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NIPTを受けるか迷って

NIPTについてひと記事。

2回目の体外授精が成功し、心拍まで確認できたとき頭に浮かんだことは、NIPT(新型出生前診断)を受けるかどうかでした。

妊娠後の流れを調べて知ったのではなく、不妊治療による胎児への影響などを調べている中で出てきた情報のひとつ。母体の血液だけで胎児の障害の有無や疾患がわかるというその内容に、「じゃあ受けた方がいいじゃないか」と安易に思ったことを覚えています。

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でも実際考えてみると本当に受けるのか、とても悩みました。受けること自体は簡単。陰性が出たときも安心して終わり。でもそれ以外だったら?

我々夫婦は、結果を知ってから悩んでいたのでは時間が足りないし、子に合わせた育児の準備であれば今後の健診やもっと後期の検査を元にでもできる=早期に行うこの検査だからこそ取り得る選択肢について結論を出しておくことが大切だと考えました。

こんなに望んで授かったいのちです。妊娠が、妊娠継続が、母子ともに無事に出産できることが奇跡であるのを知っています。
その選択肢について考えること自体がとてもストレスでした。「その子が幸せになれるのか?現実は厳しいに決まってる」「幸せは傍から計るものではない。むしろ世の中の嫌な部分を気にすることなく楽しくたくましく生きてくれるかもしれない」「こんな自分で十分に支えてあげられるだろうか、いや、自分がいるうちはいい。もしもの時に…」「なぜこんなことを考えているんだろう?無事に育ってくれたなら絶対に産むと断言できない自分は弱いのだろうか」

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中学生の頃、学校行事で縦割り班のリーダーを務めることになった時、チームの1年生に特別支援学級の男の子が入りました。リーダーは男女で務めるけれど、チームに付く先生方から私だけに直に話があり、この子が行事の練習と本番に参加するためには配慮と協力が必要だと伝えられました。

さまざまな種目で対抗戦を行い、優勝を競い合う。優勝したチーム、ひいてはそれを率いたリーダーはみんなの憧れ。

支援学級の生徒が振り分けられたのは全6チーム中2チーム。正直、この話を聞いたとき「どうしよう、関わり方もなにもわからない。リーダーをやりながらそんな細やかなことができるだろうか」と途方にくれてしまったのを覚えている。当時学校という狭い世界で生きていた私にとって、憧れの行事で憧れの立場で、成功することはとても大切なことでした。勉強、部活、行事のリーダー、合唱大会の伴奏練習、ただでさえ負荷の高い時期にもうひとつ課題ができました。

行事に向けて約5ヶ月という長い活動が始まり、実際にその子と接し始めて印象が変わった面もあれば、想像通りだった面もあります。特に指示が伝わらないタイミングが来ると、疲れがどんと重くなるような…。どうしたらいいんだろう、対応を間違えたのか、私では力不足?など途方にくれる感じがあった。そんなときは支援学級担任のN先生が出てきて助太刀されるという(支援学級2人のうち、こちらの子を見る判断をしたらしくチーム担任として配属されていたので活動時はほぼ居合わせた)。

疲れが溜まっているとき、時間的に急いでいるとき、チームメイト30人が待つ中でそれが来たとき、悔しいのか不甲斐ないのか心折れそうに…なった記憶…。

多くて半日ずつ、学校だけで一時的に接する私と違ってご家族はどう折り合いをつけているのか、やはり自分の子であれば情が補強する部分もあるのだろうかと少しだけリアルに考えたりもした。

最も立場の近いN先生の対応を見様見真似で少しずつ覚えて、2ヶ月は掛かった気がするけど、たまたま廊下で見かけたときにはじっと見つめてくれる程度にはその子に認識してもらえるようにその子との関係性を自分なりに構築しました。

優しくするところ、叱るところ、普段自分が使っているモラルだけではなく、本人の得手不得手踏まえて線引きするのでとても難しい。優しくしすぎると舐められる(言葉を聞いてくれない)し、親でもないのに厳しく言い過ぎてはせっかくの行事(の準備)に参加したくなくなるかもしれないしそもそも私はそんな指導する立場でもないし、でも全体のスケジュールやルールはあるしで、うーん…今の私でも悩みます。

思い返せば、母校にはその年から支援学級が設置され、担任は在籍教師の中から選ばれていた。元々なにか資格などがあったのかは不明だが肝っ玉母さんタイプの方だった。もう20年近く前かつ田舎の1校と考えると、ダイバーシティが打ち出されていない中での取り組みだし、学校としてはチャレンジだったのかな。私が親だったらすごく嬉しいと思う。

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こういったいろいろな経験も思い出しつつ、夫婦で結論を出すまで非常に長く感じました。泣きながら話した夜もあったな。オットが最も気がかりなのは「我が子と意思疎通が図れない状態だったら」という点のようでした。というのは、お金だって時間だって人手だって必要なら捻出するし何らかの手段で提供することは可能だと思うが、本人が望んでいることが汲み取れなかったら、支える側として自信が持てず、こちらの想いが伝わっているのかも分からず、ただ消耗するばかりかもしれないという理由。

その通りだと思いました。
「あ、だめだ、このヒトとは根本的な考えがちがう」「あ、そういうことか、こちらがどれだけ歩みよっても動いていってしまうから近づけないんだ」。人間関係のそういう、受容とは違う諦めが現れてしまうとか、友人であれば距離を置くような、養育すべき我が子に対してそんな境地に至ってしまうのがとても怖いと思います。私達は未熟です。

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オットとの話し合いでは、八つ当たりに近い感じで感情を爆発させたこともありましたが(もう嫌だ考えたくないなど)、互いのペースで結論を出しました。

夫婦で結論が違って、そのすり合わせも必要になるような厳しい状況には幸いならず、NIPTを受ける予定で遺伝カウンセリングと採血枠を予約。大学病院の産科に通っているためNIPTのために受診先を探す手間はありませんでした。

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結局、予約した遺伝カウンセリング中にもうなんともいえない気持ちが溢れ出てきて、結局受けないことを選びました。結論を出せたといってもそれだけぐらぐらだったということかなと。

とはいえ遺伝カウンセリングと当日の健診で得た情報は大きかったです。
双子が両方そういった状態で産まれてくる確率は極めて低いこと。仮にNIPTで何か判明したとて何か考えるなら両方に対してとなること。妊娠初期の胎児ドッグの結果が概ね良好だったこと。初めての4Dエコーで小さな指や目を見たら、いのちの芽生えている実感が強くなったこと…。

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カウンセリング中に「やっぱりしなくていいよ、しなくていいです」とつぶやき人前なのになよなよと涙し始めた私を見て、オットも先生も困らせてしまいました。

先生からは「そうですね、ご説明事項はよく飲み込んでいただいたと思いますし、これで遺伝カウンセリングまでは済みましたから、引き続きご検討されたら宜しいかと思います。今日の採血はキャンセルしておきますね。無理に決めなくていいですし、逆にしようと決められたならすぐできますから。焦らず。なにか変化があったならカウンセリングの意味はあったと思います。」
オットからは「そうだね。俺も何かするなら両方一緒になるというところはどうしても納得できそうにない。胎児ドッグも問題なかったんだね。アナタのメンタルも心配だし。もう、いいね、このまま元気に育ってくれることを祈ろう。その後は神のみぞ知るところで俺たちはできることをするしかない。」

いい大人が情けなかった。

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情をもったらもしもの時辛い。そうやって現在進行形で育ってくれているおなかのいのちへの興味や感情をセーブするのは非常にやるせなかったです。NIPTを受けないと決めたことで、いい意味で神任せに戻り、とても気が楽に、前向きに妊娠を楽しむ準備ができたと思います。

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ここに書いた内容には偏見やただのイメージもあると思いますし、子の養育者の数だけ考え方もいろいろと思います。正解・不正解を突き詰めたわけではなく、具体的な決断例として夫婦間の話し合いの参考として書いておこうと思いました。

こうして少しずつ、出産後の生活を想像していくのだろう。昨日16週の健診を終え、すっかりヒトらしく、もそもそと手足を動かす君たちをエコー越しに見て、親として何ができるだろうと日々考えているよ。

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数日前、夫方の祖父が急逝し、オットが九州へ帰っている。戌の日参りなどはすべてリスケしました。私は家に残っている。
おじいちゃんの娘であるお義母さんへ、直接お別れを言えなくてごめんなさいすべきことの合間だけでも休んでくださいとひとまず連絡を入れたら、「いつも丁寧ね。気持ちだけで十分なのよ。とにかく身体を大事に元気な子を産んでね。おじいさんはあなたたちの子どものことを楽しそうに話していましたよ。本当にありがとう」と返ってきていろいろと言葉にならず、オットには隠れてお風呂でひとり泣きました。笑顔の素敵なあのおじいちゃんにひ孫を会わせてあげられなくなってしまった。私が不妊症でなければあるいは、と。

妊娠の報告ができたのが唯一良かった。おじいちゃんは数回しか会っていないのに朗らかさの伝わってくるお人柄で、そうだ、私もあんな親を目指そうかなと、ふと思いました。ただあれは天性だろうな。双子たちにはあんな気質を受け継いでほしいな。そんなことを考えながら通夜、告別式と九州に向かって手を合わせます。

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これから約半年間、みんな無事で出産を迎えられるようにとただただ願うだけ。


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