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なぜ私は性自認が女性なのに「女性」と結婚したのか?性同一性障害の既婚率が低くない理由
性同一性障害と診断されるのに、なぜ結婚するのか?
世間ではこの疑問を持つ人が多いです。当然ですね。説明の代わりにまずは私のケースを淡々と長々と綴ります。
私は性同一性障害と診断されていて、かつ既婚だからです。
付き合ったきっかけ
大学のサークルの1つ上の先輩にあたる女性が私の配偶者です。
…その前に私について紹介しましょう。
私は男性として生まれ、物心ついた時からすでに体の性別に違和感を持っていました。
しかし周囲はそんなことを知る由もありません。男性として育てられました。
私自身は小学校に入る前は「きっとそのうち女の子に変化するんだよねー」と思っていました。小学校でその淡い期待は打ち砕かれましたが。
さて話を戻して、のちに結婚することになる彼女から私にアプローチがありました。
アプローチをした理由は、友人宅で飲んでいた時、友人が寝てしまったので、私が毛布を掛けたのを見て「意外に優しい所あるんだ…」と感じたからだそうです。
実はその2年前、私が彼女と初めて会った時「最後はこの人と結婚するんだろうな」という直感がありました。
当時私は自分のセクシュアリティについて「40%女性で60%が男性」という表現をしていました。自分の女性性を否定しようとしていたのです。
また、女性と付き合うのは20歳前後の男性なら普通のことです。
断る理由など、ありません。
結婚
5年後、私たちは結婚しました。
実は結婚する数年前、煮え切らない態度の私に対して、彼女から催促されていました。
彼女は結婚適齢期ど真ん中。私も男性としての適齢期に差し掛かっていました。
煮え切らない態度を取る私には煮え切れない訳があったのです。
自らの女性性をどうするか?
結婚は、普通の人にとっても重大な決断です。
私にとっては自分の女性性を棄てることも意味しました。数年もの間考えた結果、私は彼女のために男性として生きることを決めました。
当時、実は化粧品も服も持っていました。しかし結婚を期に全て捨てました。私は自分に性的倒錯があっただけだと言い聞かせて。
結婚後
もともと彼女と私は同じ趣味を持ち、話も合い、仲はとても良かったのです。結婚する前までは。
結婚前後、私は向いていない仕事で疲労困憊していました。
結婚後、ある事象が起きます。性生活です。
一般的な新婚の家庭よりも極端に回数が少ないのです。もともと付き合っていた時期も遠距離恋愛に近く、回数は少なかったのですが、同居しているのにその頃と大して変わらない頻度でした。
私が仕事で疲れていた、私自身は自分にそう説明していました。
病に侵される
私は結婚後、体調が悪化し続けました。そして結婚5年目に爆弾が爆発しました。
私がうつ病に罹患したのです。
実は結婚した直後から私は原因不明の体調不良が起きてきました。薄々メンタルだとは思っていましたが、自分では否定していました。
朝に目覚めると胃に不快感があり、ベッドの上で一度、着替えた後にもう一度、吐瀉物のない嘔吐をしていました。
その嘔吐は朝だけでなく帰宅後にも起きるようになり、意識的に止められない頬の筋肉のひきつり、瞼がピクピク動き続ける眼瞼ミオキミアなどを発症していました。
心療内科を受診する直前には終日続く胃痛と吐き気、高熱が出ている時に起きるような眩暈、頭痛肩こり腰痛、不眠、疲れ…今思えば完全に自律神経が変調をきたしていたのですが。
7年間に及ぶ長期療養生活に入りました。
自らかけた呪縛を自ら解くまで
療養を始めて2年後。退職することになりました。
それまで何度も復職を試みました。しかしその度に自律神経系の症状が出て、全て失敗しました。
そして事実上仕事をクビになる形で退職しました。
職を転々と
当時の私を動かしていたものは「男性であるならば最低限自活できねば。仕事をしないと…!」というもの。
「…」が付くのは、捨てたはずの自分の女性性が心の一番奥底で頑強に抵抗していて、本心から納得していたわけではなかったからです。
私にとって働くことを否定するのは、棄てたはずの女性性を肯定することになりました。当時はそれとは別だと否定していましたが。
結果的にいくつかの仕事を転々とし、その度に自律神経系の調子がおかしくなり、短期間で退職することを繰り返していました。
本格療養
精神的にも肉体的にも、もはやどうしようもなくなった私。
朝起きた時点ですでに疲労感で体は動かず。どうにか朝食を食べて、ベッドに戻ります。
昼、空腹でどうしようもなくなり昼食を作り、食べ終わるとやはりベッドへ。
夕方ようやく起きれる状態になり妻が帰ってくるまでに晩ご飯を作り、食べ終わるとベッドに行く。
これが当時の私です。寝ても寝ても疲れが癒やされず、24時間365日、ずっと沈痛な気分と疲労です。死にたくても、死ぬ方法を調べることすらできませんでした。
まずは外に出るシチュエーションをと2年間の課程で夜間に専門学校に通うことにしました。
夜間であればどうにか起きられ、さらに「仕事をしないといけないという焦燥感を抱く自分を納得させられる」口実でもあったのです。
結果的に生まれて初めて内省的になれる時間が生まれました。
そして気づいたのです。自らに呪縛をかけていたことに。
呪縛を認め、呪縛を解く
私は男性としてのジェンダーロールにこだわっていました。無意識に。そうすれば自らの女性性をかき消すことができたからです。
私は男性として結婚して仕事もしている。どこに女性性なんてあるだろうか?それはもう棄てたのだ、ーと。
しかし燻り続ける火を消すことはできなかった。燃え広がるたびに消してきたのに。
ー私は男性ではない。100%女性だ。
人生で初めてこれを肯定した瞬間、呪縛が解けました。
問題は自分にとどまらない
私は自分を女性だと認めました。では女性であり私の妻である彼女はどうなるのか?
私は彼女を20年間も騙したことになる。そんな不義理、ありますか?
私は彼女のために自らの女性性を封印し墓場に持っていく決断を、一度はしました。しかしそれによって私は自滅しました。
一方彼女はうつ病の療養をしている私に文句なんて一言も言わなかった。
しかし自分自身の女性性を認めた以上、私は伝えなければならない。私が男性ではないことを。
離婚か継続か。
10年も生活を共にすると他人ではなくなります。私は彼女を配偶者ではなく家族と感じていました。
お互いに束縛しない、家族だろうとプライベートはある、そんな価値観と性格は合う。
私も彼女も実家との関係は良くない。家庭は自分たちだけ。離婚したら二人とも帰る場所はない。
例え離婚するにしても、私には説明責任がある。私が何者なのかを。なぜ20年間も黙っていたのかを。
ともかく私はできるだけの説明をしました。
結果として私たちは婚姻を継続することにしました。ただし彼女にとって「夫」はもはや彼女のもとから去ってしまったのです。
しかし彼女のもとを去った「夫」は「疲れ切って精神的にも参ってるいつ爆発するかわからない雰囲気のある夫」だったそうです。
新たに来たのは「実は中身が女性だけど、それ以外は普通の夫」です。
これが私たちの現在です。
なぜ性同一性障害の人は結婚してしまうのか?
私のケースはあくまで一つの事例です。
性同一性障害の人の中には生物学的性別のジェンダーロールを演じることで、自らの心の奥底にある「精神的な性別」をかき消そうとすることがあります。
自分さえ我慢すれば外面的には何の問題もないように見えるからです。
しかし一人の人間の中で性別という根源的な爆弾を抱えるわけです。何かの拍子に心の奥底にあるごく小さな火が導火線に触れれば?
爆発します。
それが私です。
補足:私のケースが全てではない
風邪をひいたとき、人によって症状は違います。性同一性障害の人も当然、人によって異なる経過を持っています。私のケースが他の人のケースを説明できるものではないことに注意願います。
女性性を肯定した後
さてその後の私の話をしましょう。
まず、私が何者であるのか、具体的には客観的に性同一性障害とされる状態なのかを知るために専門のクリニックを受診しました。
半年ほどかけて複数回のカウンセリング、心理テストを受け、精神的な性別が女性であることが確認されました。そして生物学的な性別が男性であることも別途確認されました。
そしてそのことが性同一性障害と判断されるほどの齟齬をきたしていることも確認されました。
こうして、医学的に私は性同一性障害だと診断されました。つまり私の主観ではなく客観的に私の精神が女性であると確認されました。
その結果、常に私を悩ませ続けた焦燥感が消え、代わりに自己肯定感が生まれました。
精神状態が徐々に回復してゆき、それに伴って様々なことが回り始めました。
今は公私共に女性としてのジェンダーロールに移行しています。既婚なので性別は変えられませんが、男性名は捨てました。
だから戸籍名を変えようと思っています。
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