自分の絵柄ってなに?

 次は今度こそ自己紹介文にしよう! と思っていたけど、やっぱり勢いないとサボるし今回も衝動的にnoteを開いた。

 今日、つい数時間前に絵について思うできごとがあって。端的に言えば絵柄模倣の問題です。創作の界隈で過ごしていれば割と遭うことなんだけれども、今回は対岸の火事ではなく、体感として私の隣で起きたことだったので感情がかき乱されてしまった。だからこれはきちんとまとめられた意見文ではなく、執筆による取捨の整理と発散に近い。自分の性格の悪さが出ても書こうと思った。自分のためにもできるだけ順序立てて書いたほうがいいと思うのだけれども、考えている時琴線に触れるとそれすらどうでもいいと書き殴りたくなるので文中にそういう間欠泉が出てきたらごめんよ……。

 絵柄模倣についての姿勢は自分で一から書く気力がないのと、下記サイトの記事がわかりやすく根本として同意なのでこの添付で説明としたい。

 解釈は本当にこの記事とほぼ同じで、”絵柄の模倣と線のトレースは違うし何も問題はないが気持ち的に腹が立つのも理解できる”という感じです。

 今回は色塗りの方は置いて、線、絵柄の話。
 絵柄模倣と書いている通り線トレースではない。あくまで私の主観で書く事に重きをおいてみようと思いますが、とにかく絵柄を模倣されたと訴えるAさんが指していた人物は私のフォロワーのBさんだったということ。私はどちらの人も好きだということでエクゾディアのパーツは揃ってます。

 Aさんがツイートした文面を見た時、フォローやブロックのおおまかな経過と確信、そして発信に至るまでを書いていましたがあくまで誰をとは言っていなかった。だから最初は好きな人が悲しい思いをしているのが苦しくて、Aさんの当該ツイートでは具体的な解決を望むというよりとにかく吐き出したかったと書いてあったので、Aさんの良いと思える決着になればいいなと思っただけだった。

 犯人探しみたいな事をしてる人もいたようだけど、その行動はどれだけ大義名分があると勝手に盲信してようが所詮低俗な物見遊山なのでしたくなかった。
 それで、少し後のツイートで、Aさんが絵柄を模倣されたと思っている人こそフォロワーのBさんだと知った。
 Bさんのツイートを見て腹に冷たいものが落ちて、心臓と目がきゅうってなりました。所詮対岸の火事だと思ってて、まさか真隣で起きてるとは思わなくて。そのBさんのツイートは、事態を把握して自分で考えて行動を済ませた後のAさんの返答待ちという状況だったけど、書きたいのは本当に顛末じゃなくて……こうやって状況全体が見えた時に湧き上がった感情の言語化であって、批判とか擁護とかを名乗れるものではない。あくまで私の主観に重きをおいた書き方がしたいのはこのできごとに、パクリ問題とかそういうので掲げられがちな大義名分はないと思っているから。

 今ここまで書いてまだここかと自分でもちょっと辟易しましたがサビはここからです、イントロとAメロが長くてごめん。

 は? と思った。
 似てないけど? って。事態はめっちゃ悪いので怖いし辛いしだけど、これはまあ怒りだった。
 AさんとBさんの絵がどっちも好きで、絵が上げられる度堪能したくてすごく観察していた。Bさんの絵は完成までの経過を一から見たこともある。だから二人それぞれの絵の個性を知っているつもりだし、絶対に見分けがつく自信があった。だからタイムラインで「似ていると思った」という意見を見て、なんかもう絵について色々ひっくるめて短絡的にしか思えず苛立った。

 それで二人の絵を、特にBさんの絵を段々似てきているという通り初期から時系列順に見比べてみた。
 結果だけ見ると時が経つほど似てきていると言えるのかもしれないけど、まずそれはAさんの表明があった後の目で見ている時点でバイアスがかかってないとも言えない。それを考えてる人がいなさそうだったのも苛立ちのひとつ。
 そして同時に影響を受けて寄った可能性はあると思ったし、絵の変遷を割と近くで見てきていたのもあって、最初の線の多さが単にブラッシュアップされて今の絵柄になった可能性も同じくらいあると思った。初期の頃の面影というか要素だって充分残っているから。
 多少影響を受けたのだろうと思えど、完全に故意の模倣とは思えない。初期の絵は線が多くてラフっぽさが強く、最近は洗練されて綺麗な線画という感じだが故意に寄せている人間の描き方じゃないと思う部分がたくさんある。
 色塗りは置いておくと書いておいてなんだけど色の塗り方だってそもそも画法が違うからカラーを見比べたら同一人物なんて思わない。絵柄を寄せるならどうしてそこは寄せない?

 それで、例えば、結果的に寄っていたとして、影響を受けたという要素を除いた時に今のBさんの絵柄になっていない可能性のこと誰か考えたのか?  同じ方向性の絵柄であった可能性は考えなかったのか? このタイプの絵柄はこの人だけしかいなくて第一人者だって誰も証明できないのに?
 これは当人達にではなく、匿名サービスまで使って勧善懲悪の後ろ盾を得られたと勘違いして血気盛んに石を投げる第三者でしかない脳死の野次馬達に対して腹が立った。
 極論故意に絵柄を模倣していたとしてなんでそれを外野が責めるんだ。当人は腹が立ったって当然だけど、当事者以外が口出しするのがそもそもお門違いなのに良い悪いについてお気持ち表明してる時点で便乗の野次馬な自覚がない。物語の原型はシェイクスピアの時代に出きっているという言葉も知らないのか、考える発想すらなかったのか。

 そんな感じで感情がめちゃくちゃになって泣いてしまった。自分のことじゃないから、自分のことだったら鼻で笑って終わりだから、その人は傷つく人だったから。その人の表現は”悪いメッセージ”程度で留めていたけど、察して余りある内容を送る俗悪な人間が、科学的に証明されている人を責めると快楽物質が出るというそれで気持ちよくなってるのかと思うと、思うと……。野次馬の野次馬とかいう永久機関が誕生する所だった。

 そんな感じでおえおえ泣きながら友達に気持ちと思ったことを吐露して、意見を聞かせてもらって、今は自分なりの目的を得て多少落ち着くことができた。本当にありがとうな……。

 今何文字書いたのか見るのも嫌だ。この文字数があればSSが出来上がる……うそだろ……それもこれも静かにできない野次馬が悪い……。
 このnote自体野次馬じゃんとも思ったけど最大限元をぼかすことで切り離しはできていると思う。

 ここからが多分大サビ。

 それで、自分の絵柄ってなんだろう、と苦しくなった部分も書きたかった。
 絵柄に特許なんてない。音楽、文芸、思想、美術、どの歴史を見ても模倣が発展の要素として組み込まれ、それが連綿と連なって歴史になっている。絵だって同じなことは当然わかるだろうと思った。思ってたけど、全員がそうではなかったからショックを受けたというのもある。全員が自分と同意見な訳ないのに、ないけど、絵を描いている人から実質それを否定する言葉が出たのがショックだった。
「模倣で鍛えるのは悪い事でないかもしれないが、練習などで留めておくべき」「真似してもそれは自分本来の絵柄ではなく、人を悲しませ描くのは誰も得にならない」
 改変してるけどこういう意味合いの言葉で今も読んで脳みそが冷たい。勝手な期待と勝手な失望もあるけど、何より事態を把握していないままこれを言っているだろう事に愕然としてしまった。
 練習で留めておくべきってどうやって? 自分本来の絵柄ってなに?
 何度噛み砕いても、私にはまるで自分の絵柄が人の絵の影響を一切受けておらず皆そうであると言い切っているように映る。
 私は現状”自分の絵柄”という言葉を、模倣のキメラ、モンタージュに自分のエッセンスが混ざってできるものと定義しています。視覚が機能している時点で強制的に他の影響を受けざるを得ない。だから模倣で鍛えるという事は意識的か無意識かの違いでしかなく、また自分の中にその色を混ぜることであってチャンネルみたいに切り替えるものじゃないと。だから他人の影響を受けずにどうやって自分の絵柄を形成できると言うのだろうと、理解できていません。

 絵を描く人ならわかると思ってた。そんな簡単に言えることではないと無意識に信じてた。いや本当に自分の絵柄ってなに。自分の絵柄が他の影響を受けていない、模倣でないと言い切れるその自信はどこから来るの。模倣で鍛えた絵柄は一切自分に染み付かないと言い切れるその根拠はどこにあるの。

 人を悲しませ描いてもって何も知らないままよく明確な加害者と被害者がいるような物言いができるなと思って、これこそ最初に自分が陥りかけた思い込みだと、色々考える所があった。この一連の流れは、今までずっと対岸の火事だった時に無意識に脳死で疑いもしなかったバイアスをはっきり認識するに至るできごとでもあって脳みそが相当疲れた……。

 文字数だけは一丁前な見るに堪えない文章なので、とりあえず一晩寝かせて加筆修正しようと思います。夜に手紙を書くなの最たる例で書いている自覚がある。

 この長い長い乱文を読んでくださった方がいたら本当にご苦労さまです、付き合ってくれてありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?