大切にしたいものは、
あ、なんとなくまずい気がする。余裕がない。
怒涛の10月だったなぁ…。と思う。ちょっと、1か月のできごとだとは思えないくらいの。
9月末に、自分にとって大切な場所の1つだった、古本屋の店主さんが亡くなったことを知った。ほどなくして、妹の「死にたい」という気持ちに向き合うことになった。(なんとか踏みとどまってくれたわけだけど。)そんなことがあって、家族の元にいなくてはならなくなったから、卒論の中間発表ができず。と思ったら、妹が案外早く元気になってくれて、でもなぜか揉めてしまい、妹と直接連絡がとれなくなった。これは一度ニュートラルに戻さねばと新潟に戻り、研究室の仲間と先生の助けもあって、延期になった日程の日に、なんとか中間発表を終えた。ここで諦めて、家族のせいにしたくないというのもあった。研究室の調査にも同行した。
いろんなことが重なって、「いつか本屋をやりたい」という気持ちが強まっていった。(これはまたどこかで落ち着いて書く。)それで、前から行きたいと思っていたまえばしBOOK FESにも足を運んだ。とても良い出会いがあった。そして、先日はこちらで行われた一箱古本市にも行った。
ふうーーーーー。お疲れさまだねぇ。
本当はもっと、1つ1つ、ゆっくり向き合いたいものばかり。だけど、正直、時間と心の余裕がなく、ゆっくり本を読んだりとか、自分の気持ちを書き出したり、ということができていない。(人に話して整理する、ということはできているのだけれど。)前半に起きたことがとても辛すぎて、あまり深く考えすぎないようにしているというのもあると思う。
うーーーーーん、でもほんとうにそれで良いのだろうか。
卒論も佳境に差し掛かっているし、実は今、とある署名活動にも参加させてもらっている。(活動時期と卒論を頑張らなくちゃいけない時期が完全に被っている。)どうしても忙しくなる時期ではある。そして、”死”というものを身近に感じたからこそ、”できることはできるときに”という気持ちも強くなる。
だけどさ、そうやって詰め込むことで、自分の気持ちだったり心の動きだったり、今しか感じられないものを、ないがしろにしてはいないか?
疲れているのかも?と気づくバロメーターみたいなのはいくつかあって。(これは個人差があるし、「普段からやらないよ」という人もいるとは思うので、あくまで自分の場合は、ですが。)
・ごはんが作れない(お米を炊くのもできない)
・部屋がとんでもなく散らかる
・洗濯や洗い物がままならない
・お風呂に入るのが億劫になる
・人の話をじっくり聞けない
・文章が書けない(逆に書ける場合もあるけど)
あとはさっき書いた、本が読めないとか、日記が書けないとか。
どれも手放せない!って頑張るのは良いけど、なおかつ、その渦中にいるときって、なかなかどれも手放せないんだけど、そういうときって、なんかどれもやっつけになってしまったりとか、ちょっとしたことで他人に八つ当たりしてしまったりする。
たとえ、取り組んでいるものは少なかったとしても、落ち着いて、ゆっくり、1つ1つに向き合ったほうが、良いものができるのだと思う。
どうやら答えは出ているみたい。
古本屋の常連さんたちと、ゆっくり店主さんのことを話す時間を大切にしたい。妹の「死にたい」という気持ちについて、今は直接、妹と話すのは難しいかもしれないけど、本を読むなりして、自分なりに考える時間を大切にしたい。多分、家族も少し疲れているから、少し距離を置いて冷静に見つつ、話を聞くようにしたい。卒論だって、やっつけになるんじゃなくて、じっくりその人の歩んできた人生に向き合う気持ちで、丁寧に話を聞きたい。
詰め込んで、動くことで、安心しようとするのが、私の悪い癖だ。
だけど、それじゃあ、身も心ももたなくなってしまう。完璧を目指そうとしすぎてしまうと、自分も苦しいし、その姿勢が、誰かを傷つけてしまうことだってある。
自分に厳しく、折れないような、ときに無意識に誰かを刺してしまうような強さよりも、自分の弱さを認めることで、誰かの弱さも受け止められるような、しなやかさをもちたい。(まだうまく言語化できないけれど。)
ひとまず、いろいろあった10月を、なんとか生き延びた自分を褒めよう。よく頑張ったねぇ。そして、話を聞いてくれた人、声をかけてくれた人、助けてくれた人、全てのみなさんに感謝を。ありがとうございます。みなさんのおかげで、なんとか乗り越えられました。
とっても楽しいことや嬉しいこと、それと、とっても辛くて苦しくてしんどいこと、その繰り返しで、人は深く、強くなっていくんだなと思った1か月でした。
焦るけど、一度しっかり休んで、深呼吸して、また進んでいこうかな。