ただの感情メモです
お久しぶりです。酔っ払いのうさぎでございます。
みなさんどのようにお過ごしでしょうか?
本日は腹の立つ話をしたいと思いますね。憤怒の炎が心に灯っているので、そんなん読みたくない人はごめんなさい。でも、僕は書いていきますので。すみませんね。明日には楽しいものを投稿しますので、いったんお許しを。
さて。
そう思う次第でございます。
すごく腹が立つんですよね。
自分の気持ちの悲しさとか、同情の側に立ってくるやつが。
いや、普通はそんなことはありがたいことなんですけど。
でも、自分の悲しみに寄り添うフリをして、実は俺が思っている悲しみは別にどうでもいいだとか、別のこと考えていたとか。そういうことって往々にしてあるじゃないですか。
そういうことを目の当たりにすること、きっとあるとある思うんですよ。
その時腹が立って仕方がないのは、そういうことを考えるやつは、俺のことを「かわいそうだ」と思っていた、ということなんだ。
自分が弱みを出して、助けを乞うて、それでも寄り添ってくれるのは、素晴らしいことかもしれないけれど。
その時、自分がただ哀れみを持って見られていた。助けて欲しいと懇願したことは、それはそれとして置かれ、どうでもいいとされた。
これが、これほどにまで屈辱的なものかのかと。
どこまで行っても立ち直れないなと思っていた悲しみだったんですよ。それに対して、寄り添ってくれてると思ってた。
それを裏切った相手に思うことは、屈辱、という感情だけ。
そして、これほど屈辱的なことを、どうでもいいことなんだと処理しきれなくて、この感情をどうしたらいいのか。
自分の中でこの怒りを矮小化するにはどうするべきか、考えていた。
すげー腹が立って仕方がないので、いつかやるしかないんだ。
いつか、見返してやるぞと。
でも、タイミングがやってきた。
そいつの気持ち悪い部分を見せられた。
ありえない。
引く、おかしい、心配する。
憎しみに近い思いを持っていた相手に対してそんな気持ちを持つとは思ってなかった。
いろんな人の話を聞くに、どんどん矮小化されていく。
なにその恥ずかしい行動。自分だったら耐えられない。
自分の悲しみを他所に、そんな頭のおかしい行動を、これみよがしにやっていたのか。やばすぎる。
いろんなことを知って、やっと自分の中に残ったのは、別の同情だった。
本当にやばいやつじゃん。お前は、って。
そうやって、自分の中でも矮小化を遂にできたのは、本当に嬉しい。
人間関係ってのは綺麗事だのなんだのあるけれど。
腹が立ってる相手の恥ずかしくて情けなくてダサい姿をみれば、なんか許してしまう。
そんな気になっている。許している、は違うけど。
自分の中で氷解することはまったくないけれど、自分の中にだけ決着をつけることができたのは、なんて素晴らしいことなんだとも思う。よかったな。
自分の中にそういう歪みを得たことを悲しみながらも、そこまで深刻視しないぞという決意を感じて、自分への甘さを感じた。
お前は、よくやったよ。ようやくだな。
そうだ。
よかった。
シュークリームを頬張りながら、わたしは思うのであった。
※シュークリームに対する苛立ちだったんかい!という煙を巻いて終わらせる戦法