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ばらばらな大晦日

 年が明けた。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 今年の年末年始は、実家で過ごしている。体調が良くなかったので、早めに実家に帰ろうと思っていたが、卒論の進捗がよくないので、もう少し新潟に残ろうか、どうしようかと迷っていた。ある程度の進捗が見えてから帰ろうかとも思ったが、新潟に残っていても、どうしても自分の体調をキープするのにエネルギーを使いすぎているような気がした。「このままでは結局、あまり卒論は進まないかもしれない。どちらにせよ進むか分からないのなら、せめて自分が落ち着いたところで過ごそう。来年はどこで何をしているか分からないし、家族と一緒に年越しをできるかどうかなんて分からない」と思い、大晦日に電車に乗り、実家へ向かった。

 「家族みんなで年越しできる」と思っていた。でも、電話で聞いてはいたのだが、母は高熱が続き、私の部屋を使って寝込んでいた。年末年始できちんと病院が受診できずにいたが、「おそらくインフルエンザだろう」と思ったのだろう、自主隔離をしていて、ほとんど部屋から出てこない。弟はと言えば、中学時代の友人の家に行き、仲の良い友人たちと集まって年越しをするという。妹は今年は帰省していない。祖父は介護施設で暮らすようになってもう5年近くが経つ。唯一実家の近くに住む親戚で、父の姉である伯母は、祖父の介護のことで父ともめたのか、今年は来る予定がないようだった。そして、割と例年のことではあるのだが、夕食後、父と祖母は早いうちに、それぞれの部屋に戻ってしまった。
 気がついたら、リビングに残っていたのは私一人だった。「あれ?一人暮らしの年越しとあんまり変わらないんじゃない?」と苦笑する。自ら自分の部屋に戻れたら良かったのかもしれないが、母が私の部屋を使っていて、他に空いている部屋がなかったので、この年末年始、私はリビングを拠点に過ごすしかなかったのだ。「年越しのときに、リビングに一人」その状況が、なんだか寂しさを倍増させているような気がした。

 紅白では、源さんが『ばらばら』を歌っていた。

世界はひとつじゃない 
ああ もとより ばらばらのまま
ぼくらは ひとつになれない
そのまま どこかにいこう

星野源『ばらばら』

 「ああ、家族もばらばらなんだなぁ」今の自分の状況が、歌に重なった。昨年、家族ではいろんなことがあった。一緒にいるように見えて、本当は元からばらばらだったんじゃないか。そんなことを思う。きっと、昔以上にみんなが一緒にいるなんてことは、もうない。そして、これからどうなるのかは分からない。でも、たとえ、それぞれがばらばらでも、どこかには向かって行くんだ。そのどこかが、せめて少しでも明るい場所であればいい。そうありますようにと願う。

 夕食に、私・弟・父・祖母の4人で、おそばを食べられたのだ。それだけでも、きっと良いことなんだよな。
 弟は、祖母が私を駅に向かっている間に、そばを茹でるのを頼まれたのだが、渡された350g×2袋のそばを全部茹でてしまった。いや、この人数で700gはかなり大盛りだ。しかも、1Lの水で茹でようと思ったもんだから、水分が足らなかったのか、麺がところどころくっついている。食卓の準備も、私と祖母で、てんやわんやしながら進めた。
 なんとか準備が終わり、「多い多い」と笑い、麺をほぐしながら食べた。結局、ほとんど食べきってしまった。ああ、おいしかった。これはこれできっと、後々いい思い出である。

 年明けには早々、「星野源のオールナイトニッポン」の生放送を聴いた。源さんは「ワクワクすることがたくさんある。そうだね、言霊」「しんどかったことは、全部、2024年に置いてきたから。ね」と言っていた。
 その言葉に元気をもらう。そうだ、しんどかったこと、辛かったこと、苦しかったことは、全部、2024年に置いてきたんだ。きっと、置いてきても大丈夫。その経験から学んだことや感じたことは、間違いなく、今の私をつくっているから。新たな気持ちで、2025年を歩いていく。


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