【ネタバレ】シンエヴァ感想殴り書き。映画観てない人は読まないでくださいね。
ネタバレありで書きます。観てない人、読まないでください。
僕は展開どうこうの前に、面白かったか、面白くなかったかすら知らずに読みたいくらいだったので、まだ観てない人、観てから読んでください。
今日観たので、新鮮な記憶のうちに書きたいので書きます。でも、読むのは観てからにしてください。これは、僕とのお約束です。頼む。
では、以下から。
いいですね。ネタバレしながら書くので。観てない人は絶対に読んではダメです。
はい。始めます。
ダメだからね。
では。
クッソ面白かったです。今までのシリーズとの展開から外れたQ以降、どのような展開になるのか、ワクワクしていました。なんせ、Qの終わり方からしたら、終末の世界でどう物語が進むのか。気になって仕方がなかった。
ね。最初の戦闘、震えましたよね。ここで僕が新劇場版で強く思っていたのは、製作者の視点のズレ、ですね。旧シリーズまでを描いている視点がズレてるという感じがあるわけですよ!!!
最初のパリの戦闘。エヴァが戦うけれど、今までの戦闘では「エヴァが勝つか負けるか」が重要な場面じゃないですか。この戦闘では、エヴァは勝つことは求められるけど、「システムをジャックできるか」が最も重要な勝利条件になってるんです!技術屋の戦いがメイン!!!!
ここで最後見事にジャックして、「良かった…」とため息をつくシーン、同監督のシンゴジラの最終決戦を強く感じました。技術屋の戦いで、その勝利は「やったーー!」という喜びじゃない。なんかね、このシーンで「これは、エヴァが戦って勝つだけで済む話じゃないな、今までとなんか違うぞ」と心が熱くなります。序盤から椅子をなんども座り直す訳ですよ!!!!
そして、なにより、親と子供、大人と子供、この関係性が強く描かれて、物語の中心になってますよね。
これはテレビ、旧シリーズも主人公の少年少女を中心とした閉じた精神世界と組織や社会の葛藤を描いてました。この旧シリーズの物語の視点は少年からの視線です。しかし、新劇場版はその描写に社会や組織、大人からの少年へ注がれる視点が中心となっているように感じられるんです。
これは庵野監督がテレビアニメシリーズのシンジに自分を投影していた、と語っていたことからも、過去シリーズの視点が少年少女の悩みや葛藤にフォーカスされていたのは自然でしょう。だから故に、制作者の現在が映されるこのエヴァというシリーズでは、制作陣も、明確に大人側立った、ということがリアルに、です。その感じが、物語からつぶさに感じられるんですよね。素晴らしい。なんか、作家性ってこういうことなんだろうなぁ!!!!
しかもそれが、当時小さいながらエヴァを観ていた僕の気持ちと、今完全に大人になった時にこのエヴァを観る視点が、バッチリあってる感覚があるんですよ!色んなシーンに!シンジに自己投影していた物語を、今では、そしてこの物語では、僕自身が、シンジを「子供」として認識してみているんです!!そしてそれは「大人からみた子供」として描写されているから!!!これはね、バッチリはまっている。
例えば、大人になったトウジ、ケンスケの存在。てゆうか、この村のシーンビビりましたよね?終末世界での話をみると思っていたのに、あんな心温まる世界を描かれるとは!!!!想像つく訳ないやあんなもん。最高。
この村にいったシンジ、ガキですよね〜。そんなシンジにアスカは言葉を投げつけます。「ガキね」と。これはQで大人になってからですが。昔は「バカシンジ」でしたが、「ガキ」呼ばわりです。アスカは26歳くらいですかね。実年齢だと。彼女からみたら、シンジの行動が「ガキ」にみえて仕方ないんでょう。だってアスカも同じガキだったから!
アスカのシンジへの言葉は、子供の頃にすねたことがある人なら耳が痛いでしょう。的を射まくり。あと、綾波に「第3の子供を好意対象にするようになってる」って、自分が子供の頃は愛だの恋だのに悩んでたくせに(破で)打って変わって、もうそこには興味ないように、システマチックに捉えてるんですよね。なんか、アスカ大人びちゃって!!!もっと悩みなよ!!!割り切るなよ!!!!成長したね!!!
「村を守る為にいる」とかもそうですね。技術屋とかとも同様に、組織の一員感ありますね。大人の社会に馴染もうとする子供じゃなくて、組織の一員感。わかります?わかって。
そして、シンジに、中学時代のトウジのジャージを着せます。周りは大人になっているのに、シンジはまだ中学生である、と明確に言ってます。シンジだけ成長していない、「子供」なんですよね。ニクいね??????
あと、マリですね。マリは実年齢はゲンドウの年上くらい?ユイの実験に付き合って、その後エヴァの呪縛でそのままなので、明確に実年齢で大人です。
これ、シンジ、レイ、アスカは、エヴァに乗るのに個人的な理由で乗るんですよ。(序破くらいまで)組織の為になんて考えない。少年少女ですからね。マリだけが、エヴァにエゴで乗ってない。組織として、です。大人なんですよね。だから歌ってるし(昔の曲を)、なんか余裕あるんです。自分の存在理由とエヴァに乗ることを同一視していないから。組織の一員と理解しているから!!!!対比がお上手で!!!気持ちいい!!!!楽しいや!!!キャラ立たせんのうますぎ!!!!!
そして、鈴原妹とピンク髪ギャル。ミサトさんとゲンドウの初対面の所で、シンジに銃向けますよね。その理由が、青臭い。恨みつらみで、子供なんです。(理由はごもっともだけど、組織の一員としてじゃなくて、個人の恨みで終始してる感じ)それを周りもなんとなく「宥める」んですよ。それがなんか、昔までの子供っぽいアスカやシンジに被るんですよね(その時のシンジは子供から成長してなんか覚醒してる)ここで彼らを登場させるのも、対比として効いちゃってんのよ。
あと気になったところ。裏宇宙でのエヴァ親子喧嘩!過去の場所で戦うんだけど、最初の使徒戦の市街地!すっげーーーーーCGチープで、もうだめ!ここに金使えなかったの!!?!!と萎えたんですが、途中で背景が幕とわかり、今までのシーンがつくりもの、特撮的な、と示唆するとこ!やばい。やばいのよ。ここら辺から子供からの卒業とエヴァからの卒業が描かれる!くーーーーーー!!!あと13号機で裏宇宙でテンション上がってテレポートしまくるの笑った。
そしてやっっっっっと碇親子の決着よ!!!!!もう!ばか!!!あの村にも色んな親子いましたよね?鈴原も他の人も猫までも!!!親子描きたすぎ!!そして、親からの目線!!!親も人間だと表明しつつも、親としての立場責任、想い、それに気づかない子供、でも守られるだけじゃなくて成長する子供、それに気づかない親!!!くそ!!!!泣く以外の選択肢がなくなりました!!どうも!!!
何より、初号機と対峙したゲンドウは中を探すけどやっぱりユイはいないんですよ!急に慌てた声で「ユイ!!ユイはどこだ!」って言って綾波の映像しか流れないところ。初号機には綾波(ポカ波)しかいなくて、ユイとの息子にこそユイがいるという、なんかわかるようでわからん、けどエモい!!!最高!!!あたたたたたたたた!(百烈拳)
最後の演出なんかもやばいよね!!?!!全て解決!青い海の前で座るシンジが線画になる。これ、つまり「エヴァはアニメとして作られてる。このまま終わるも、まだ続くも制作次第」くらいまでメタにするんですよ。その瞬間、マリが「間に合ったー!」って!なにに!?何に間に合ったんだ!?!!作品の終わり!?メタ化への始まりに!!?また、次のエヴァを求めるような展開に!!?確かに、あのシーンで終わってもいい物語でしたけど、そこにぜーーーんぶのエヴァに決着つけに来るんですよ。マリが!あとは想像にお任せ!みたいな終わりでなく、ちゃーーーんと、終わらせる為にきた!!!
そこからしっかり作画に色が戻り、そして「ありがとう、最後のエヴァンゲリオン」といってエヴァが消滅する。ここで本当に、物語としてもエヴァはなくなるんですよ!!!その後の駅のシーンと、エヴァの呪縛から解き放たれた子供達は大人になり、それぞれの「リアルな世界」に進んでく訳です。庵野監督はこのエヴァに取り込んでしまったファンや色んなものを、作品からも名実共に現実へ返した訳なんですよ。そういうことをやりたいって、新劇場版の宣言に書いてありましたが、それをやったの!本当に!メタになりすぎない(ドラクエ5の映画よりも気持ちよく!!!)ところで、終わらせる。天才の作品。メッセージの臭さはありながら、匂いすぎない、気持ちいいライン!!!あーーーーーーーー
てゆうか、ワシ、めっちゃ泣きましたからね。一番最初に泣いたシーンは、ミサトさんが「ヴンダー、発進!」っていうところ。ここ、すごい。最終決戦に向かうことが静かに決まり、段々と進んでいき、個々の目的と心情が丁寧に開示され、あとは本当に最終決戦だけだ!ってなる、すっごい場面。ここで初めてあのBGMが、いつもよりテンポ遅く流れるんです。「ドゥンドゥン」って!あれ!あそこの鳥肌やばくて泣きました。トイレ対策に昨晩から水飲んでなかったですけど、一気に出てきた。涙。マスク濡れて息苦しかった。最高。あのシーンみただけで、本当みた意味があった!!!まじ!!!
色々書きたいことある!!!シンジにとっての母親と恋人のこととか、裏宇宙で場面変わるシーンで毎回初号機が口バカって開くシーンでうつりかわって装甲が外れていくの、「だんだん本音言えるようになってきてる、ってこと?は?最高か?」みたいな細かいカット毎の演出とかラストのカヲル、レイ、アスカとか!!また何度か観た後にまとめて書く!!!!うわあああああ!!!
あああああ!!