久しぶりの日記

しばらくnoteお休みしてました。
このまま止めてもいいかなあ、ともちょっと思ってました。そんなに読まれることもないし、そもそも好き勝手書いてるんだから読まれるわけもないし。

先月身内に不幸があり、日常生活は送っているのだけど気持ちが日常には戻らず心配事も不安もやることも色々…で、noteに懸ける気力がありませんでした。

詳しいことを書く元気は今はないし、書けてもずっと先なんだろうなあと思います。

今わかるのは、お金はなかったけどなんだかんだと手伝ってくれたり守ってくれていた人がいなくなってしまったので、私は本当にひとりになってしまって、ひとりで生きていかないといけないということです。

自分の周辺で、自分も否応なしに巻き込まれたり関わったり決断していかないといけないことが、一気に、無くなったり終わったりリセットされたりしているところでもあり、これが流れを変えていくのか、私もここで終わるのか、今は何もわからない状態でもあります。

困ったな、また涙が出てきました。

個人的にはこの件であまり他人には連絡はしていなかったのですが、ついでに伝えることもありました。
気持ちのはけ口がなくて、ネットの海に独り言も投げたりもしていましたが。
友達が二人くらい返事くれただけで、寄り添ってくれる人なんか誰もいなくて。
それがまた余計につらかった。

身内の死に関連して、すごくすごく困っていることがあるのに、手伝ってくれる人も見つかりません。
都合が悪くなったり、都合が悪いのならせめてそう伝えるべきではないですか…。でも、伝えられることすらないです。

普段仕事をしていると、つらい気持ちを誰にも言えずに仕方なく私のような立場の人間を頼ってくれる人がこんなにいるんだと気付きます。
占いを利用する人に批判的な人も多いし、確かに占い師を魔法使いかなにかだと思われるのは困るところですが(そう思ってる人も多いのですが)、こういう側面が強いということは思ったより知られていないのかなと思います。
占いは今後もなくならないだろうという話は時々耳にしますが、それは「気軽に自分の気持ちの言える第三者だから」という点が大きいからじゃないのかな、と考えたりしています。

友達とか家族とか社会とか、ホントに機能してるのかな、と思うくらいに。

自分個人の話はほとんどしないで仕事をするスタンスにしているので(当たり前かもしれないですが、自分の話をしたがる占い師も結構いるんですよ)、お客様は私の事情は知らないはずです。
涙も事情も気持ちも個性も隠して仕事をしてます。
寄り添ってもらえなかった悲しみを、せめてほかの人には味あわせたくないので。
それをいちばんに頭に置いて仕事をしているので。

でも、それじゃあ私の心は、どこに話せば、預ければいいのだろうと思うのです。

今の日本でこんなテロリズムが起きてしまうのか、とショックを受けた件でも色々考えましたが、どんな事情がある相手でも、せめてお悔やみくらいは言おうと思います。
どんなにお金持ちでも貧乏でも美しくても有名でも普通でも嫌なやつでも、人としての最低限の畏敬や尊厳を持たなければ、人間とは呼ばなくていいんじゃないかなと思いました。

レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』に登場する一節は、やはり正しいのだと思った次第です。
そのうえ強くない私には、この先を生きていく元気はもうないなと思っています…。

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うさパイ
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