多様性の押し付けになってないか?
とあるSNSにて。
「もし子どもが生まれたら父親がいなくて母親が2人だから、何か言われた時にウィットに富んだ返事を考えよう」
と書き込んだところ、
「素敵じゃないですか!私が隣からそう言いますよ!」
と返信が来ました。
私の考えではこういうのは『多様性の押し付け』になりかねません。
『正しい考え』に傲慢さはないか?
なぜダメなのか?せっかく援護射撃してくれているのに、と思うかもしれません。
そもそも片方が性同一性障害で中身が女性、もう片方が通常の女性という私の家庭は「父母のセットが当然」と考えている人から見ると異端です。場合によっては一方的な反感を買ってる可能性があります。
だからこそ、何か言ってくるわけです。
そこで急に横から「素敵じゃないですか!」と言われたらどう感じるでしょうか?
「ああ本当だ。素敵だね。」と思うでしょうか?
無理です。
人は考えを否定されるのを嫌う
なぜならそれは自己の考えを頭から否定されていることになるからです。そして「素敵じゃないですか!」と言った人に対して「何でお前の価値観に合わせないといけないのか?」と感じます。
価値観の衝突が発生する
そう、考えを否定されると、受け手は発言者に対して反感を覚えるわけです。
しかし当の発言者は「多様性の時代、パートナーシップは当然、多様であるべきだ。これは誰もがそう考えなければならないし広めるべきだ」という『正しい考え』を信じています。
言い争いになったら意固地になる
こうなると後は言い争いの始まりです。
言い争いによって人間は意地になります。まして論破なんてされた日には遺恨も生じます。
そうなると相互理解など不可能です。誰にも利益がありません。
ウィットで返すべき
だからこそ「ウィットに富んだ返事」が必要なんです。
話を振った時に反論で返されるのと、冗談で返されるのとでは印象が変わります。
もちろん私たちとしては相手の考えを肯定することはできませんが、少なくとも決定的な対立は回避できます。
決定的な対立構造ができると対話は不可能です。「あいつらクソ真面目だし冗談の一つも言わないし、反論ばっかりだし」となったらもうそれで終わりです。
でも「あいつは考え方は違うけどちょっと面白いこと言うしな。嫌いじゃないよ」と思ってもらえれば将来的に相手の考え方が変化する可能性が残ります。
左の人は頑なすぎる
ぶっちゃけた話、私たちLGBTの枠組みになる人を支援しようとするのは左の人ばかりです。
左の人は理想主義的です。正論を唱え続ければ正しいのだからその理論が通ると信じているフシがあります。
それは間違いです。
言ってることがいくら正しくても、人間はそこまで理性的な存在ではありません。むしろ人間は最終的に感情で物事を判断します。
つまり「言ってることは正しいかもしれないけど、なんかムカつくな」と思われたらこちらに勝算はありません。
カエサルという古代ローマの政治家がいます。
彼がやったことは「人間感情の特性を利用して政敵すら味方に変える」こと。
2000年後の現代でも同じことが言えますね。