2024年総選挙結果とアテンションエコノミー、減税ポピュリズム


全体構図

「岩盤保守はどうなった?」「右傾化に歯止めがかかったのか?」と言うとしたら性急に過ぎて、国民民主、日本保守、参政に分散しただけと見ることもできるし、自民以外の受け皿が複数できたとも言える。この辺は丁寧な分析が必要だ。

同時に、この3党が結果を出した事実はポピュリズムとアテンションエコノミーという面でも警戒を要する事象だと思う。全体では減らしたとは言え大阪の選挙区は全勝の維新も含めてだし、左側でのれいわの躍進もそうだ。

単純に比例票の流れだけを見るとやはり自民→国民民主・日本保守・参政だし、共産→れいわも言える。そして、立憲の微増は投票率下がった分は増やしたということになるのだが、自民・維新→立憲と立憲→れいわの差分ということが言えるように思う。

共産党・赤旗の頑張りが小選挙区で自公候補の票を削り、比例ではポピュリズム政党を利したということになるのかな。「2000万円」スクープも他のスクープも大手メディアを介して票を動かした面が多分にある(SNS拡散にしても大手が報じることが増幅効果を持つ)と考えられる。今回に限らず、共産党・赤旗の頑張りが共産票に直結しないということがよく見られるが、影響経路がこういう構造だからかもしれない。

総選挙結果の都合のよい解釈が溢れているが、その再帰性、予言の自己成就的側面は笑ってはいられないということだと思う。アテンションエコノミーとポピュリズムが確実に政治、選挙に浸透してきているということが今回の選挙結果にも現れている。そこにおいては、増幅器、拡散器としてのマスコミの機能も過小評価できない。

ポピュリズムというものは、市民の声を聞け、政治に反映させろという抽象的な意味では当然民主主義そのものであると言えるのだが、国内外の現下のポピュリズムはフィルターバブル、エコーチェンバーで増幅された声の形を取っていて、代表性、普遍性を僭称しつつ、その声の大きさで影響力を持とうとするものとなっている。それは当然アテンションエコノミーと相性がいいし、分断・対立を助長するものとなっている。ポピュリズムとは本来相反するように思える排他性、排除性が特徴的でもある。

総選挙後について

自民が追加公認しても、保守、参政がついても過半数にならないから、維新、国民民主がどう動くかということだよね。

この選挙結果で、政権交代含め立憲の政権参加はないし、やってはいけない。共産、社民、れいわから維新、国民民主まで束ねる連立か、自公との大連立かになる訳で、いずれも全く大義がない。

なお、過半数を作れる連立協議が整わず、首班指名決選投票で棄権会派が出ての自公少数与党政権というシナリオは十分あり得ると思う。その辺りを含め、維新、国民民主がどう動くか。

いずれにせよ、不安定な政権になるが、自公が数の力を頼んで押し切る、時に世論対策で一部野党(維新、国民やかつてのみんなの党)を取り込むということが常態化していたこの10年余りにはなかった緊張感が生まれることはマイナスではない。議員立法や閣法の修正協議等が実質化することになればよい。

首班指名決選投票で国民民主が「玉木」と書いて無効票になれば過半数は419。自公215+萩生田・平沢・西村・世耕で419。なお、無所属で与党系はこの4人含めて6人とされる。
(→広瀬、三反園含む6人が自民会派入りすることとなった)

れいわも棄権・無効なら過半数は215になるね。

自民が比較第一党、参は自公過半数ということを脇に置いて政権枠組みの話で一喜一憂しても仕方がないし、数だけの非自公政権に現実味はない。その上で、国民民主をしっかりチェックしていくことと、自公に無視されてきた個別政策の実現をしっかり図っていくこと。その先に来年の参院選があり、次期総選挙での政権交代という展望が開ける。

今の国民民主の立ち位置になぞらえることができるのが自自政権に協力し自自公政権に至った公明党。当時、基本的に政府・与党に賛成する側に回り、野党の提案は退けていった。私が付いていた清水澄子さんが提案者になった閣法への修正案は、公明も本来は賛成の内容だったにもかかわらず反対に回ったため僅差で否決。反対の強かった組織犯罪対策法(盗聴法)は公明党が委員長の参法務委で強行採決、徹夜国会の末に成立。

会派の議員数が変わる、与野党間や第1党・第2党間の数のバランスが変わることで国会の議論のモードが変わる。委員長ポストを与党が(ほぼ)独占し、各委員会も全部過半数を握って、衆の3分の2(再可決要件)も握って(か作りやすく)という12年政権交代以降の状況がガラッと変わる。

「どうせ与党に押し切られる」「野党が議員立法出してもどうせ店晒し」という悲観的な状況が10年余り続いてきたのだけど、議員立法が活性化、実質化する状況ができたこともかなり大きいこと。パッと思いつくところでも、立憲の養育費立替払法案や野党が8年間出し続けてきた性暴力被害者支援法案などは、元々与党にも賛同できる議員がいた法案だからなおさら与野党協議に持ち込んで成立を目指せる。期待したい。

減税ポピュリズム

総選挙結果を受けて、市場は拡張的な財政政策や円安への期待で「評価」しているというのが今のストーリー。でもそのうち、「財政悪化を懸念」とか「成長戦略不足への不満」といったストーリーも出てくる。

ポピュリズム的政策で持続的な分配・再分配強化になるのか、現在の子ども・若者が中高年になった時のセーフティネットはどうなっているのか。この視点が欠落していることの危険性。

「○○万円の壁」対策が控除額引き上げというのは刹那的な誤魔化しでしかないし、累進制強化を伴わない控除額引き上げは破壊的。検討、検証する時間がないままにアピールされた策が民意を得たかにごり押しされるとしたら無責任極まりない。

緊急的、つなぎ的には現金給付に依らざるを得ないが、一定以上の所得者や資産保有者については事後的に相殺できる仕組みを盛り込みつつ、対象を絞って必要な人に届かないことがないようにすることが不可欠。同時に恒久的な再分配強化策に接続していかなければならない。税制の、しかも所得控除額のみにフォーカスしていじることは筋が悪いどころか有害。

消費税率引き下げもそうで、大企業の法人課税強化、大企業の社会保険料負担増、所得税の累進制強化、高所得層の金融所得課税強化、富裕層の資産課税強化といったことが伴わない純減税として行われるならば破壊的であるし、時限的措置として行うことに現実性はない(半恒久化する想定を持たないと致命的になる)。結局は将来の大増税やセーフティネット脆弱化という形で跳ね返ってくる。

減税ポピュリズムの先にあるのは新自由主義、自助、自己責任の荒廃した社会であり女性の無償ケア労働があてにされる「日本型福祉社会」。言い換えれば、そういうやり方で増えた手取りは将来のため、もしものための蓄えに回さないとならないし、回せなければ頼れるセーフティネットもボロボロになっているから即困窮する。

左右の減税ポピュリズムの力点はもちろん違うのではあるけど、低中所得層や中小事業者の税・社会保険料負担を下げろという要求だけでなく、高所得層・富裕層や大企業の負担減も要求されるか、そこに波及して構わないというトーンになっている。

分配・再分配の強化という視点を欠く又は希薄で、正味での減税が求められるのが基調。それは、高所得層・富裕層の増税になることでもすぐに反対が出て、同調の声が上がりやすいことにも表れている。

一方で、防衛費大幅増額や巨額の産業補助金・ファンドの類はそこまで騒がれず、増税と結び付いたときに大騒ぎになる。

他方、子ども・子育ての「支援金制度」については再分配の側面はほぼ無視され、負担増(「増税」という形容も見られた)ということで大騒ぎになった。これまでも書いてきたが、「少子化対策」を冠することも、所得水準に関わらず負担が生じかつ労使折半であることも問題ではあるが、そういう議論以前での反対が目立った。

このような構図の先には、上に書いた通り、再分配は強化されず、セーフティネットは充実しないどころかさらに綻んでいくという道しか見えない。それも、今の子ども・若者が中高年になった時、今の中年が高齢期を生きる時にもろに跳ね返ってくることになろう。

「103万円の壁」を「引き上げる」ということでは、扶養の問題、3号被保険者の問題をどうするのかは見えないし、結局は女性の無償の家事・ケア労働を当てにする、無償+有償の長時間労働を強化するという傾きが含まれ得る。

ちょっと前までは左派ポピュリズムの可能性ということも考えられたのだけど、アテンションエコノミー下でそれもポジティブな面よりもネガティブな面がますます際立ってきたように思える。

積極財政か財政再建かも、財務省が云々も、世代間対立も、全部疑似問題で、二項対立にしてはならないのだけど、この図式は特にポピュリズム的な議論では左右問わず共有されてしまっている。そこにうまくはまったのが国民民主の「(若者の)手取りを増やす」。

経済成長を所与、前提とせずに分配・再分配の強化、その持続可能性を図らなければならないのだが、アベノミクスも「新しい資本主義」も全く不確かな経済成長を先取りして財政を拡張するもの。

MMTとの親和性がある左右のポピュリズムの要求も同型だし、もっと言えば分配・再分配という問題意識はスキップしているに等しいし、セーフティネットの強化と持続可能性という論点も実質的に消えている。右派ポピュリズムは明白に新自由主義、自助、自己責任の社会への志向があるが、左派ポピュリズムもそういう社会を招き入れることに無自覚、無頓着。

現下の左右のポピュリズムで致命的と思えるのは、ジェンダーの視点もケアの視点も欠落しているか、これらの視点で彼らの要求の帰結を考えることをおざなりにしていること。

配偶者控除にしても3号被保険者にしても、あるいは企業の扶養手当にしても、「内助の功に報いる」なんて言い方もされたけど、女性の無償労働を評価するものではなく(そうだとしたら低評価に過ぎる)、女性の無償労働を当てにし使い倒そうというもの。「男性稼ぎ主モデル」「日本型福祉社会」のコアとなる仕組み。これで女性が得られる資産、権利は基礎年金(と医療の現物給付)だけ。

これらの制度の下で人生設計をしてきた人たちへの不利益とならないことは必須だが、女性の職業、生活に係る選択に中立であり、かつ夫の収入への寄与が女性自身の資産や権利として正当に評価、反映される仕組みに変えていかなければならない。

「103万円の壁」引き下げで減税求めてたら、「106万円の壁」撤廃(社会保険適用拡大)で増税かとか、部分部分で騒いでアホかと思うけど、こんな感じの議論状況だから、持続可能な形で再分配を強化しベーシックサービスを保障しセーフティネットを充実させるという方向の議論、検討が阻害されてきたし、だからこそいつまで経っても将来不安が解消されない。

ずっと言っていることだけど、税・社会保障一体改革が「消費増税ありきのバラバラ改革」に堕し民自公3党合意で固めてしまって、それで安倍政権に譲り渡したことは野田政権の最大の失敗の一つ。野田立憲はその責任を引き受けるべきだし、この議席状況は税制・社会保障制度のまともな議論、検討に持ち込む好機。ちょうど年金制度改正の時期にも当たっている。

103万、106万、130万…の「壁」を考える時に「手取り」の増減だけで騒いでも無意味。その裏面は「主婦」の働き控え、低時給で昇進・昇給やキャリアップが望めない働き方、個人単位での低年金、離別・死別で顕在化する貧困リスク…。

一方で、配偶者や家族も広く社会も女性の無償ケアを当てにできる。企業は低時給かつ社会保険料負担のないパート・アルバイトを使える。当然、中小企業の人件費、社会保険料の負担能力の問題への対応は必要で、制度的な負担軽減策も必要だが、賃上げや最賃引き上げに関しても問題となるように、大企業等の取引先の公正な水準での支払いが根幹的な問題。

内部留保や配当・自社株買いと、人件費(労働分配率)や取引先への支払いとのバランスの見直し。経団連などが法人税負担の引き下げや社会保険料負担の緩和を求めつつ、消費税率引き上げを提案していることも関わってくる話。

「手取りが増える」というのは「今」だけのメリットでしかなく、その増えた分を余力のある人は、いや余力がない人でも無理をして将来やもしもの時の蓄えに回すしかない。増えた分をそのまま使わざるを得ない人はその備えに回せず、困窮リスクを引き受けざるを得ない。

再分配、ベーシックサービス、セーフティネットの議論が抜け落ちたまま「減税」が焦点化されるのであれば、その先は新自由主義、自助、自己責任の世界で、将来不安は却って強化される。「壁」を引き上げたり取っ払ったりという局所的な話ではなく、分配・再分配両面にわたる課題であるし、ジェンダーとケアの視点が不可欠な課題。

ここはようやく今の年金制度改正の議論でモデル世帯以外の試算も出るが、103万、106万、130万…の「壁」の話も局所的な減税だ増税だで騒ぐのではなく、属性やライフスタイルなどによって受益と負担がどうなるか、現金・現物給付でどこまでカバーされるかまで含めて、将来の年金というだけでなく様々な類型ごとに現在から将来に向かってのシミュレーションなど(何歳時点でどうか、傷病・障害の場合はどうかとか)で示して議論することが必要。実は2012年の一体改革法案の審議でも求めたんだけどね。

ここで引いてる阿部知子さんの質疑でも、「モデル世帯」の試算ばかりでなく、様々なパターンの試算出せということを求めていた。

去年一瞬N分N乗で騒ぎになってすぐ消えたのを思い出した。

「103万の壁」引き上げは課税最低限の引き上げで、住民税非課税範囲も、これと連動する各種制度の適用範囲も広がる。それ自体はよいことなのだが当然自治体における準備期間を取らないと混乱する。

と同時に、純減税ではなく累進制の強化等で再分配強化を伴わなければ破壊的。その意味では給付付き税額控除の導入とそれと連動する形での各種制度の適用基準の引き上げが最善策ではないか。併せて資産の把握とその各種制度適用への反映を進めることが公平性の観点から必要。

「手取りを増やす」を課税後所得だけの話にしてしまっては生活の安定にも将来不安の解消につながらない。

総選挙結果寸評

比例復活含め、通って欲しい人はほとんど通ったと思うわ。衆院の受け皿が増えたのはほんと嬉しい。

#共同親権に反対した議員を応援しよう
#共同親権を推した議員を落選させよう
で言えば、私が見る範囲でだが応援の声が上がった候補は、比例復活含めてほとんど通った(よだかれんさんが落ちたぐらい?)。一方、落選運動が起こった候補では、牧原秀樹、谷川とむ、音喜多駿といったところが落選。みたに英弘も小選挙区は落とした。

落選運動とまでは言えなかったかもしれないが、山田美樹、渡辺やすゆきといった共同親権推進派が何人も落選した(他に小選挙区は落とした候補も)。柴山昌彦、池下卓、斎藤アレックスを落とせなかったのは悔しいが、競り負けたいちき伴子さん、尾辻かな子さん、大岡としたかさんは比例復活した。

総じてとても心強い結果となったし、国会でしっかり動いてくれる議員が増えた!

総選挙で問われるべきだったこと

「減税ポピュリズム」「少子化対策」「成長戦略」といったことではなく、ケア、分配、再分配のあり方をしっかり議論する総選挙であって欲しい。

AI・データセンターの電力需要がどうのという短絡的な議論ではなく、経済社会構造と表裏一体のエネルギーシステムのあり方を議論して欲しい。

分断される世界における軍事・経済安全保障を便乗的に唱えるのではなく、アジアにおける平和・信頼醸成を議論して欲しい。

総選挙で経済、税制・社会保障制度の議論が低調というか、単純な二分法やポピュリズム的主張ばかりが目立つ。ただ、それは民主主義の基盤が崩れかかっている、熟議の環境が損なわれているということでもある。元々そういう状況があるところで超短期決戦を仕掛けたのが、10年代、20年代を通してそのような政治を推し進めてきた自公政権(野党時代から)。と同時に、棹差しているのは維新や国民民主(逆方向からだが、れいわもそう)。

同時に、政治・社会が問題によって対立的、分断的になる状況が続いても確実に利を得てきたのが経済界ということは見落としてはならない。最近では、巨額のファンド、産業補助金、政府保証等は大して焦点化されないままに、むしろ「国産」「日本発」等のナショナリズム的な枕詞とともに推進されている。「成長戦略」が足りないと決まり文句のように求めながらも市場が「評価」するのもこういう政策。他方で、法人課税や金融所得課税等が俎上に乗せられかけると冷や水を浴びせる。

以上2つの意味で、どの《党》の公約にも主張の仕方にも不満点はあるのだけど、「誰の方を向いているか」「誰の声を聞いているか」はこの総選挙においてとても大事な判断基準だと思っている。


「住民税非課税世帯」に10万円給付というのは、基準所得が低すぎて生活が苦しい層が大きく抜け落ちる一方で、資産が考慮されないから必要としない人たちにも給付されてしまう。後者について事後的に税で相殺できる訳でもない。……という話ではなく、「これでは外国人に10万円給付がされる」「それが目当てだ」という差別言説が湧いているのが本当に悪質だし、浜田聡・村上ゆかりなどもせっせと垂れ流している。

現状、所得と資産の両面を捉えて迅速に給付をすることは不可能。緊急に給付をするのであれば、住民税非課税よりも十分に高い基準で給付をし、事後的に所得税等で回収して実質的な給付先を絞るしかない。かつ、DV・虐待で避難しているが住基台帳・税情報上は所得の高い者と同一世帯である等形式的に基準から外れてしまう人が申請により給付を受けられる仕組みが必要。

その先には給付付き税額控除を導入して平時ベースで再分配を強化するのと、世帯単位で課税・給付等が判断される制度を見直すことが必要。迅速にやるなら世帯単位というのは常に問題が生じているし、平時でも世帯の縛りは様々な制度利用でハードルとなりあるいは申請手続きを煩雑にしている。

そして、批判されるだろうけど、資産とマイナンバーを紐づけて的確かつ迅速な給付・制度利用と公平な課税の基盤を整えることを考える必要がある。後者は再分配の前提として高所得者や資産保有者(特に両者が「かつ」の場合)から的確に徴税するということ。

前者については、現状でも様々な支援制度、減免制度を利用しようとすると資産申告が求められることが少なくないし、足切りされてしまう資産額の基準は高くない。マイナンバーとの紐づけは申請の負担軽減にも決定・実行の迅速化にも資するし、プッシュ型の援助も可能になると同時に、公平な資産捕捉がされることで資産面での基準を引き上げることが可能になるはずだ。

ずっと言ってるけど、マイナカードの活用促進とかマイナ保険証の強引な導入とかではなく、マイナンバー自体の中核的な役割の部分で再分配や困窮時の支援の強化になる検討と実施を急ぐべき。おかしなことばかり先に進めるからこの本来の部分でも不信感が解消されない。

日本では政治不信、政府不信(あるいは低信頼感)も租税抵抗も強く、そうだから新自由主義的言説が左右問わず一定程度受容されてきたし、最近は減税ポピュリズムも広がっている(その前から公務員バッシング、「身を切る改革」なども)。それに対して政治の側は相変わらず不信を高めることばかり起こすし、一方でポピュリズム的主張で訴求、煽動する政治家も増えている。

税・社会保障一体改革が消費増税ありきの「バラバラ改革」に堕したのは本当に痛かったし、一体改革のやり直しをしないとこの負の流れがますます基調化してしまう。その状況で防衛増税なんてあり得ない(そもそも防衛費大幅増に反対だが)。


「表現規制」問題も、共同親権問題も、暇空問題も、《表現の自由》、《子どもの権利》、《住民の権利》などの問題ではなく、ミソジニー、家父長制の問題なんだよね。だから、このバックラッシュ状況の中でそれぞれ重なり合うし、右派・ネトウヨと大きく重なる。 問題はこれらに対して声を上げづらい言論空間の状況があると同時に、トランスジェンダーに関する主張の違いやポスト・フェミニズム状況などのために、対抗すべき側が分断されてしまっていること。

#共同親権に反対した議員を応援しよう #共同親権を推した議員を落選させよう が大事なのはこのような状況もある。共同親権推進派だったり暇アノンだったりはいくらでも攻撃的な言動ができるのに、対抗する側はなかなか声を上げづらい。その状況を許し、むしろ煽っているのが政治であるし、国会議員ですら声を上げるのに躊躇する。だからおかしな議員には退場願い、まともな議員を増やさないとならない。ジェンダー平等に程遠い国会だから、ジェンダー平等政策の展開も遅いし「女性活躍」と言い換えられた「女性活用」の方にずれてしまう。政治がミソジニー、家父長制と闘うべきなのに、むしろ政治においてこそ蔓延っている。だから国会議員だけでなく都道府県議、市町村議でも女性が少ないし、そうだからこそ国会議員へのルートも狭い。こういうことと共同親権問題、暇空問題も密接につながっている。

地元のイベント、夜の会合に顔出して回ってという慣習も女性はじめ多様な人々が議員となることへのハードル。国会議員候補のなり手であったり支え手であったりする自治体議員もまだまだそういうことで選ばれる。そういう「地元活動」、そういう政治文化を変えていかなければならない。


本来、政治の主題、この総選挙の主題はケアであるべきなんだよね。


国民民主の玉木代表はなんでわざわざ無理やりなケチをつけて立憲を叩くのだろうか。自分のところの政策に優位性がある自信があるのならばストレートに訴えればいい。ここ数年もはや悪しきポピュリズムの手法しか使えなくなっていて自民を利するだけになっているし、それ以上に原子力ムラの思惑通りの動きに見える。

うわ、ダメだよこれ、やっぱり。


日本保守党関係者・支持者とか高市支持者・安倍信奉者とかのヘイト/外国人嫌悪発信が総選挙でますます溢れているし、そこに再エネ・太陽光叩きとか無茶苦茶な減税ポピュリズムも入っている。陰謀論も多いし、「公金チューチュー」など暇空問題とも重なる。また、トランプ熱烈支持で怪しい情報や酷いハリス・民主党攻撃も垂れ流している。なお、彼らには浜田聡・村上ゆかりなんかも同調している。議席に直接つながらずとも、政治的・社会的に危険な動向であるということは認識すべき。

もちろん、彼らは選択的夫婦別姓断固反対で、ミソジニー発言も目立つし、LGBTQ+差別も酷い。そういうことも全部選挙運動、選挙応援に乗せて垂れ流されている。NHK党、参政党しかり、着実に場を占めてきている訳で、選挙全体としてみれば「泡沫」「一部の熱狂」だとしてもそれで片付けていてはまずいことになる。

そして、こういう層は、暇アノン、共同親権推進派、表自といった層とも重なり合うし、揉め事も多いが、フェミニストであったりリベラルであったりを「共通の敵」「標的」にしてアドホックに、融通無碍につながってきた。暇空問題が大きくなったことにはそういう要因もある。

もう一つ注意すべきは、こういう連中の思想、主張には賛同していなくても、そういうアカから発せられた情報が発信元のアカや発信の文脈への警戒がないままに拡散されることも増えているということ。そうやって浸食されていく。

いいなと思ったら応援しよう!