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こうして「わがままが言えない大人」になった。

自分と向き合うなかでみえてきた内面的なコンプレックス。
うさみきの長所でもあり短所について。

今までの恋愛を振り返ってみると、
いわゆる「尽くす」ことに喜びを見出していた時期だった。そのときはそれが楽しかったし、相手にとって「物分かりのいい自分」でいることが好きだった。

でも「尽くす」と同時に相手に見返りを求めて、結局は疲れてしまう。勝手に気を遣って勝手に疲れて。気がついたら、自分を相手に理解してもらうことをあきらめている。見返りを求めて返ってくることなんてあり得ないことは、これまでの経験から学んだ。

ちょっとめんどくさいわがままを言ったり
大事なときに相手を頼ったりすることができない。

例えば、
「飲み会にばっかりいかないで、自分といる時間つくってほしい」
「一緒にいるときにゲームしないで」
「寂しいから、泊まっていってほしい」・・・

振り返ってみると、「そのとき言えばよかったのに」と思うことばかり。

そもそも、意見がぶつかり合って喧嘩になったり話し合いをしないといけない空気になるのがすごく苦手。
ちなみに元彼たちと全く喧嘩したことないわけではない。でも付き合って半年以上経ってからやっと初めて言い合いになったりする程度。
喧嘩になるくらいなら、相手に合わせた方がいいと思っちゃう。
不穏な空気になると、どうしたらいいかわからない。
自分が思っていること言えなくて、嘘もついてきた。
嘘をつくことが悪いと思わない。それで喧嘩を回避できてきたから。
大丈夫じゃないのに「大丈夫だよ」「全然いいよ」って。
事なかれ主義で、とにかく争いごとを避けたい。
「わがまま」「めんどくさい」って思われたくない。


そうなった原因は、幼い頃から両親の喧嘩をみてきたせいかもしれない。
些細な事で、しょっちゅう喧嘩する家庭で、極力家にいたくなかった。
しかも3歳年上の姉には八つ当たりされてばかり。家に居場所がないから、学校以外は図書館か本屋さんに入り浸っていた。
とにかく、両親がいがみ合っている重苦しい雰囲気に耐えられなかった。暴力的なことはなかったけど、「もっと平和な家庭がよかった」と何度思ったことか。
子供ながらに「こんなに仲が悪いのになんで結婚したんだろう」って不思議でしょうがなかった。というか今も不思議に思っている。
お互いを受け入れないことで、様々な軋轢が生まれるのをみてきた。
その軋轢の渦のなかで、過剰に空気を読むことを覚え、わがままをいえない大人になった。

自分が味わってきた嫌な思いをするなら、
多少我慢してでも、穏便にやっていきたい。

相手に気を遣えるって
本来はすごく良いことなのに。
今まで、それが自分の長所だと思ってた。
でも恋愛でそんなことばっかりしてたら、疲れていくだけだった。
気を遣いすぎてしまったり、わがままをいえないって短所でもあるんだ。

「こうしたら、わがままに思われるんじゃないか」という恐れ。
「優しくて物分かりのいい彼女って思われたい」願望。

これを乗り越えないと、自分が幸せになれる恋愛はできない気がするね。


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