タイ語がわからないことのメリット
タイに4年半住んだものの、タイ語はまったく上達しなかった。
来タイ当初、1ヶ月くらいマンツーマンのレッスンに通ったのだが、レッスンが終了してから、1度もテキストを開いていない。それでも、レッスンに通っていたときは、大人になって学ぶことの新鮮さ、喜びを感じて、予習復習を熱心にやっていたのだ。
今となっては、だからなんだ、という話でしかないけれど。
タイ語がわからないメリットが、ひとつあって、それはスタバなどのカフェでの読書がはかどるということ。
もともと、私は、外での読書はどうもはかどらない。隣の席のおしゃべりが気になってしまうのだ。
大学生のかわいい恋愛相談や就職の悩みの話なんかは、聞くつもりはなくても、一度耳に入り始めたら、いつの間にか耳ダンボ状態になってしまう。心の中で、こっそりとエールを送ったり、ほっこりしたりしながら。
タイのスタバも、日本のスタバとだいたい似たような光景が繰り広げられている。PCやタブレットを開いて勉強する学生、仕事する社会人、友達や同僚とのおしゃべりをするグループたち。
何を言っているか、少しもわからなければ、他人のおしゃべりは程よい雑音として、むしろ読書の集中力を高めてくれることを知った。
タイの若者たちがどんなおしゃべりをしているかわかったら、それはそれで面白かっただろうなあ、とも思うのだけれど。