つらつらとだらだらと日記 in 如月

色々あって、底辺より下の方をうろついてました。どこかの部屋に逃げ出した夢とか見てた。何も出来なくなって、今度こそもう駄目だな、と思ってた。去年わけのわかんない人がネット上に色々登場してえらいことになった時より酷かったかもしれない。食事も喉を通らなかったし。

生ける屍みたいになってたその日、呼鈴が鳴る。あれ、時々見かける宅配便の人だ。
経済的余裕なんて無いを通り越してホームレス寸前だから当然通販ではない。今年も(いやもう去年かな)誕生日プレゼント送ってくれた友達いたけどさすがに今更過ぎるだろう。じゃあ何だろう、懸賞か?

どれどれと差出人の欄を見て、何に応募したのか思い出して仰天する。アレ当たったのか?嘘やろ?でもほかに覚えがないぞ。

震える手で箱を開ける。
入ってた。
応募したとあるものが入ってた。
ほ、ほほほ、ほほほほほほほほホントに当たった…。

底よりも深いどこかに落ちていた精神が一気に戻ってきた。戻ってきてアワアワと部屋の中を右往左往してる。

当たったああああああああああー!
当たったああああああああああああああああああー!!

今年懸賞に当たったのは初めてだったのですが、当選人数とか諸々考えると、過去に当たった懸賞の中でもなかなかの大物かもしれない。ぜっっっっっったい当たらないと思ってました…。嘘やろ←まだ言ってる


結果として、それがきっかけで私は黄泉から戻ってきてしまった。すげえな懸賞。今いちばん私が喜ぶものが当たったんじゃないか。根本的な問題はまったく解決してないのだが、少なくとも魂は救われたはずである。

広島に、オーラが見えるという方が営まれてる有名なマッサージのお店があるんだけど(はてなブログで記事にしてるのでご興味ある方はどうぞ)、そこでこんなことを言われたんですよね。

私は名前も身体も同じ色のオーラで、この色はどんなにピンチに陥っても必ず誰かが助けてくれる。だからできるだけ流れに任せて、深く考えず、人に頼って生きる方がいい。自分で頑張るとうまくいかないよ、って。

これが本当にそうなんですよ。基本的に死ぬほど運がないけど、もう駄目だ、という時には確かに思いもかけないところから助けが入って、そのおかげで生きてこられたようなもん。何でこの状況で助かってんだ?ってことが色々あった。
今回もこれだな、と思いました。問題は解決してないので相変わらず大ピンチだけど、少なくとも余計なことを考えることはたぶんしばらくないだろう。

ただし、本当にギリギリにならないと助けは入らないのですよね。だから本当にヤバかったんだな、と今更ながらヒヤッとした。これをギリギリまで落ちないように底上げするのが人生の目標なんですけど。全然あがんねえや。なんなんだよもう。


オーラの見える方のそのほかの言葉も実感してるんですよね。はてなブログで散々書いたからもう省くけど。
私はずっと自力で全部何とかしなきゃと思って生きてきたし、今もそう思ってる。何とか出来ない自分が情けなくてしょうがない。
でも、今は頑張れないんだと悟った。頑張る方向が違ったら辛くなるだけなのに、要するに間違えてたんだ。ただ、じゃあほかにどうしたらいいのか?ってことはまだわからない。

助けてくれってちゃんと言わないと、察してなんかもらえないんだよね。むしろ、何で言わなかったの?と嘆かれてしまう。言っても結局助けてくれない人の方が圧倒的に多いですけど。まあ、もし将来どっちかしか助けられないとかそういう状況になった時、ためらいなく手を離す候補に入れる人のリスト作りが進むだけの話。
ずっと自分でも何とかしなきゃと思ってたので、当然助けてなんて言えなかったし、今もあんまり言いたくはないですよ。

でも、ある日気付いちゃったんですよ。
自分で頑張らなきゃ、何とかしなきゃ、って私とか誰かとかに上の方から言ってくる人に、自分で頑張ってる人なんか一人もいなかったんですよね。
親が、伴侶が、子供が助けてくれるから、あんた生きてこれたんじゃん。どの口が偉そうなこと叩けるんだ。

なんか、バッカみたいだなって。もちろん頑張れるようになったら頑張るけど、しばらくもう頑張るのやめようと思った。
グレたんですね、今更(笑)。

もちろん、頼れる人に頼る生き方が悪いって意味じゃないです。生きていくためにそれは大事なことでしょう。そうやって人間は生きてるんだし。
でも、自分は安全なところから出てこないくせに、暴風にさらされてる人間にさらに石を投げるようなこと、よく言えるなあ、って正直思ってます。

けど、そういうことって言うの楽しいんでしょうね。いじめと同じ。本人はいいことをしてるつもりなんだけど、本当は「いいことを言って間違った相手を正そうとしてる自分」が気持ちよくてしょうがないだけなんですよ。相手の話なんか聞いちゃいないし、立場なんか考えてない。自分の言ってることが本当に正しいのかどうかもおそらく考えたことがない。

私が今まで「何かこの人は嫌な感じがする」と直感で思った人は、たぶん皆そういう人なんだよね。最初はわかんなくてもあとからやっぱり気付く。訳もなく嫌われるのは私も嫌だしたぶん相手も嫌だからちゃんと話をしようと頑張るんだけど、結局いつも駄目だった。
自己陶酔は時に必要だけど、そういう陶酔は要らんし、上から目線はもっと要らない。
内容としては同じでも上の方からじゃなくて、横から言われたら「嫌な感じ」はしないのに。自分の味方は、横から来る、ような気がする。

中には「私だってかわいそうで大変なのに」と言いたくても言えない捌け口に私を使う人がいて、私がバカ正直に「今ヤバいです」と言ってしまったり駄目人間オーラが隠せてないから、そういう人が時々引き寄せられてしまうのだった。知らん、もっとタフな人んとこ行って下さい…。

どっちにしろ、弱そうに見えるからストレス解消にぶっ叩こうと思うんだろうけど、私が実はそこで大人しく倒れる人間じゃなく意外とハッキリ反論してくると気付いたら、「あの人おかしいから」って話になっちゃうんですよ。いや、私から見たらおかしいの君らでさ…。
私が単にそういう人が苦手なだけなんだろうけど、あんまりもう会いたくないな。疲れる。

私はクズだけど、クズにもクズなりに命とか心とかあるんだよね。


とりあえず神が助けてくれたみたいだ。ネタの神様、久しぶりにいい仕事してくれたね。そう、これネタの神様案件なんですよ(笑)。
私のフィギュアスケート関連の運の強さが改めて証明されてしまった気がする。選手になってればそこそこいいとこ行けたかもしれんですね(笑)。諭吉さえあればチケット争奪戦にも勝てる気がするのですが諭吉との親密度は一向に上がりませんな。何故だ。

まあ、問題は全然解決してない。今度こそ駄目かもしれません。こうやって記録をつけて、あとから読み返して、自分の敵と味方を認識した上で、いつか闇を忘れて他人に上から目線で当たるクズにならないように、そう思っているけれど、そこまで辿り着けるのか、いよいよわかんなくなってきてしまったわ。あ、当たったものはどんなに困ってても売らないんで…。

去年いちばん運が良かった時に何やったっけ?と思い返してみたんだけど、そうだ、募金だよ。食べるもの買うお金も無いのに豪雨災害の募金したんですよ。そんな大金じゃないけど、ほんのわずかだけどあの時の全財産考えたら厳しかったよ。何やってるんだろう、と思ったけどなんか30倍くらい、いや奇跡が起きたからもっと何倍にもなって返ってきたよ。あれ募金以外に考えられん。こうなったら募金だろうか。でも邪な気持ちで募金しても絶対ダメだと思うわ…。
ただ、やっぱり人のためにしたことって返ってくるんだな、と死ぬほど実感した。情けは人のためならず、って本当なんだ。それは忘れないでいようと思いました。

まあ、今日は完全にただの日記で面白くもなんともなくて、こんなん読むより丁寧に書いた昨日とかその前のやつとかの方が…、と思うんですけど、そうはならないのがどうやら世の真理で、そもそもここまで読むほどたぶんみんな暇じゃないだろう、と想像して今日の呟きを終わる(noteって長文のツイッターのように感じています)。


はてなブログも毎日更新中。現在はほぼフィギュアスケートのブログですが、本日はお題記事の予定なのでスケート興味ない方もお気軽にどうぞ。はてなにたまに書いてた闇をnoteに移動させたので、noteは叫び成分が混ざり気味ですみません。ちなみに明日のはてなの記事は長文。羽生君ファンの方は是非。
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うさパイ
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