不妊治療クリニック卒業なるか
体外授精2回目の移植で、妊娠継続しています。
現在9w。このまま卒業できるのか。
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妊娠判定が出てから何度か出血があったり、子宮に関わるとある手術で入院したりして、つわりと不安に疲弊している日々ですが、自分の中でいのちが育っていると思うと頑張れる。
それほどに、待ち望んだ「妊娠」という事実は大きかったです。まずは成功体験をありがとうという気持ち。
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この2回目の移植前には、仕事と治療の両立についてオットと喧嘩腰の話し合いがありました。
初めは「全力で仕事したいのに治療で発生する心身の低コンディションで思うようにできなくて辛い」とただそれだけ分かって欲しかっただけなのに、ひとつ言い出すと芋づる式に出てくる愚痴や想い。話し合いとしてはよくないのにな、自分も女性脳だな…と実感しつつ観念してぶちまけました。
オットも色々とぶちまけてきてくれたので、むかむかと応酬しながら互いに耳を傾けた結果、まず私側の状態を整えるため第三者(カウンセラー)に助けを求めることになりました。
「本当はそういう役も自分(オット)が担えたら良かったのだけど、正直仕事が繁忙期でキャパオーバー中だし、性格も大ざっぱなので変な励ましをして傷つけたくない。とりあえず家事とか買い物とか、身体的な負担を減らす方はもう少し努力できるから、今回は外部に頼ろう」と。
カウンセリングは会社の制度を使用したので持ち出しもなく、相手の立場や今後の自分との関係性を気にせず洗いざらいかつ仕事への不安も話せ、たった一度の面談でかなりスッキリしました。アタマで考えているだけでは分からなかった自分の意識、自ずと持っていた見通しにも気づけて、とても良かったです。
治療に対する夫婦での姿勢も持ち直し、夫婦の在り方を考えるよい経験となりました。
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子どもは産まれる先を選んで来るというお話を聞いたことがありますが、私は信じていません。
強く望んだからといって来てくれるわけでもない。始まりはあくまで生理現象で、偶然で、ただの奇跡であることを、治療を経験して感じました。想いの強さなど関係なく、身体のしくみがうまくいくかどうかだと思います。
ネットで目にする妊活に関する記事は、あたかも「赤ちゃん」がはじめから意志を持っているかのような言葉選びがなされることが多いように感じます。妊娠前の状況を楽しむ言葉にも捉えられるはずだけど、自分にはしっくりこなくて…。
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ここからは愚痴です。
10名ほどのあるグループラインで、友人が出産報告をしていました。産後間もなく、出産時刻4桁と赤ちゃんのフルネーム、産まれた直後なのかまだ身体の乾いていないその子の写真付き。
通知が来たときに、中身をみなくてもピンと来ました。これはダメージが入る内容だ。(こういうときの勘って当たるんだよね。)特段親密でもないアラサー女性の知人・友人からの連絡といえば「大事」なのですから、この辺しかない。
グループラインは年に1度動くか動かないかで、全員女性。住む場所も学歴も家族ステータス(独身から2児の母)も様々です。
普段から近況報告をしあっているならまだしも、やっぱり、どうしても、このグループへ出産報告をする意味があるのか?と嫌なことを考えてしまいますね。個人的にやり取りのある人へ順繰りに伝えれば十分ではないか…と。この感覚は不妊治療をしなければ私も持ち合わせなかったと思います。
私より1年ほど後に結婚・結婚式をしていたはずなので、結婚式後にすぐ授かったんだな。
我々夫婦も「普通に」授かっていたら。不妊治療へ費やした時間とお金と気力を、産まれてくる子のために使えたのにな。こんな風に、幸せな報告へ複雑な気持ちが湧くこともなく、育児大変だよねー!このグッズいいよ!なんて助け合っていたのかな。
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なんちゃって。
あくまで、目に見える部分だけのこと。
今回出産した彼女が羨むものを・環境を、私が持っていることもあるかもしれない。
そして不妊治療を決心し、少なくとも今日まで仕事もしながら継続できた心身気力、経済力、夫婦の結束、少し成長した気遣いの心は、確かに私達のものだと思うのです。
友人達とは30代を超えた先、変化が少なくなってきたら、また交差する日が来るかもしれないね。逆にこちらが距離を置かれることもあるかもね。
学生時代と違って箱に入っていない人間関係は形が定まらない代わりに自由だ。1人で生きる覚悟を忘れず、これはこれで、楽しもうじゃないか。