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結局生きるってなんなんだ
自分の人生に意味を問うたら、その先はどんどん先細りしていくんじゃないかなって思うのです。
意味づけしちゃうと、意味のある行動しかしちゃいけない気がして、意味とは関係ないことが入る余地がなくなってしまう気がする。
意味に向かって一直線の道しか歩めなくなってしまう。
そんな人生も有りだとは思うし、すごいことでもあると思う。
たぶんなにか偉業をなす人ってそんな使命感の中で命を燃やした人だったりするのかもしれない。
だけど私達凡人は違う。
己の幸せのために生きていいと思う。
幸せの定義は人それぞれ違う。
誰かを幸せにすることが幸せならそれでもいい。
自己中心的に振る舞うことが幸せって人もいるだろう。
それはそれで構わない。(そんな人とは関わりたくないけど)
やっていいこととやってはいけないことの境界さえしっかりしてくれれば、どう振る舞おうが個人の勝手だ。
人生に意味を問わないほうが、手広く色んなことができる。
ダラダラ過ごすことも必要かもしれない。
ただ寝て過ごし休養が必要な人もいるだろう。
無謀な挑戦を繰り返すことが好きな人もいるだろう。
全てに意味などない。
それでいいのだ。
ただただ熱中して、時間も忘れて熱中してさえいればそれでいいと思うし、その結果、寿命を迎えてしまったってぐらいが幸せなんじゃないだろうか。
人は死んだ後、周囲の人があの人はどんな人だったかとか、何をなした人だったとか勝手に評価して総括しようとする。
それがその人の生きた意味みたいに取られて、生きている人間がそれを見て自分もなにか意味づけしないとって駆り立てられたりするけど、死んだ本人はその意味で生きたつもりなんて全く気にしていなかったかもしれない。
死んだ本人も眼の前のことに熱中して過ごしただけかもしれない。
人生に意味づけするもしないも自由で、好きな方を選んだらいい。
意味づけすることで、自分の行動の指針ができて生きやすくなる人もいるだろう。
それはそれで素敵なことだと思う。
ただ、意味を問うたあまり、その意味に縛られてほしくないのです。