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「会社を辞めて生き方を変えることにした」 すずひら著 親の看取り方を通じて感じたこと。
『会社を辞めて生き方を変えることにした: 惰性で生きていた僕が、一度きりの人生の生き方を変えるまでの話』すずひら著
※Amazon Unlimitedで読めます。
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この本を読んで、すずひらさんの母親が癌で亡くなるまでの過程や、その間のすずひらさんの心情が細やかに描かれており、自分と重なるところもあり共感したのでご紹介。
以下、ネタばれです。
「会社を辞めて生き方を変える」という大きな決断をした彼の背中を押したのは、母親の死がきっかけだったようです。
すずひらさんは、両親と姉の4人家族で、仲は良いもののべったりではない、年に数回実家に帰り、たまにLINEで連絡を取り合う程度の距離感でした。
彼の母親が癌と診断されたとき、すずひらさんは32歳、母親は62歳。
私自身も母が癌になった時の年齢と似ており、重なる部分が多く、深く共感しながら読みました。
彼の母親は大腸癌のステージ4と診断され、すでに肺への転移も発覚していました。
こういった展開も、私の母と同じで、家族がその宣告を受けたときのショックは想像に難くありません。
すずひらさんの住まいから実家までは電車で2時間半。
仕事があるとなかなか頻繁には帰れない距離です。
母親の病気を知り、病院で対面した際、母親が言った言葉は驚くほど冷静で
「別にヨボヨボになりながら長生きしたいとも思ってないし、もう十分よ。あと1年生きられれば十分」
こういった母は、本当に、いつも通りに見えた。
「あ、リモコン取ってくれる?」と続いても違和感がないぐらいの、日常的な姿に見えた。
母親があと1年生きたいと望んだ理由は、初孫の誕生を見届けるためでした。
そして、手術と抗がん剤治療の末、無事に初孫と対面を果たします。
その後、すずひらさんはこう考えます。
「母はもう十分に生きられた。幸せな人生だった。ここから先はボーナスタイムみたいなもの。人の運命に従いつつ、可能な範囲で残された生を享受していけばいいのだ」
このように無理にでも考えて現実を受け入れようとして、実際に、たぶん、受け入れられていった。
そして彼の母親は抗がん剤治療中でもわりと元気で旅行に行くこともでき、様々な場所に家族一緒に旅行します。
鎌倉に行ったり、うなぎを食べに行ったり、横浜のおしゃれなホテルのバーで一緒にお酒を飲むなど、その日々を写真に残していきました。
やがて母親の体調が悪化し、癌が発覚して3年ほどで緩和ケアに移ります。
彼の母親の具合が悪くなった時期と彼の会社で大きなトラブルに対応する時期が重なり、彼は母親につきっきり、というわけにはいかず、そのことを「後悔の気持ちが心に生じる」と書いています。
最後の時期、すずひらさんは母親の近くのホテルに泊まり、在宅ワークをしながら通院しました。
そして、母親の最期の瞬間を見届け、手を握りながら送り出すことができたのです。
これは大きな祝福だと私は思います。
彼はその後、36年間で一番泣いたという1週間を過ごし、改めて「人は必ず死ぬ。いつ死ぬかはわからない。死んだらこの世から消えてしまう」という事実を骨身にしみて理解したそうです。
この体験を通して、「母からもらった命を無駄にせず、いつ死んでも悔いがないように精一杯生きよう」と、彼は人生の生き方を変える決断をします。
「人生は一度きりで、死んだら終わりで、いつ死ぬかもわからないのだから、脱輪しながらレールの上を無理して走るのはもう十分だろう。残りの半生は、自分のこころに素直に従っていく。母から貰った1度きりの人生を自分なりに悔いなく生きるためにも、そう決めた。」
母親の死は、彼の人生にも大きな変化をもたらしました。
人の死は終わりではなく、残された者にさまざまな形で影響を与えるものです。それをどう受け止め、自分の人生に活かしていくかが問われます。
すずひらさんの看取りは、一例でしかありません。
人それぞれの向き合い方があります。
そもそも時間をかけて「看取る」ことができることは大きな祝福です。
人は突然死ぬかもしれないのですから。
そう思って親との関係に思いをはせてみてください。
(※ちなみに、私は母は看取りましたが、父とは折り合いが悪く看取っておりません)