「なんか嫌な広告」ってなんで嫌なのか考えたけど失敗しました。
自分の判断基準がどこのラインか知っておきたいので書きます。
この記事、読みました?
仕事内容は「テイクアウトのピザを注文してレビューを書くこと」と「指定されたNetflix上の映画作品を3つ選んでそのレビューを書くこと」だ。この報酬として500ドル(約52,000円)を支払うという。
これ、明らかに広告ですよね。「面白いバイト募集」で話題にする広告。いいですよね。新しくて。
でも、これ、自分が提案できると思えない。なんとなく「ダメだろうな~」と思ってしまいそう。
何がダメそうなのか明らかにしようと思う。
◆倫理的にダメ?
な気がしている、なんで?別にいいじゃん。悪いことしてないし。
けど、なんとなく「炎上商法」という言葉が頭をよぎる。なぜ?自分の中での炎上商法という言葉の定義をしようと思う。
ということで、僕なりの定義ですが、炎上商法という広告は「まっすぐじゃない」ですかね。「意図した広告ではない」という意味です。
「私は広告です」と言わずに「話題にされる」ということをそういうんだと思いますね。まだ曖昧。もう少し具体化すると、、
「サービスの魅力を、相応しい場でアピール」せずに「サービスの名前や内容が知れ渡る」
ここらへんでしょうか。
広告したいサービスを「相応しい場」でアピールしているかどうかが気になっていたんですね。お~~~古臭い考えだ!
◆相応しい場とは?
多分、プラットフォームが用意してある「広告欄」でしょうね。例えば新聞の広告欄、テレビCM、広告ツイートや投稿、など、「プロモーション」だとわかることです。
こういった、「広告はここに置いてありますよ」という場所に対して「では、広告させていただきます」という奥ゆかしさを求めているんでしょうね、僕。
今回のネットフリックスのバイト広告は、「バイト求人」という場を使ってネットフリックスのサービスを広めている訳ですが、僕の中の警察が「おい!そこは広告出していい場所ではないだろう!」ということで笛を吹いている訳ですね。うーん。
◆どこで広告打とうがいいじゃん
ね。町の看板とか電柱広告とかから、電車内広告、ラジオ、テレビ、ネット。テクノロジーの進化と共に人間の生活導線が変わり、そこに巧みに顔を出す様に仕組まれているのが広告ですよね。
じゃあ、昔の人からしたら「相応しい場」は町の看板だし、ネット広告とかあり得ない、という認識になっているのか、というと、どうなんだろう。
そう考えると、今回の広告も良しとすべきなんでしょうが、なんだろう、腑に落ちないな。
「とはいえ、広告の意図隠しすぎじゃない?」という感じですかね。
ネット広告も結局、看板をネット内に貼っているに過ぎないので、「場」の問題というよりも「見せ方」の方が問題かも。
◆どういう「見せ方」が問題?
うーん。
例えば、「青汁のCM」あるじゃないですか。夫婦のドキュメンタリーかと思ってたら急に「これもこの青汁のお陰っすわ」的なCM。よく話題になりますよね。
そういうのと、同じ匂い。それよりも強い匂いかな。青汁のCMは最終的には「青汁のCMです」ってちゃんと言うし。
それよりも今回の広告は、「いや、バイト募集なんで」っていう、広告なんだけど、そうじゃない、表層だけ捉える人が話題にしちゃうような、ずる賢さがある。
賢いからいいじゃん、ていうのもね、あるよね。なんでだろ。
「映画観に行かない?」って女の子に誘われて「もしかしてワイのこと好きなんか?」と思って調子乗って奢ったら、「映画観たかっただけ」みたいな。
まあ、そういう場面もあるだろうけどさ、ね?みたいなさ。君の好感度上げようと思って頑張ったのに、元から意味ないんかい!みたいなね。
「だったら最初からいってほしい」「いや、最初からそういってる」「そうだけどさ…」みたいな、ありふれたやり取りみたいな、悔しさ。
それに似てるのかな。
いや、似てないや。
分かんなくなってきた。
「広告」という意図を隠して「サービスをアピールする」広告が嫌な理由、わかりませんでした。また考えます。
一応の今の予想書きますね。
多分、「どうすか?びっくりしたやろ?」というのが「鼻につく」んでしょうね。
なぜ鼻につくのか。それは、もっと僕の心の奥の闇の部分に答えはあるのかもしれない…
今回は失敗しました。ごめんさい。