暇空茜問題の大まかな見取り図


見取り図

フェミニストを叩きたい、仁藤夢乃さん/Colaboを叩きたいという私怨から始まった暇空茜問題。それは各方面から乗りやすい標的だったが、Colaboが若年被害女性等支援事業を受託していることに注目し「公金」という問題設定にして住民監査請求に乗せたことは確かに「慧眼」だった。

Colaboのみに絞らず、受託4団体を「WBPC」と括り「ナニカグループ」という妄想を膨らませたことで、さらに同調者・便乗者を引き込みやすくなったと言える。属人的な標的だけでなく、様々な属性へのアンチに訴求した。暇空問題はバックラッシュの産物だがそのフォーマットを還元することにもなった。

気に食わないから叩く、デマ・印象操作で信用を貶める。暇空はこれを公金を巡る疑惑という形に仕立て上げ、住民監査請求・住民訴訟というプロセスに乗せることで相手が対応せざるを得なくした。同時に、主張の正否に関係なく形式が整えば乗せられるにも関わらず「疑惑が正しい」との印象を振り撒いた。

要はこれだけのこと。あとは、都合よく事実を拾って妄想でつないで際限なく「問題」「疑惑」を生み出し続ければいい。その主張は無知・無理解を晒しているだけなのだが、その無知・無理解を共有する者、目をつぶれる者には訴求するし、彼らが勝手に膨らませてくれるし新たなネタも発掘してくれる。

暇空に直接間接に乗っかり、ネタ・知恵を提供し、増幅・拡散してきた議員、専門家、言論人、メディアの責任は重い。何らかの専門知識等を持つ「調査員」らも。

そして、支援団体、NPOそのものの機能と役割に対する無知、無理解が甚だしく、ネオリベの悪い部分を濃縮したような主張が目立つ。

やってることは暴露系YouTuberのようなことなのだが、住民監査請求・住民訴訟と、そしてそのためのカンパと組み合わせることで費用を調達するに止まらず収益化もできるビジネスモデルができてしまったことは特徴的だし、それで長期戦が可能になってしまった。

暇空らが「問題」「疑惑」などと騒いできた主な点についてはこちら。

まあどれもこれも、叩きたいだけで無理やりケチをつけているだけで妄想の域。実際、暇空らの妄想は際限なく膨らんでいる。

どう対抗するのか?

暇空らの妄想を嗤うのは簡単なのだけど、そこから脱け出すのは簡単なことではなくてね。アルコール依存症が「否認の病」とも言われるのと同じで、「認めること」が最初でとても困難なハードルなんだよね…。

だから、まず必要であり、できることは、暇空を称賛、同意、肯定しないこと、させないこと。その大きな源泉でもある直接間接の協力者をを称賛、同意、肯定しないこと、させないこと。彼らの言説を広めず、広めさせず、対抗言説などにより無効化していくこと。そうやって輪を小さくしていくこと。

暇空問題は終わったと思っている人は多いが、住民訴訟等が続いており都と4団体に過度な負担がかかり続けている。また、他団体を含め実害が生じたし依然として対応を余儀なくされている。必死に業務を回しているから被害や負荷の実態が外からは見えにくいだけ。それに暇空問題は単発事象ではない。

近々では、#MeToo や #フラワーデモ に対して吹き荒れたバッシングや、女性が告発等声を上げた様々な事案に際しての猛烈な攻撃。このバックラッシュ状況から暇空問題が生まれ広がった。困難女性支援法での再燃もあり得るし、前に出る者は入れ替わるだけ。

だから、ジェンダー・イシューやフェミニズムに関わりや関心のある少なからぬ人たちが対岸の火事のように沈黙しているのが歯痒い。標的になっている団体・個人への評価や好き嫌いの問題ではないということも強調しておきたい。

こんな風な揶揄で暇空問題のような攻撃の土壌は耕され続けている訳で。その根深さを感じている人は多いはず。

心ある記者も各社で孤軍奮闘の感があるし、もっといろんな人に前に出てきて欲しい。2000年代バックラッシュのように、「振り返ってみればあれは」ということにしてはならないし、同じように後々まで影響を残させるようなことにしてはならない。既に暇空がアンチフェミに一つのモデルを示した訳だし。

女性支援団体叩きと共同親権運動は連動しているし、入管法改正やLGBT理解増進法に際しての当事者・支援者叩きとも重なった。「向こう」は融通無碍につながって面的に広がり相互乗り入れしている。こっちも面的に対抗していかないと、各分野、各団体に担わせるには重過ぎる。

各住民監査請求結果含め、その他の分析


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