新・サンショウウオ戦争
第二章 文明の衝突
18 SNA vs LTM顛末
自由タマリア運動(LTM)としては「人類との融和」をひとつの目標として掲げていたことから、SNAによる人類に対するテロ行為は看過できるものではなかった。そこで教主キングサラマンダーの命により、世界中に張り巡らされたタマリア信徒のネットワークを駆使して、折伏大作戦を展開したのである。
タマリア教徒いわく、
もともとヒュマンダは父なるサンショウウオと母なるヒトとの愛のタマものである。その愛の子であるわれわれヒュマンダの生きる道とは何か。サンショウウオ、ヒト、ヒュマンダの融和により、それぞれの特性を尊重して構成するダイバーシティある世界の創設ではないのか。
当初、これは功を奏した。これまで宗教そのものに縁のなかったSNAメンバーは物珍しさもあってか、タマリア教に入信するものが殺到し、一時は数百万もの過激派ヒュマンダが温和なるタマリアンへと宗旨替えしたのだった。だが一時的なブームには当然ぶり返しがくる。タマリア教がヒュマンダ世界に広がる一方で、SNA創設者であるビキのことばを一言一句守るべき、人類殲滅と唱える原理主義者が現れた。するとタマリア信徒がSNAの構成員に説得され、宗旨替えをしてしまうパターンが見受けられはじめた。
構成員いわく、
二級市民として、純血のヒトから差別を受けても、ヒトに媚びへつらい生きていくのか。ヒトの価値観を離れ、独立した存在として誇りと権利を手に生きていくのか。
そう問われた多くの信徒は悩んだ末に「誇りと権利」を選び、タマリアンであることを捨て去った。
こうした綱引きのような状態が十年、三十年、五十年と続き、約一世紀がたつころには、SNAやLTMそのものの名はすっかり忘れ去られた。そして残ったのは、多様な政治指向と多様な信仰形態をもつヒュマンダという地球上最大のマジョリティだった。