お酒のマイルール
美容室で読んでいた雑誌に「ソバーキュリアス」というムーブメントが流行りつつある、という記事を見つけて、愕然としてしまったのは、私が呑兵衛だから、でしょうかね。
「Sober=しらふの」と「Curious=好奇心」で「Sober Curious(ソバーキュリアス)」
体質的にお酒が飲めないとか、依存症を克服する必要がある人ではなく、飲めるけどあえて飲まない選択をする、というライフスタイルだそうだ。
若者たちはお酒を飲まなくなってきている、というのは、日本でも前から言われていたことだったし、どんな時代、どんな世代であれ、飲まない人、飲めない人にお酒を強要するなんて、おかしなことだとは思う。
まあ、私は飲めるおかげで、お酒が出る場面で居心地の悪い思いや、不平等に合わなくても済んだ、というのも事実だけれども。お酒飲める人優勢、みたいな時代は確かにあったのだ。
欧米でのムーブメントが日本にも上陸して、若者に浸透していく。そして、それが次第に日本でも「クール」なことになっていて、そうでないと、「ダサイ」となってしまう。度々起こる、その流れにちょっとばかり抵抗したくなるときもあるんですよね。抵抗って言っても、声をあげるでもなく、心の中で「なんだかなあ」と思うだけだけど。
それに、認めたくはないけれども、お酒って、健康には百害あって一利なし、というのもわかってはいて。わかってはいるけれども、飲みたいもんだから、1日1杯だけなら、リラックス効果なども含めて、健康によい側面もある、といった苦し紛れにも思える説を支持し続けている。
20代の頃の私は、かなり頻繁にバーに通っていた。仕事場でもない、家でもない、別の場所が欲しくて、仕事が終わると1人で立ち寄り、職場の飲み会があっても、リセットしたくてーあるいは飲み足りなくて(笑)ー立ち寄り、と週に4、5日は通っていたと思う。
そこまで通っていると、お店にもお客さんにもそれなりに常連と認識される。口下手な私は、いつまでたっても、他の常連さんのようには打ち解けなかったが、それでも、居心地が悪くなかったのは、そこに来る人々の品性とマスターの力量だったのでしょうね。
外ではそれなりのポジションで働いている人たちが、バーで知り合った利害関係のない間柄の人たちと「中学生か!」とつっこみたくなるような話題で盛り上がっているのを眺めたり、カウンターで恋がうまれるサマを観察したり、と飽きることもなく過ごせたし、そこにいる人を傍観している瞬間は、仕事の悩みを忘れることができた。
それに、20代の女が1人で飲んでいたら、口説くつもりがあろうとも、なかろうとも、「1杯どうぞ」という大人たちがいて、おこぼれにあずかることもできた。
その雑誌によると、ノンアルコール専門のバーまで出現しつつある、という。もはや、バーじゃないじゃん、カフェじゃん。それじゃ、恋が生まれないじゃないか!と一瞬思ったけれども、待てよ?と考えてみる。
バーで恋が生まれるのは、酔った勢いではなく、バーのあの形状のなせる業なのかもしれないな、と。カウンターがあり、中にいるマスターの目が行き届いている状態で。顔見知り程度になった意中の相手と、なんとか隣の席に座ることができたなら、何かが起きる可能性は、ある。
そこは、総監督であるマスターの腕をかりながら、うまいこと采配してもらえばいいわけで。カフェだとそうはいかないもんね。
ならば、バーで始まる恋の問題はノンアルでもよいとして、(バーは、恋の始まりのためにあるわけではないけれど)マリアージュ問題はどうなるだろう。
お寿司には日本酒
ステーキには赤ワイン
と、わかったような口をきくほど、グルメでもない私だが、すりこまれたものはある。
それに、シラフでは味が濃いなあ、と思ってしまうようなひと皿が居酒屋のメニューにはある。たこわさやチャンジャ、なめろうなど。これらは、緑茶のお供で美味しくいただけるのだろうか。
タイに住んでいたころ、コロナの感染拡大防止策として、店舗でお酒を提供していない時期があった。ノンアルコールでお寿司や焼肉が食べられるか!と文句を言いながら行ってみたら…、
案外イケた。
思えば、子供の頃は、ノンアルでお寿司や焼肉を美味しく食べていたんだもんなあ。お酒を飲む理由を探して、つらつらと書いていたら、お酒がなくてもイケそうなことばかりに行きついてしまった二日酔いの今日。
朝起きたときは「やってしまった!」と思ったくらい絶不調だった身体が、夕方が近づくにつれ、だいぶ楽になってきた。
さて、今晩は、飲むか飲まないか、それが問題だ。
ちなみに、Instagramに書いたマイルール↓によると、今日は飲んでいい日であります。ははは。