家(マンション)を2回買った話

金額とか銀行名もがっつり入るので、途中から有料の記事になります。結構恥ずかしいので、高め設定です。

うちの母は家への執着が強い人だ。
愛媛の田舎の、隣なんてないような場所の広い一軒家に大家族で育ち、高校を卒業して大阪で就職した。
大阪にちゃんと根を下ろすために、持ち家へのこだわりが強かった。
母が26歳の時に2つ上の同郷出身の父と結婚し、住んだのは新築の文化住宅。大阪の高槻市駅から徒歩圏だった。
その後28歳で姉を出産し、29歳あたりで近所で一軒目の中古戸建てを購入する。3DKの二階建て。洗濯機は外だった。
30歳の時に私が生まれる。
なんと37歳、私が小学校1年生の時に次の家を購入する。
今度はお隣の市の枚方に注文住宅を建てた。庭付きの4LDK。母のこだわりはたくさん叶えられたが、相当に面倒だったと聞く。
何度か建築中の家を見に行ったことを覚えている。
小学一年生の9月30日に引っ越した。毎年この日は私の中で引っ越し記念日である。

私が中学の頃がいわゆるバブル時代だったのだろうか。高校に入ったくらいから、近くの山が宅地化され、ハウスメーカーの家がたくさん建った。
人気があるのでくじ引きだった。
そこに母はまたしても応募する。
初めは26倍とかだったかな。
結局最終的に引き当てて、私が高校卒業する時、母が48歳父が50歳の時に3軒目の家を購入した。ダイワハウスの家だった。
私が高二の終わりに阪神淡路大震災があり、ダイワハウスの家は無事だったことが多い、と聞いて、母が選んだようだった。
隣は住友林業反対側が積水ハウス。ハウスメーカーの競演のような開発地であった。
住んでいた家がなかなか売れなくて大変だったのを覚えている。この家が売れないと次の家は買えない。
受験生の私が寝ているところにいろんな人が入れ替わり立ち替わり家を見にきた。
見にきた家の子どもと喋ったりもしてた。
私が着ていた半纏をひっぱって「これなーにー?」と言ってきた男の子がいた家族が、最終的に購入してくれた。

母の口癖は、「家は3軒たててやっと満足いくものになる」
流石にその後は手を入れながら今も同じ家に住んでいる。

30歳夏のうさこ。
当時付き合っていた人はいたものの、育ってきた環境や価値観があまりにも違いすぎて、人生をともにすごす人ではなさそうだなぁ、と感じていた。

当時、独立して5年、法人で4年だったけど賃貸の家と別に賃貸で事務所を借りていたので、家賃がもったいないなぁという気持ちもあった。

世の中の定年は65歳。65歳まで働くとしたら、35年ローンは30歳で組まなきゃいけないんじゃない?
どうせ今の彼氏とは別れる。そうなったらどうせ一生一人だろう。

そう思って決めた。「そうだ、家、買おう」

家探しが始まった。

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