「ケアする都庁」へ、蓮舫さんへの期待


はじめに

情勢調査の評論家やってる場合じゃないよ。構図は単純で #蓮舫 さんの票を増やすしかない。SNSは相手を気まずくさせない戸別訪問、個々面接、電話と考えればいい。バズる必要はない。それぞれの言葉で知り合いに伝わればいい。自分の思いに関わるポストや動画もうまく使おう。#蓮舫と次の東京へ

できる人は電話、個々面接という伝統的な方法も使おう。外で人と会った時にいつでも話題にできるようにネタを持っておくといい。#蓮舫 さんのイメージを正すような話とか、相手の興味関心に合う個別の政策の話とか、いくつか引き出しがあるとなおいい。大事なのは自分の言葉。#蓮舫と次の東京へ

とにかく、それぞれが自分の言葉、自分の声で周りに広げていくことに限る、ネットでもリアルでも、手の届くところから、声の届くところから。それと、生で蓮舫さんの演説を聞いた人は更にどんどん伝えて欲しい。

大事なことが詰まっている蓮舫さんの演説。読み飛ばすことが何もない。多様性とケアに溢れる東京、そのためのケアする都政、ケアする都庁。こんな光景を是非見たい。読んでいて涙が出てきた。
七緒さんいつもありがとう。

応援についての注意:浮足立たないこと!

#蓮舫と次の東京へ にはケアに溢れた、差別・排除のない東京というメッセージが含まれている。小池知事批判は結構だが、罵詈雑言、誹謗中傷、ミソジニー、人格攻撃は相容れない。正当な怒りの発露はいいが、貶めるためだけの攻撃性は有害。気持ちよく蓮舫さんを応援できるよう支持者は考えよう。

小池「叩き」もそうだけど、石丸「叩き」もかえって蓮舫さんから遠ざけることになり得る。侮辱、人格攻撃に接するようなものが少なくなく、またワーディング以上にトーンが侮蔑的等だったりするのは私が見ていても気持ちよくない。インフルエンサーでなくとも晒されて利用されることがあるのも要注意。

現場に出ていないからあくまで経験的な勘だけど、石丸伸二氏への批判やその材料探しにエネルギーを割くよりも、ポジティブに蓮舫さんのことを広める方が有効だと思う。仮に石丸氏になびく人がいるとしたら、単に蓮舫さんへの偏ったイメージのせいか、実績・主張をろくに知らないかだから。

「石丸氏に流れないように」「食われないように」なんて言ってる場合じゃないよ。#蓮舫 支持を広げ押し上げていく、それぞれが1票1票積み上げていく。消極的/諦観的現状肯定派に関心を持ってもらい投票所に足を運んでもらう。「私のニーズが都庁に届く」、そう思ってもらおう。

都の非正規職員の正規化について取り上げるポストが広がっているけど、蓮舫さんの演説、公約から自分が「これ!」「そうそう!」と思ったことを広げていくのは大事。#蓮舫と次の東京へ

記事中の数字を見れば、見出しも記事中の分析も相当飛躍し、角度の付いた、筆者の主観的ストーリーであることがわかる。蓮舫さんの票を削って小池知事を勝たせたいのかなといぶかりたくなるような代物。この種の見立てがチラホラしてるが浮足立たないこと。

複数区ならば変数が多く複雑になり得る。小選挙区でも15区補選のように入り乱れた構図になれば大きな変動が起こり得る。だが、30小選挙区を抱える都全域で1人を選ぶ知事選。圏外候補が数十万票取っても「善戦」「旋風」だし、その伸びは「猛追」に見えるが、絶対的には競るラインの遥か下。

だから、報道やそれを踏まえたかの分析とかに惑わされず、それぞれがネットで対面で電話で、手の届くところ、声の届くところにアピールして蓮舫票を地道に積み上げていくしかない。バズりを目指す必要はない。あなたの言葉に耳を傾けてくれる人にまず伝わることが大事。

ネットに詳しい者ほど、というかその自負がある者ほど、しばしばネット選挙のことを分かっておらず、失敗し、見誤る。同時に、票につながるかどうかとは別の水準で(全国比例では無視できないが超少数派)、過信し(あるいはリアルがおかしいという認知になり)過激化する集団がネット上で形成される。

15区補選での日本保守党候補をめぐるネット上の盛り上がりと選挙結果との落差もそういうことだし、今の石丸陣営・支持者の動きもそういうことでしかないように見える。ネット上でのバトルが石丸票の増減に大きく影響するというのは、皮肉にも親石丸と反石丸が共有する幻想ではないか。

つまり、繰り返すが、蓮舫支持者は浮足立たず蓮舫さんの売り込みに全力を注いで1票1票積み上げていくのが最善と思う。

蓮舫さんへの期待

東京が金融・産業面、観光面で国際競争力のある都市になったとして、それは多様な人々が暮らせる街であるのか?誰が「チャレンジ」できる場であるのか?真っ先に削がれるのは都市のケアする力。21世紀の東京都政の誤りはここ。

東京の出生率が更に低くなっていることが表すのは、東京が多様な家族にとって暮らしにくい、子育てしにくい街だということ。同時に、貧しい子育て世帯然り、高齢者然り、東京から動けない。非正規の貧しい若年層、中年層(氷河期世代など)も然り。ここを支えケアする施策も薄い。

非正規、貧困・格差の問題は男性の現役世代で顕在化、可視化され初めて社会問題、政治課題となったが、女性ではずっと問題として存在してきた。このままでは「女性の貧困」「排除・孤立」は日本全体でも、特に東京でも更に深刻化する。キラキラの「女性活躍」では無視、放置される。

ここの手当てをすることは、政策の視点、重心を変えることだから、「老いる男性」「排除・孤立に陥る男性」を支えケアすることにもなる。象徴的に言えば「グローバル企業やキラキラのスタートアップでバリバリ働く人材」「パワーカップル」ばかり顧慮され優遇されることからの脱却。

東京には地域内でも地域間でも大きな格差がある。再開発、ジェントリフィケーションがその格差をより複雑なものにするし、より見えにくいものにする。綺麗になり利便性が高まったとされる街からは単に問題が排除され不可視化されたに過ぎない。その「影」を捉えられるのが蓮舫さん。

蓮舫さんには「都会的」なイメージがあるかもしれないけど、日々の暮らし、仕事を支える、多様な生き方を支えるというのが根底にあるし、東京の地域的多様性を捉えている。「約束06」には「住みよい多摩へ」が掲げられている。対して小池知事は現実には「グローバル都市」ブランドへの傾きが鮮明。

石原元知事から小池知事までの「首都東京」「グローバル大都市東京」のプライドや知事の自己顕示欲に引っ張られた政策で恩恵を感じている人は一握りで、多くは「そんなもの」と思わされてしまい、知事のパフォーマンスへの肯定、否定みたいなことになっている。蓮舫さんになれば都政が身近になる。

「小池知事の選挙目当てのバラマキだよね」「パフォーマンスだよね」、「まあありがたいけどね」という程度にしか多くの人には実感がない。蓮舫さんはいい施策は継続しつつ、漫然としたバラマキ、恩恵が不公平に偏る施策などは見直して必要なところに予算を充てる。「ケアする都政」の裾野が広がる。

小池都知事は暇空らのミソジニー、妄想による都若年被害女性等支援事業と受託団体への攻撃へ毅然とした姿勢を示さなかったばかりか、一切前に出ず、女性支援団体、若年女性・少女の被害、犠牲を放置し続けている。4月施行の女性支援新法(困難女性支援法)も肉声のメッセージはない。

小池都知事は、キラキラした「女性活躍」施策は積極的に前に出て旗を振る。都の予算書を見ても重点の置き方は明白。女性は多様な困難、課題に直面し、かつ複合的に困難、課題を抱える。女性支援新法に係るものに限らず、生活と仕事、人生の様々な場面におけるニーズが見過ごされ、対応されないでいる。

ここを変えよう、予算の使い方を変えようというのが蓮舫さん。それを、当事者、NPOなどが参加する円卓会議を作るなどしてボトムアップで進めて行こうというもの。現場に近い、現場とつながる都政。#蓮舫と次の東京へ

機会を求めて東京に出てくる若者は多い。しかし、非正規労働で下層から抜け出せず東京からも動けず中高年となり老いていく人も少なくない。あるいは、虐待、いじめ等で地元に居場所がなく支援も得られず、東京に行けば何とかなるかもと出てきてさらに被害に遭う子ども・若者もいる。東京の影の部分。

もちろん東京だけで解決できない部分はあるが、少なくともこのような人たちにセーフティネットを提供し、ケアし、支えることが不可欠だが、まだセーフティネットの目は粗く、隙間があり、綻びがあり、さらに暇空問題のようにさらに穴を開ける攻撃もされる。ここの強化、再構築は都政の喫緊の課題。

情報を持たず、アクセスがなく、又は行政に不信感を持つ人には行政の支援は届かない。行政とのやり取りで傷つき拒絶する人もいる。画一的、選別的な支援から零れる人も少なくない。アウトリーチ、即応性、柔軟性には非営利部門との連携、協働が不可欠。NPO等が下請けにならず独自性を発揮できる形。

「トー横」も大久保公園周辺はわかりやすい。警察が前に出ながらやられているのは「浄化」。そこにいる、いざるを得ない子ども、女性は逮捕され、補導され、あるいは「来ないよう」に説教され、彼女たちが抱える問題への対応、ケアは選別的に行われる。支援団体の取り組みは別トラックにされてしまう。

行政の下請けのような団体は重宝されるが、女性・子どもを粘り強く見守り、寄り添い、丁寧にニーズに応えるような支援団体ほど「官民対等」の建前とは裏腹に独自性、柔軟性を制約され、行政の十分な支えを得られない。それが如実に出たのが暇空問題であり、小池都政が問題を結果的に増幅した。

当事者やNPOなどが参加する円卓会議をはじめ、ボトムアップの都政を掲げる蓮舫さんが都知事になればここも大きく転換する。現場の声、当事者のニーズが反映され応えられる。暇空らのような攻撃に受け身で、座視することはなくなるはずだ。

6月25日の成増での応援演説で辻元清美さんは東京における差別・ヘイトについて関東大震災時の朝鮮人虐殺に触れて語り、続いて東京の中の大きな格差について語った。そこで、歌舞伎町での女性・子どもの被害について語った。蓮舫さんはそういう影に光を当てる、そう訴えた。

政治・行政の意識・認識と姿勢も変わらなければならないし、確かに変わってもきているが、まだまだ属人的でな面が強く、十分に変わったとは言えない。東京都という巨大自治体でそれを完遂するのは難行だが、トップが明確な姿勢と方針を示さなければなおさら進展しない。そこは #蓮舫 さんしかいない。

出馬会見について:期待の萌芽

東京都知事選の争点は「ケア」になって欲しいし、蓮舫さんには5月27日の会見もからも、6月1日の生活困窮者支援現場の視察からも、「ケアする都庁」が期待できるし、具体的な公約を待ちたい(6月18日発表)。

蓮舫さんは会見で、予算の使い道を変えると言った。ここで挙げられているのは、再分配機能を強化するということであるし、「ケア」を重視するということ。そのケアにはNPOの役割が欠かせず(下請けではなくニーズに的確に応えるという意味)、そこに公金を投じることは広義の再分配。

「ケアする都庁」へ

東京は子ども・若者の絶対数は多いが少子高齢化が急速に進む都市だし、国内外から多様な人が集まるため困難も多様で、多様な「ケア」のニーズが現れる。そのケアを行政が的確、柔軟に提供することは不可能だし、ニーズの発見からして難しい。市場原理と自己責任に委ねることも当然できない。

産業、金融、観光等で東京の魅力を高め人を集め、住環境・生活環境も向上させ、都市機能を強化したとしても、「ケア」はどうするのか。しかもそれは「介護人材」だけの問題ではない。多様なNPOの役割と対等な官民連携は必須であるし、抑圧的、閉鎖的でない「ケアするコミュニティ」も不可欠だ。

そして、それは産業、金融、観光等に係る政策や住環境・生活環境等に係る政策とバラバラには考えられないし、介護人材不足対策としてのみ考えるのは誤りだ。あるいは、デジタル化、AI化で生じる余剰人員を「創造的な仕事」や「新産業」にという議論ではケアの視点がすっぽり抜け落ちている。

物流や建設分野での労働時間規制強化に伴う人手不足問題はじめ各分野の労働需給問題も、東京においてますます増大するケアワーク需要を無視してはケアの不足、ケアの格差をますます深刻化させることになろう。東京の経済規模も人口規模もケアの面での持続可能性の視点を入れないと画餅になる。

高齢者はもちろん、子ども、若年層、中年層(氷河期世代など)、女性、障がい者、LGBTQ+、外国人…現在でもそれぞれに十分に満たされていないケアニーズがあり都の予算配分の見直しは必須だが、同時に10年、20年、30年先のケアを見通した長期的な戦略を欠いては荒廃した未来を招く。

もちろん、家事・育児・介護・介助と仕事の「両立」支援は重要だが、それがケアの私事化、家族化という形での「解決」に向かってしまうのであれば持続可能ではないし、ケアシステムから零れ落ちる人も増やしてしまう。社会のレベル、地域/コミュニティのレベルでのケア提供や分かち合いが基本だ。

「ケアする都庁」とは、今不足しているケアを充実させるために政策、予算配分を見直すということだけでなく、ケアの視点で将来を見通し、戦略を立て、政策化、予算化していくということとの両方の意味を込めている。

児童相談所職員、スクールカウンセラー、女性支援相談員……子ども、若者、女性などをケアし支える専門職の雇用が安定せずキャリアパスを描けない。人員が少なく時間がないため研修参加等の機会が得られないとの声も多い。結局、それはケア、支援が手薄になってしまうということ。#蓮舫と次の東京へ

非正規の専門職は、臨時的任用教員なども含めて人と接しケアする職種が多い。ここを正規化することは雇用安定、所得向上につながるだけでなく、それらのケアの受け手となる人たちの生活、福祉、職業の安定、向上につながるもの。国との折衝含め頑張るべきこと。

公契約も同じ。プロジェクションマッピングとかキラキラしたイベントとかの委託や補助にジャブジャブ予算を使うのではなく、現場で相談支援、ケアをする事業においてスタッフが適正な待遇で雇用されるよう予算確保し契約条件とすべき。ちょっとした意思と工夫でできること。

非正規の専門職にせよ、非営利団体との公契約にせよ、行政が事実上「やりがい搾取」「使い捨て」をする格好になっているのはおかしい。官がという意味でも巨大自治体がという意味でも東京都が率先して改める意味も大きい。

この地獄のような状況を変えていくためにも都政を #蓮舫 さんに託すしかないんだよね。強者・差別者の側に立ってきた小池知事ではなく。#都知事選 #蓮舫と次の東京へ

ミソジニーが大きく乗っかって叩かれてきたのが蓮舫さん、辻元清美さんなどの女性政治家(小池叩きもそうだが、小池知事には内なるミソジニーがありねじれている)。だからこそ、黙らされた、かき消された声を丁寧に聴き取る政治ができるし、やってきた。

東京における「ケア」を考えるために

斉藤正美さんの連投は重要。「少子化対策」という立て方をし、ましてや出生率向上を目標とすることは大きな誤謬。出生率はジェンダー平等政策などの成果を測る代理指標の一つ。あくまで諸施策の《結果として》どう動くかというものであり、その因果の経路を分析すべきもの。

女性支援について

そもそも、暇空問題は全く終わっていなくて、Colaboはじめ女性支援団体の被害は継続、拡大している。それは結局若年女性・少女の被害、犠牲につながっている。これまでの甚大な被害の回復も全く果たされていない中、みんな必死に活動を回している。

巨大な都の予算においても、もちろん国の予算においても女性支援に使われる額はささやか過ぎるのだが、それでも何とかセーフティネットの隙間、綻びを埋めていこうとする取り組みが根拠なく、憎悪だけで叩かれる。流布されている蓮舫さんの発言も無駄金を使わずセーフティネットに回せというもの。

蓮舫さんの都知事選出馬で、ジェンダー、多様性、エコ、歴史認識などを巡って様々な問題が可視化されることになるだろう。それは小池氏の思想、政治姿勢ということはもちろん、広く現在の政治・社会状況ということで。親小池か反小池かが前に出てぼやけてきた政策論争も活性化するはず。

なお、暇空問題について東京都がすべきことを挙げておく。前に出て毅然とした対処をするということを一向にしない小池知事の責任は重い。

①暇空らの誹謗中傷に対し即時に刑事告訴すること
②又はまずは措置入院のための手続きに入ること
③若年被害女性等支援事業について硬直的な、萎縮した運用を改めること
④暇空らの開示請求に対しては全面不開示とすること
⑤住民訴訟棄却後に暇空らに損害賠償請求をすること

⑤の前提として住民訴訟では暇空側の請求と主張内容の不当性をより踏み込んで主張することが不可欠。暇空の荒唐無稽な主張にダラダラ付き合う必要はないと裁判長に促すべき。

暇空とその周辺の妄想、狂気に歯止めがかからない。どれがどうではなく全部。

その暇空らに毅然とした姿勢を示さず、被害、犠牲が継続、拡大することを放置し続けているのが小池百合子都知事。足元の福祉局も機能不全に陥っている。誰のための、どこを向いた都政なのかをあからさまに示すもの。その方向転換を #蓮舫 さんに期待する。 #都知事選

念のため補足すると、履行確認のために提示(提出=渡すではなく)を求められる資料に個人情報も含められ得るというのが懸念点。現在補助を受けている団体も個人情報を守ることを最優先にしており、今のところ都も不必要に個人情報を保有しない、提示を求めない姿勢だが、常に緊張感がある。

暇空らに対して小池知事が毅然とした姿勢を示さず、一切前に出ず、福祉局も受け身の姿勢に終始し、叩かれないために補助事業化、要綱変更等過剰に対応し、その運用も開示請求等を気にして硬直化、萎縮が見られ、ツケが全部団体に回っている状況。その転換を蓮舫さんに期待しているし確信している。

公約発表を受けて

蓮舫さんの公約会見は具体的でメッセージがはっきりしていた。ただ、質問を聞いていると、やはり全体を捉えずパーツで切り取ってミスリードする報道やポスト等が多く出てくるだろうから、継続的にわかりやすい発信を期待したいし、支持者も気をつけて挑発に乗らないようにしたいところ。

核は若者を支えることと、ライフステージ毎に多様なメニューを揃えて予見可能性を高め将来不安を解消することで、結果的に「少子化対策」にもなるということと理解したが、そのリンクはわかりやすくした方がいい。少子化が緩和しても人口構成は高齢化することへの適応の問題も同様に。

何人かが「経済成長」を問うたが、蓮舫さんが答えた通り循環の問題。東京が「稼ぐ」「成長する」という問題の立て方ではない。所得、東京での支出構造に適った可処分所得の底上げを自治体で使える分配・再分配の機能を動員して行うこと。都非正規職員の正規化・待遇改善と公契約条例はその端緒になる。

東京の企業が稼ぐということは都民と都外からの所得移転ということになる。その稼ぎが都民に給与等として、また税収を経由して、あるいは都内の中小零細事業者への代金等としてどれだけ分配されるのかの問題にもなる。ここはまさに小池知事の発想から抜け落ちているところ。

「東京都の経済成長」の定義は実は曖昧。都民経済計算などを精緻に分析して、東京として重視すべき経済指標は何か、それに一般に「成長」とイメージされる指標が含まれるのかが実は論じられるべきことではないか。言い換えれば、東京の「豊かさ」の指標は何かということ。

無知とミソジニーだけで全く的外れななる。私自身は少子化対策という問題の立て方は否定するが、少子化対策としての効果も高いのは若年層の雇用安定化と所得底上げ。蓮舫さんの公約はそのエビデンスを踏まえたもの。

蓮舫さんは「本物の少子化対策」と銘打ったが、少子化対策の陥穽は踏まえたものと理解した。出生率の統計は示したが、ダイレクトに出生率向上を目指すメッセージは発していないしもそういう施策の立て方はしていない。

その意味でも #蓮舫 さんの「約束03」の女性関連施策と同時に、「約束05」で「ボトムアップの政治」が掲げられ、当事者、NPOなどの知恵を借りる円卓会議が示されていることにも注目し、その姿勢が表すものに期待している。#蓮舫と次の東京へ

公約発表の時も言及していて、おっ!と思った。人を支える、ケアする専門職ほど非正規で、雇用が安定せず、待遇がよくない。きっと蓮舫さんは分かっていると思うけど、女性相談支援員(旧婦人相談員)の正規化、待遇改善も是非。

案の定の混ぜっ返し。民主主義の基盤的制度である情報公開を守るためにも制度の悪用、誤用、濫用は厳しく排除しなければならない。もちろん行政側の恣意性の排除は不可欠。ネット・SNS時代への情報公開制度の適応が緊急の課題であることが暇空問題で明白になった。

ほんと大事なこと。ミソジニーは都知事選の基調にある問題。私は小池知事を評価しないが、小池叩きはミソジニーにも駆動されてきた。その小池知事も内なるミソジニーを抱えている。ジェンダー・センシティビティに欠けた都政の転換は大きな争点。 #都知事選 #蓮舫と次の東京へ

#蓮舫 さんの #都知事選 公約に「数値目標がない」「検証ができない」というケチ付けがあるが、政策項目としては十分具体的で、現職でない以上得られるデータ、情報に制約があり、そこでエイヤで数字を出す方が無責任。数値等は都庁に入りデータ等を精査して出されるはずで、それが検証の指標になる。

加えて、公約に対して出てきた数値目標がしょぼければ、それも評価の俎上に乗せられる。ともあれ、小池知事と蓮舫さんでは描く都政の方向性もアプローチも明確に違う訳で、じゃあ蓮舫さんの示す方向性とアプローチに現実性があるか、託したいものかは、数値目標がなくても十分に判断できる。

むしろ、蓮舫さんが指摘するように、小池知事の成果とされる数字の根拠がブラックボックスであったりする訳で、数字を出した方が勝ちというような話では毛頭ない。ろくに理解、分析もせずに数値の有無で云々するのは為にする議論でしかない。

参考文献

「ケア」は狭い意味での介護や保育・育児とかその人材ということではない。その基本的なことについて、比較的さっと読めるのは、

岡野八代『ケアの倫理』
村上靖彦『ケアとは何か』
小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』

あたりだろうか。
「ケア」の実践を具体的にイメージする上では、

大嶋栄子『生き延びるためのアディクション――嵐の後を生きる「彼女たち」へのソーシャルワーク』

がとてもいいと思う。

少子化対策自体には肯定的だけどもデータの読み方、政策効果の考え方という意味で有用なのが、

筒井淳也『未婚と少子化』

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