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nonosports
とはいえ成功者といわれる人になる必要はないし、「不一致感」を感じる経験が多いほど、「一致感」が鮮明に感じられるのではないかな
昨日の記事では
「成功者といわれる人」のことを
書いたのですが、
自分に一致さえしていれば、
成功者といわれようが、
いわれまいが、
どっちだっていいんだと、そう思います。
成功者といわれるひとも、
「自分に一致すること」を
貫いた結果が、
たまたま
「世間からは成功者とよばれる立場だった」
に過ぎないわけで、
自分に一致することを貫いた結果、
どこで何をしているのかは、
人それぞれなのだと思います。
だから、
自分の内側がなにを求めているのか
それが何なのかわからないまま、
そこがズレているままに
「なんとなく」
「成功者とよばれるひとになりたくて」
そちらへ向かおうとする
“他人軸“でものごとを判断することが
人々の悩みの種になっているのかもしれません。
とはいえ、
トライ&エラーの繰り返しも、
「生きる」と言うこと。
他人軸でもなんでも、
やってみたからこそ
「やっぱり何か違うのかもしれない」
ということが身にしみる訳です。
「自分にとって一致感があるのは、こっちだった!」
ということがより鮮明になりやすいのは、
不一致感のあることを
たくさん、たくさん経験した人の方なのかも
しれません。