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趣味:カフェ巡りと言いたくない

※はじめに※
この記事は特定の個人を貶める意図は全くありません。あくまで宇佐美らむねの経験と独断と偏見に基づいているものになります。世の中ってこうだよねっていう愚痴の1種と捉えていただけると幸いです。不快になられた方は速攻でブラウザバックしてください。



例えば、初対面の女性に「カフェ巡りが趣味なんです」と言われたとする。あなたは、相手にどういう印象を持つだろうか?

自分もカフェが好きであれば、
「どこのカフェが好き?」
「コーヒー派?紅茶派?」
「アフタヌーンティーとか行く?(これは女性だけかも?)」
という風に話が広げられるのでプラスでしかないと思う。

ただ、私にとって「カフェ巡り」という趣味を主張することは相手から一方的にカテゴライズされるリスクを孕んでると感じる。

以前、とあるYouTubeチャンネルで「マッチングアプリで彼氏・彼女を作る方法」を指南している動画があった。
その中で、「男女ともに、好きじゃなくても良いから趣味はカフェ巡りと書きなさい」と言っていたのである。無難で、写真を載せた時の見栄えが良くて、男女共に受けが良いらしい。
初対面の人との会話なんて仕事のことか趣味のことが皮切りになるだろうし、趣味欄を埋めておくというのはもちろん理解できる。しかし、なぜ好きでもない趣味を書かなければならないのか。好きではないのなら、浅い会話しかできない。一緒に行く流れになったとして、何が楽しいのだろう。

マッチングアプリはあくまで例であるが、世の中で

「カフェ巡りが好きなんです」

という人の中で本当にそれを楽しんでいる人はどれくらいいるのだろう。

「カフェが好き」という人たち世の中から持たれているイメージは

・無難な趣味を言っているだけ
・お金がかかりそう
・インスタ映えしか考えてない
・カフェ巡りが好きという自分が好き
・量産型

このようなものなのではないだろうか。

自分のことを深く知らないのに、他人にカテゴライズされるのがすごく不快だ。本当に好きだから趣味としているのだし、インスタは投稿するがあくまでそこのカフェにいる時間や空間を楽しむことが目的だ。

なので、余程仲良くなるかSNS等で同士だと確認できない限り、自分から「カフェ巡りが好きです」とは言わないことにしている。

ではなぜnoteでこの記事を書いたのか?それは私のことを全く知らない人がこの記事を見るため、カテゴライズもくそもないからである。

割と初っ端から尖っている記事だなと、自分でも思う。全ての人に好かれるなんて無理だし、私の考えが不快な
らブロ解(←死語?)やミュートすれば良いだけである。この手軽さはインターネットならではだ。

イメージが良くなさそうと感じているだけで、私個人としてはカフェ巡りは大好きだ。幸いいろんなコンセプトのカフェがある土地に住んでいるし、カフェ巡りはこれからも続ける予定である。マガジンの一環でカフェブログとかやってみるのも面白そうだが、需要はあるだろうか?☕💭

若干話が逸れた気もするが、本記事「趣味:カフェ巡りと言いたくない」はこれにて終わりとする。

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