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#6. 相撲教習所

力士になって最初に大変だと思った事は下駄を履いて歩く事。

下駄はバランスをとるのが難しい。
気を付けないと足首をグネる。当然、走るのも難しい。あと、道の状態によっては結構滑る。もう転んだ回数は数えきれない。

バランスを崩さないように滑らないように慎重に歩いていると結構大きな音が鳴る。そうすると今度は兄弟子から「うるさい!」と怒られる。

あとは下駄ズレ。親指と人差し指の股に下駄の鼻緒が擦れて血が出る。これも地味に痛い。

そんな大変な思いをしながら、僕達は毎朝、下駄を履いて部屋から両国国技館まで歩いて通っている。

相撲部屋に入門して新弟子検査に合格すると国技館の中にある相撲教習所という所で相撲の基本を稽古して、あと相撲史とかの勉強をする(習字や相撲甚句の授業なんかもある)

期間は一応、半年なんだけどその間に地方場所もあって場所に出る事は実習という扱いになるらしいから、実質通うのは三か月間。でも成績が悪いと落第する事もあるらしい。

部屋の同期は同い年の川本と高卒で年上の小林。
ちなみに力士は入門した場所で先輩後輩が決まるから年上とかそういうのは関係ない。

協会全部合わせると同期生は80人くらいかな?
あとは先場所と先々場所に入門した人達と一緒に稽古をして授業を受ける。

教習所に着くとまずは廻しを付けて稽古。
最初に国技館の周りを走るんだけど、これもキツい。さっきまでは下駄が辛かったのに今度は裸足で走るのがキツい。石ころとか踏むと結構痛い。

走ってからまた稽古場に戻ると全員で並んで相撲体操。
これは四股とか突っ張りとか相撲の基本動作を覚える為に体操にしたもの。これもキツい。はじめてやった時、股関節が筋肉痛になって歩けなくなった。

次にテッポウ。
テッポウ柱という電柱みたいな木を叩く。ただ叩くだけじゃなくて、腰を下ろして足も使って身体全部で叩く。手がビンビンに痛い。

そして摺り足。これも腰を下ろして足を摺って前、横に進む。キツい。

そして相撲の稽古。
教習所の稽古場は土俵が三つあって強さのレベルによってA.B.Cと分けられる。僕はC。小林はBで川本はA。

C土俵は僕みたいな相撲未経験者が多く、まずは色んな部屋から兄弟子達が指導員として来てくれているんだけど、その人達に胸を出してもらって、ぶつかる稽古から。それが出来てきたら実際に相撲を取る。

兄弟子達の胸に頭からぶつかるのはだいぶ慣れてきたんだけど、相手と頭と頭でぶつかるのはやっぱりコワイ。そして痛い。
でもしっかり当たらないと首がグネってしまい電気が走る。

相撲の稽古ではあまり勝てない。やっぱり立ち合いで怖がってしまうし、気がついたら土俵の外に出されていたり、投げられていたり。

ウチの部屋から指導員で来ている仁王の森さんからは「怖がるな!」と怒られるけど・・コワイし痛いんだ。

稽古が終わると学科。
今日は運動学。正直眠い。でも寝てるのがバレると兄弟子から怒られる。

授業の後は教室を掃除して全員で風呂に入る。
スゴく広い風呂なんだけど、新弟子とはいえ力士達が一気に入るから、もう戦場だ。シャワーとかもゆっくり使う事も出来ない。

風呂から出たら食堂でお昼ご飯。
今日はカレーだ!結構美味しい!

最後に教室に戻って「相撲錬成歌」という歌を歌って終わり。また歩いて部屋に帰る。

「おーい、松井!今日の稽古も全部負けたな!」

仁王の森さんは帰り道、いつもこう言う。

「・・はい」

「前相撲も全敗だったろ、このままじゃ来場所も危ないな?」

「・・はい」

「おーい川本、お前が鍛えてやれよ!同期生なんだから!」


部屋に着いたら、兄弟子達に挨拶してから親方の所に挨拶に行く。

「おつかれさんでございます!教習所から戻りました!」

「しっかり稽古したか?」

「はい!」

親方は元仁王の富士の一重親方、カッコイイ!


挨拶が終わると兄弟子達がチャンコの片付けをしているので手伝う。

これが終わればようやくひと休みできる。

覚悟はしていたけど、相撲部屋の生活は本当に大変だ。

次の日、教習所に着いてみんなで廻しを着けている時、港山部屋の市沢が僕達の所に近づいて来て「高岩部屋の近藤がスカしたらしい!」と言ってきた。

「えっ?近藤がスカした?」

スカしたって言うのはいわゆる夜逃げ。朝起きたらいなくなっていたって事。

「何で何があったの?」

高岩部屋の近藤と言えば小学生の時にわんぱく横綱になって中学相撲でも全国大会で準優勝までした奴で将来関取確実なんて言われていたのに・・?

「タバコ!隠れてタバコ吸ってんのが部屋の兄弟子にバレてボコボコに怒られたらしい!で、今日の朝には荷物も持たずに消えてたらしいよ!」

「タバコ・・」

近藤は僕と同い年だから当然まだ未成年。

「それにアイツ、相撲は強かったから兄弟子達に生意気な態度取ってて、元々嫌われていたみたいだよ!」

「そうなんだ・・近藤、このまま辞めちゃうのかな?」

部屋からスカしても大体すぐ発見される。
地元が近ければ実家とか友達の家に逃げるし、そうすればすぐに部屋から連絡が入る。

田舎が遠い奴は行き場がないし、そもそも僕達新弟子はお金がないから、あまり遠くには逃げられない。

新弟子がスカしたら部屋も一応警察とかに届けるから身体の大きな怪しい奴がいたらすぐに保護されて部屋に連絡が来る。

そんなこんなで大体一度は部屋に連れ戻されて、親方とかと話し合って、やっぱりまだ続けたい人は続けるし、もうダメってなるとそのまま辞める人もいる。

でも、近藤の場合はタバコが原因なら親方にも相当怒られるだろうな・・?続けるのは難しいかな?せっかく強いのにもったいないな・・?


その日の帰り道。

「おーい、松井!近藤スカしたってな!お前も大丈夫か?明日、朝起きたらいなくなってるなんてやめてくれよ!」

仁王の森さんはいつもイヤな事を言う。

「はい・・」

部屋に着いて親方の挨拶もしてチャンコ番の片付けに行こうとした時。

「川本!」

部屋で一番コワイ兄弟子の鈴川さん。

「お前、昨日頼んだ洗濯物、ちゃんと洗剤入れて洗ったか?なんかスゲークサいんだけど!」

「えっ・・」

「ちゃんとやったかって聞いてんだよ!」

「いや・・あの・・」

「おいっ!」

「・・すいません」

「すいませんじゃなくて!どうなんだって!」

「・・あの・・その・・」

「チッ!ハッキリ喋れ!ほんっとにデレっとしてんな!」

「・・・」

川本は身体も大きくて相撲も強いんだけど、結構こういうミスが多い。性格もモジモジしてる所があって、よく兄弟子達から怒られている。

鈴川さんに怒られた川本は完全にコワがって少し泣いていた。

チャンコ番の片付けをしながら川本に「洗剤入れるの忘れちゃったの?
と聞いた。

「いや・・ちゃんと入れたと思うんだけど・・よく覚えてない・・」

「そっか・・次から気を付けような!」

片付けが終わると昼寝。
力士はチャンコを食べて寝る事で身体が大きくなる。
でも今日は電話番だから昼寝が出来ない。
僕達、新弟子三人で昼と夜、交代しながら電話番をする。
電話番の時は昼寝も外出も出来ない。

「松井、コンビニ行くけど何か買ってきてやろうか?」

「あっ小林、ありがとう!じゃ牛乳と・・今日、少年チャンプの発売日だよね!お願い!」

「ところで川本は?上にもいないけど?」

「えっ?わかんない・・」

「そっか?まぁ行ってくるわ!」


次の日。教習所の帰り。

今日は仁王の森さんが病院に行くからって先に帰った。

「おーい、松井!今日も稽古全敗だったな!」

小林が仁王の森さんのマネをしてからかってくる。
小林は大阪出身だからよく喋るし面白い。

「ハハッ!似てる!」

でもやっぱり仁王の森さんがいないと気が楽だ。

「おーい!松井ぃ!」

「なんだよ!しつこいぞ!・・ん?川本どうしたの?」

川本が後ろで立ち止まっていた。

「ちょっと・・寄り道しない?」

「えっ?寄り道?どこに?」

「・・なんか・・まだ部屋に帰りたくない」

「えっ!・・でも、早く帰らないと兄弟子達に怒られちゃうし・・」

「川本、どうしたんや!大丈夫か?」

「・・うん、ごめん大丈夫・・帰ろうか」


四時になると昼寝から起きる。
そしてみんなで部屋の掃除。今日は廊下の雑巾掛け。雑巾掛けする時でも兄弟子達から「腰を下ろせ」と言われる。全部相撲に繋がっているんだ。

掃除が終わると僕達新弟子は夜のチャンコ番の手伝い。
今日は昼の残りの鍋とトンカツだ!やった!

そろそろチャンコが出来上がるかなって時、チャンコ長の桑島さんが「今日、コメ炊いた奴誰だ!」と言った。

炊き上がったご飯を見るとベチャベチャ。水が多かったんだ・・

「自分です・・」

川本だった。

「お前!どうすんのコレ!こんなの食えないだろ!」

「・・すいません」

「またかよ・・オレが兄弟子に怒られるんじゃねえかよ!」

「・・すいません」

「松井!早く新しいコメ研いで炊きなおせ!川本、失敗した飯捨てんなよ!お前が全部食えよ!」

「・・・」

「返事はッ!」

「・・はい」

なんとか時間までに新しいコメが炊けたので兄弟子達には怒られる事はなかったけど、川本はまだ落ち込んでいる。
ちなみに失敗したご飯は僕達も手伝って食べたけどさすがに全部はムリだった。


相撲部屋の夜は賑やかだ。
それはイビキと寝言。
大広間でみんなで布団敷いて寝るから、夜中はスゴい事になっている。

いつもは疲れて熟睡しちゃうから気づかないけど、今日はなんか目が覚めちゃって、それから気になって眠れなくなった。

・・・なんか鼻をすする音も聞こえる。
誰か花粉症なのかな?と、思って横を見たら川本の身体が揺れている?

「・・川本?どうかした?」

・・ちょっとビクっとしたけど答えない。

・・もしかして、泣いてる?

「川本?どうした?どっか痛いの?」

・・・

「・・川本?」

川本が急に起き上がって「トイレに行ってくる!」と大広間を出て行った。

トイレ・・お腹痛かったのかな?

「川本・・ヤバいかもな?」

「小林、起きてたの?」

「そりゃ横であんなデカいヤツがシクシク泣いてたら起きるわ」

「うん・・トイレって、お腹痛かったみたい?」

「アホか!そんな事ちゃうやろ!」

「え?」

「アイツ、最近兄弟子から怒られてばかりやろ!それでずっと落ち込んでるし・・」

「え・・」

「こないだもコンビニの横の電話ボックスで泣きながら電話してたわ・・たぶん家やろな」

「そうなんだ・・」

「そろそろアイツ、スカすんちゃうか?」

「えぇ・・」

ちょっと・・心配だから見てくる!

トイレは個室が三つあって、一番奥が使用中になっているからそこにいるんだろう。
耳を澄ますと泣いてるような感じがする。

どうしよう。なんか声かけようかな・・

「おっ!松井!こんな時間にどうした?」

「根山さん・・」

「なんだオマエ、手相撲か!元気なのは良いけど明日も教習所だろ!早く寝ろ!」

「・・はい」

とりあえず自分の布団に戻った。

「どうだった?」

「うん・・たぶんトイレで泣いてる」

「そっか・・」

やっぱり心配だから川本が戻ってくるまで起きて待ってよう。

・・と、思っていたのに気がついたら朝だった。

川本は?

横を見ると川本は起きて座っていた。

「川本・・おはよう」

「・・うん」


教習所に行くと高岩部屋の近藤が来ていた。
せっかく伸びた髪が丸坊主になっていた。

港山部屋の市沢が「近藤、実家に逃げたら今度は親に怒られて部屋に連れ戻されたらしいよ!」と教えてくれた。
ちなみにタバコは中学の頃から吸っていて親からもずっと怒られていたんだって。

今日のお昼は鳥の唐揚げ!やった!
ちなみに教習所のご飯はおかわり自由。いっぱい食べてデカくなろう!

前に座っている川本は全然食べてない。

「川本、食べないの?」

「え・・うん・・」

「食べないと痩せちゃうよ・・」

「・・うん」

「でも、川本はやっぱり強いよな!」

「え?」

「A土俵の稽古見てたけど、今日も結構勝ってたじゃん!近藤なんかよりずっと強いんじゃない?」

「近藤は小学生の頃から知ってるから・・」

「そうなんだ!やっぱずっと相撲やってた人は強いよな!僕なんか今日も全敗だよ・・」

「・・目つむっちゃダメだよ」

「えっ?」

「松井って立ち合いの時、いつも目つむってるじゃん?相手をしっかり見ないと・・」

「だって・・コワいんだ」

「コワくても、相手をよく見ておかないと当れないよ・・」

「う・・ん」

「アゴを引いて、でも下を見ないで相手をよく見ていけば、もっと当たれるようになるよ・・」

「・・じゃあさ!後で教えてよ!」

「帰ってチャンコの片付けが終わったらさ、当たり方教えてよ!」

「えぇ・・?」

「おっ!いいな!秘密特訓か!やったらええやん!」

「小林・・」

「稽古場は勝手に使うと怒られちゃうかもしれないから、錦糸町の公園でやろう!」

「・・うん、いいけど」

部屋から錦糸町の駅に行くまでに大きな公園がある。川本と二人でそこに行った。小林は電話番だから部屋にいる。

「・・じゃあ、オレが胸出すから松井ぶつかってこいよ」

「うん!行くよ」

ドンッ!

ドンッ!

ドンッ!

「・・うーん、ぶつかりだとちゃんと当たれてるかな?」

「そうなんだ、普通の相撲になって相手がぶつかってくると思うとダメなんだ」

「そっか・・じゃあオレもぶつかっていこうかな?」

「えっ!待ってよ!僕と川本が相撲取るなんてムリだよ!」

「なんでだよ!大丈夫だよ!」

「ムリムリ!ムリだって!」

「いいから!早く!やるよ!」

川本と相撲取るなんて・・やっぱりコワい!

全然、勝てない・・

それで30分くらい経った時。

「お前ら、何やってんだ!」

鈴川さんだ。


「ケンカでもしてんのかと思ったら、なんだ稽古か?」

「・・はい」

「こんなとこで新弟子だけで稽古して、ケガしたらどうすんだ!」

「・・すみません」

「すみません」

川本が泣きそうな顔して震えている。


「チッ!パチンコ行こうと思ってたのに・・しょうがねえな!やれよ!オレが見ててやるから!」

「・・え?」

「ほらっ!どうした!早くやれよ!」

「はい!」


「コラっ!松井!立ち合い逃げんな!」

「川本!松井の当たりが弱かったらすぐブン投げてやれ!」

それからまた30分、二人で稽古をした。

そこに

「アレ?鈴川さん、何してんすか?松井も川本も?」

「おう!森!ちょうど良い時に来た!新弟子達がオマエの指導が物足りないからって二人で稽古してたんだよ!」

「えっ?何スかそれ?」

「ヨシっ!オマエら、もう終わりだ!森!稽古熱心な新弟子クン達にジュースでも奢ってやれ!」

「えー?なんでオレが?」

「いーから奢ってやれよ!じゃオレはパチンコ行ってくるからな!それからオマエら部屋帰ったらシャワー浴びて服もちゃんと洗濯しろよ!」

「はい!」

「はい!」


帰り道。仁王の森さんがボヤいてる。

「お前ら、どうしたの?鈴川さんにやれって言われたの?」

「いえ、二人でやろうって話して・・」

「何だよそれ!意味わかんねーよ!」

「すみません・・」

「おーい!松井、来場所、全敗したらタダじゃおかねーぞ!川本、ちゃんと鍛えてやれよ!」

「はいっ!」
「はいっ!」

部屋に帰って二人で風呂に入った。
公園の砂は砂利が混じっているから、お湯を浴びるとヒリヒリして痛い。

「おっ!帰ってきたか!どや!良い稽古できたか!」

小林が風呂を覗きに来た!

「うん!川本に投げられてばかりだったけど」

「そら、しゃーないよ!じゃ松井、明日はオレとやろう!」

「えっ?明日はオレ、電話番だから・・川本と小林二人で行けば良いじゃん!」

「いやや!川本相手じゃオレ勝てんもん!」

「それどういう意味だよ!」

「ハハッ!」

「おーい!川本!笑いすぎだゾ!」

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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