裁縫経験ゼロの50代会社員が、登山用リュック作りのプロをめざす理由とは?
京都府在住、登山が好きで年間30回以上は山にでかける岩本雅文さん(61歳)。装備に対するこだわりは人一倍です。しかし、自分の体にぴったりフィットし、必要な機能を備えたリュックとの出会いには恵まれませんでした。それならばと「自分にぴったりのリュックを、自分の手で作ろう」と決心。裁縫経験はいっさいなし、まずは針に糸を通す基本的なところからのスタートとなりました。
そんな岩本さんの登山ギア愛からスタートした、リュック作りへの挑戦の軌跡を紹介します。
登山用リュック製作を始めた理由は「目標の山に登りたかったから」
岩本さんは10年前から登山を始めました。それまでは、社会人になってからの長きにわたりカヌー競技に打ち込んでいましたが、引退後は運動不足となり、体力が低下。山に登りたい気持ちはあっても、思うような登山ができない状態が続いていたそうです。
「登頂するために、登山時の体の負担を少しでも軽くしたい」 こう思っていたときに出会ったのが、登山愛好家御用達のブランド「山と道」のリュックでした。値段は高めでしたが、岩本さんは思い切って購入。とことん軽さにこだわったウルトラライトなリュックは、それまで使っていたリュックの3分の2ほどの重さで、「あまりの軽さに感動した」といいます。
そして、そのリュックを購入した岩本さんの頭には、思いがけないアイデアが浮かびます。「もしかすると登山用リュックを自作できるのではないか」と。市販のリュックを見て、自分で作れそうと思える人は、なかなかいません。しかも、当時の岩本さんは裁縫の経験ゼロ。なぜ「自分でも作れそう」と思ったのか理由を聞くと、こんな風に教えてくれました。
「私は小さいころからとても手先が器用だったんです。きっと、亡くなった父譲りですね」
実は、岩本さんの父親は、定年後に仏像を彫る勉強を始めてどんどん腕を上げていき、師匠から仏像の台座や光背を任されていました。それほど細かい作業が得意だったそうです。岩本さんもまた小学生のころからプラモデルや模型作りに夢中になり、父の素質を受け継いでいました。
しかし、いくら手先が器用といってもいきなり登山用リュックを作るのはハードルが高すぎます。そんななかで、岩本さんが注目したのは「登山向けのサコッシュ」です。
サコッシュとは、薄手の生地で作られたショルダーバッグ。デザインがシンプルな長方形のため、裁縫初心者でも作りやすそうです。「これならすぐにでも作れるはず!」と感じたという岩本さん。ここから登山ギア製作の挑戦が始まりました。
仲間たちの反響を受けて、オーダーメイド製作をスタート
裁縫経験ゼロの岩本さん。「まずは妻にお願いしてミシンの使い方を教えてもらいました」という初歩的なところからのスタートでした。最初に練習として作ったのがティッシュケースカバー。その後、いくつか練習で簡易的なサコッシュを作ったのち、本格的な製作を始めました。使用する生地として選んだのは「Xパック」。この生地はリュックにも使用されており、軽量で強度が高く、耐久性や耐水性に優れています。そして2週間ほどかけて、ついに念願の自作サコッシュが完成しました。
完成したオリジナルサコッシュの出来栄えに満足した岩本さん。さっそく登山時に持って行くと、登山仲間から思いがけない反響がありました。「それいいね!」「登山の時にスマホや貴重品を入れるのにピッタリ!」「私のも作ってくれない?」という声であふれたのです。「いいよ、どんな大きさのものが欲しいの?」とリクエストに応えていると、次々に製作依頼が舞い込んできました。完全なボランティアで製作はできない、しかしまだプロとしてお金をもらうには気が引ける。そう考えた岩本さんは、材料費だけをもらって、一人ひとりの希望に合わせたサコッシュ作りを始めることにしました。
岩本さんのサコッシュは完全オーダーメイドです。「地図が入る大きさにして」「みかんとパンが入るサイズのものが欲しい」「表側に透明なポケットをつけて」など要望は多種多様です。1つのサコッシュを作るのにかかる期間は、約1か月ほど。岩本さんは仕事と登山の合間に時間を見つけては、サコッシュ作りに打ち込みました。そんな日々が約1年以上続いたといいます。
妥協なし!使いやすさと美しい見た目にとことんこだわる
完璧主義の岩本さんは、仕立てに妥協を許しません。縫い目が美しくなるようにと、一目一目、丁寧に縫います。
岩本さんが作った登山用の財布も、仲間たちから好評です。軽くてコンパクトで、使いやすさ抜群。折り畳んだときに内側の生地にシワができないよう、表と裏の生地の大きさを数ミリ単位で調整するというこだわりも。さらに、表裏で強度の異なる生地を使うことで、形はしっかりしているのに、折り畳みやすくする工夫も施されています。
「見た目の美しさも大切ですからね」と綿ファスナーの縫い代の部分が厚くならないように、ファスナーの毛を一本一本ピンセットで抜いていくという徹底ぶり。まさに職人技と呼ぶにふさわしい丁寧な仕事です。
「とにかく『いいもの』を作りたいんです」と語る岩本さんは、新しい財布を作るたびに登山仲間にプレゼントしていたそう。その代わりとして、実際に使った感想を詳しく教えてもらっていました。良かったところだけではなく、使いにくく改善が必要なところも聞き、その声を次の製作に活かしていきました。
専門学校へ通い、本格的にプロをめざす
登山バッグや財布作りを楽しんでいた岩本さん。しかし、製作を進めるなかで悩ましい現実がありました。なぜなら、岩本さんは4人家族のマンション暮らしで、作業場所はダイニングテーブル。家族が使うときは、当然作業はできません。道具を出す準備と、使った後の片付けは想像以上に手間がかかっていたのです。そのうち作業環境を整えることが面倒に感じられ、いつの間にか製作をストップしてしまいました。
そんな中、2022年に状況が変わります。息子が進学のため一人暮らしを始めたことで、部屋が一つ空いたのです。「よし、この部屋を作業場にしよう!」家族に気兼ねなくいつでも作品がつくれる自分だけの空間が手に入り、再び製作意欲が湧いてきました。
しかし、夢見ていた登山用リュックを作るには、まだ課題が残っていました。その当時に岩本さんが使っていたのは、一般的な家庭用ミシン。リュックの厚い生地を縫うには、パワーのある職業用ミシンが必要です。しかし、かなりの高額だったため、購入するには妻を説得する必要がありました。
「趣味のリュック作りでは説得力がない。それならば自分の本気度を見せよう!」と考えた岩本さん。そこでバッグ・かばんアーティストスクール「レプレ」に通い、本格的に裁縫を学ぶことに決めました。
学校の授業は少人数制で、3〜4人の生徒に講師が1人つきます。生徒は趣味で習う人から本格的なかばん職人を目指す人までそれぞれ。驚いたことに大半が男性だったそうです。学校では、かばんの作り方はもちろん、ミシンの扱い方や、型紙の作り方まで教えてもらい、岩本さんは技術を習得していきました。
そして、学校での思いがけない出会いが、岩本さんの夢を大きく動かします。同じように登山が好きで、リュック作りを目指す仲間と出会ったのです。しかも彼は、会社を辞めて本格的にリュック作りの道を選ぼうとしていました。
「リュック作りを仕事にするに辺り、課題になっていたのがパーツの仕入れでした。実はなかなか手に入らないんです……。でも、彼が購入先情報を教えてくれおかげで、夢だった一般向けのリュック製作販売が急に現実味を帯びてきました」
そんな岩本さんの真剣な姿に、妻も心を動かされたのでしょう。念願の「JUKI(ジューキ)」の職業用ミシンを購入することが許され、ついに手に入れることができたのです。
山登りもリュック製作も、難しいからこそ挑戦しがいがある
現在、岩本さんは知り合いからのオーダーでリュック製作を行っています。日本では入手困難なアウトドア用の生地をアメリカから取り寄せ、さらに生地のデザインまでプリントオーダーするなど、一つひとつの注文に丁寧に向き合いながら製作を進めています。手間のかかる作業が多いにもかかわらず、その表情は終始楽しそうです。「どんな時にリュック作りの楽しさを感じますか?」と質問すると「実は、壁にぶつかったときなんです。どうやって乗り越えようかと考えるのが面白くて。だから、難しい注文をもらうと、むしろワクワクするんです」と目を輝かせます。「まるで登山みたいですね」と伝えると、その言葉に岩本さんは大きくうなずきました。
「そう、まったく同じなんです! 難しい山に登りたいと思ったとき、『自分に何が足りないんだろう』『どうやったら登れるようになるんだろう』と考えますよね。ハードルが高い山ほど、登ったときの喜びも大きい。モノ作りも、まさにそれと同じ感覚です」
こう語る岩本さんからは、新しいことに挑戦する楽しさがあふれているのを感じられます。
また、岩本さんは、登山用リュックやバッグのオーダーでは、「ぜひ難しい注文をつけて欲しい」と言います。たとえば、サイズやポケットの位置、背負い心地を左右する依頼など。市販のギアでは叶わない要望を叶えられることを喜びと感じているのだそうです。
「自分だけで考えていると、どうしても発想に限界が出てきます。でも、みなさんからの難しい注文が、新しいアイデアのきっかけになるんです。そうやって、できることを増やしていきたい。それが自分の成長にもつながるんです」
現在オーダーの受け付けは、基本的には知り合いのみとしているそう。退職後の2028年ごろからは、一般客向けの本格的な販売を目指しています。
「私が作りたいのは、『使う人に寄り添ったリュック』です。既製品は万人に合わせるためにサイズ調整ができたり、たくさんポケットがあったりしますが、オリジナルであればサイズ調整も不要だし、使わないポケットはいらない。本当に必要な機能だけでいいんです」そして、最後にこう付け加えます。「とにかく、細かい注文を待ってます。うるさいくらいがいいんです!」
3年半後の退職に向けて、今日も技を磨き続ける61歳。未来への挑戦を楽しむその姿は、まるで登山家のよう。頂上を目指して、一歩ずつ、確実に歩みを進めています。