新・サンショウウオ戦争
第二章 文明の衝突
15 遺棄児ビキ
ゴンの反乱から十五年の後。
ビキは親の顔を知らない。多くの遺棄児たちと同様、試験管を母の胎内として月満ちるまで育ち、出荷を控えた前日に生みだされた。その後、養育施設で人語の習得・作業技術の研鑽に五年間を費やし、六歳になった春先にはじめて「梅の下」の労働者として水中工事現場に出た。
現場仕事は過酷だった。早番のときには朝3時に起きて持ち場に向かい、途中20分の休憩をはさんで午後6時までぶっとおしで働く。途中200グラム程度の魚を2回与えられると、手を休めることなく飲み下し、それで食事は終わりだった。遅番は朝9時から真夜中の0時までである。
ある早番の日、ビキは食事の魚を受け取ろうとして手を滑らせ、魚を水流にさらわれてしまった。それをつい追いかけようとしたのを現場監督が制止した。「梅の上」であったこのヒュマンダは自分の部下たちを手足のように使い、疲れて倒れるものは容赦なくコンポストへ投げ込むような男だった。彼は躊躇なく棍棒でビキの背部を突いて引き倒し、腹ばいになったところを片足で踏み据えた。
「決まった動き以外は禁止だ。返事。」
「……。」
「返事は。」
口を開ける間もなく、棍棒が背中に突き刺さる。ビキはからだを固くしてなるべく痛みを感じないですむように意識を散らそうとした。今日は何にいらだっているのだろう。気分次第で暴力をふるうこの男のやり方には慣れてはいるが、痛いものは痛い。背中に棍棒を突き立てるにぶい音が水中を伝わり、作業中の数人が目だけをこちらに向けた。
なんて卑屈な顔をしているのだ。俺もあの中のひとりなのか。気を失いかけながら、ビキは初めて自分の姿を離れた場所から見たように思った。棍棒がさらに背中をえぐり、痛みが脳天に突き抜ける。
「返事。」
そのとき、胸の中にひとつの重力が生まれた。それは一瞬のうちに膨らんで渦を巻き、胸から全身へと広がった。同時に頭の中にスクリーンのようなもの降りてきて、視界が消えた。ビキはピッケルを拾って立ち上がり、現場監督の脳天へと打ち下ろした。からだがぐにゃりと崩れ落ち、水流に乗って作業員たちの方へと流されていく。四、五十の目がいっせいに動き、ほぼ全員が顔を上げた。
「殺せ。」
それが返事以外で発したビキのはじめてのことばだった。