展開があるのかと思っていたけど、決まる時っていうのはこんなもんなんだな・・

親方が場内に十両昇進がほぼ確実である事を説明してくれている。

「根山は部屋で一番の古株ですが、頑張ってくれました!なぁ根山!マジメに一生懸命頑張っていると良い事あるだろ!」

ヤバい・・涙が・・
ていうか、親方も泣いてる?

パーティーの歓談中では後援会長の丸本さんが

「おぅ!根山!本ッ当に良くやってくれたな!」

と、こちらは大泣きしながら喜んでくれた。
ちなみに勝ち越しが決まった日にも部屋に来て化粧廻しのデザインを考えてくれた。
色々と考えたんだけど、親方が新十両の時に付けてたのと同じ仁王像のデザインになった。

「それで根山、今日はパーティー終わったら何かあるか?二次会一緒に来るか?」

丸本さんに誘われた。
いつもなら二次会に行かせてもらうんだけど・・

「・・すみません、今日はちょっと・・」

「おぅ、そうだよな!ご両親も来てるのか?」

「まぁ・・そんな感じです」

「そっかそっか!また今度誘うからな!」

他にも何人かの知り合いから誘われたけど、今日は全部断った。

パーティーもそろそろ終わりそうな頃。

「リョウちゃん・・」

ちな子。
やっぱり来てくれた。

初日の日、俺はちな子にメールを送った。

俺の正直な気持ちをちゃんと話したいから、千秋楽の日、俺がどういう成績であっても会ってほしいって。

今日の今まで返信は来てなかったけど、必ず来てくれると信じていた。

「おめでとう・・勝ち越したんだね」


日曜日の千秋楽が終わり、その週の水曜日に来場所の番付編成会議が開かれる。
そして横綱、大関と新十両の昇進者にはその会議が終わると連絡が来るようになっている。

やっぱり化粧廻しを作ったりとか色々準備が必要だから。

横綱、大関昇進の場合は協会から使者が来て伝達式が行われるんだけど新十両昇進は電話で知らされる。しかもウチは親方が審判部長で会議に出ているから、オレのケータイに直接かかってくる。

「おめでとう!上がったよ!」

これで一安心。
大丈夫だとは思っていたけど万が一って事もあるからな・・

親方が会議から帰ってきて、これから昇進の記者会見が始まる。

たくさんの記者の前に親方と並んで座る。

今まで海山や大天とか後輩たちの昇進会見を見てきたけど、まさか自分がここに座るなんてな・・

そういえば俺の密着番組は無事に放送される事になった。土曜日の夕方、みんな見てくれるかな?

「それでは根山改め仁王山関、新十両昇進おめでとうございます!」

そうだ!昇進を機に四股名を付けた!
仁王山、カッコいいだろ!
ちょっと大げさすぎるような四股名だけど?

「昇進の実感はありますか?」

「いやぁまだ夢を見てるみたいで・・」

「一重親方、仁王山関は親方が現役の頃は付け人でしたが、どんな弟子でしょうか?」

「やっぱりマジメな力士ですよ、付け人の時も怒った事なんかないんじゃないかな?」

いやいや、たくさん怒られました・・

記者の後ろには部屋の力士たちが並んで見ている。
青木のヤロー、何笑い堪えてんだ!
今度、飲み行った時、潰してやろう!
ウチの両親も田舎から出て来てくれた。
長い間待たせたけど、ようやく親孝行できたかな?

そしてその隣にはちな子がいる。
わざわざ仕事を休んで来てくれた。

千秋楽の日、俺とちな子に二人で会った。
ちな子の家ではなく、錦糸町駅近くの居酒屋で。
ちなみにこないだの店じゃないよ!
お相撲さんてのはゲンを担ぐから。
申し訳ないけど、あの店は縁起が悪い。

俺はやっぱり、ちな子の事が好きだし、ちな子と結婚がしたい。
その気持ちは本当だし変わらない。

でも、相撲ももうちょっとしっかりやりたい。

だからあと半年待ってほしい。

今場所十両上がったけど、来場所もし負け越したらまた幕下に落ちてしまう。
それだったら今すぐ結婚してもすぐ生活が苦しくなってしまう。

あと半年、もっとしっかり頑張って何とか十両に定着出来たら、当然だけどちな子と結婚する。

でももしダメで幕下に落ちてしまったら・・

その時はもう相撲を辞めて、やっぱりちな子と結婚する。

だからあと半年、待ってほしい。

半年後にはしっかりプロポーズするから!

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

いいなと思ったら応援しよう!

sugosumo
よろしければサポートお願いいたします。いただいたサポートはクリエイターの活動費として使わせて頂きます。