新・サンショウウオ戦争
第三章 世界戦争
8 カイロ会議
それから数週間後、エジプトの首都カイロで国際会議が開かれた。当初はラパスやボゴタなど南アメリカの高地にある都市が開催地候補に挙げられたものの、高度よりも乾燥度を重視すべきではないかとの意見が複数の国から出され、最終的に砂漠を背負ったこの地が選ばれることになった。この選定基準は、もちろんHDの攻撃を避けることにあったが、ヒュマンダましてヒュマンダが砂漠には近づけないとの保証はない。単純に感覚的な判断だった。
まず、HDとすでに戦火を交えている日本および韓国は日本海周辺海域の奪還を主張した。だが、それ以外の国はHDとの開戦を宣言することにより、自国内に住むヒュマンダやヒュマンダがアイデンティティに目覚めてHDのテロに加担するなど、国内の安定が脅かされることを危惧した。そこで、日本および韓国には日本海/東海と、ひいてはその国土を諦めてもらう方向性で裏協議を始めた。いわば、日韓を人身御供にして助かろうと全世界は考えたのだ。
そこでまず声を挙げたのはアメリカ合衆国だった。
「アメリカ合衆国は日韓の人びとをよろこんで受け入れる。このたびの申し出に応じて、渡米される方々には無条件で市民権を差し上げることとする。」
この申し出を受けて三日後、韓国国会は決議を行ない、全員がアメリカ人になる法案が成立して、朝鮮半島における大韓民国は解散することになった。一方、日本では意見がまとまらないまま、アメリカにわたる者が約3割、その他は特に策のないまま現地に留まった。アメリカおよび他の国々は日本国民を列島から追い出そうと説得したが、言われれば言われるほど、依怙地になる者が出てきはじめ、政府の手には負えなくなった。日本政府は韓国と同様、日本人全員がアメリカ人化する法案を無理やり通しはしたものの、だからと言って、島国がきれいさっぱり空っぽになるわけではなかった。事態は膠着していた。