事故ってひとを知る
ひとの有難みを学ばされた事故だった
なじみの修理屋さんに連絡段取り価格交渉ガラス屋さん
それに会社のひとたち
結局
上司,後輩ちゃん,大工さんのお世話になった
実生活こそひとりだけど
工事部と職人さんには頭があがらない
わかっていたけど再確認した
はたらくとはそういうことなのかもしれないけど
そうはいっても
会社に使われる以上
社風が生理的に無理なら
精神的にきついことは変わりない
工事部でぬるぬる過ごしても
会社からは逃げられないし
無能な自分は変わらない
やりたいことはない
できることもない
いまのわたしに将来なんてあってないようなもの
私の仕事はひとから見えないし
その仕事をされたくないひとが多すぎる
会社から嫌われている
もう忘れられているかもしれないけど
首にならないのが不思議で仕方ない
たまに感じる空気の良さを拠り所に
逃げ出すことを先延ばしにするのもそろそろ限界
本当にダメになったら手段を択ばず死のう
そう思うと気持ちが楽になる
逃げる手段が転職でも自殺だとしても
荷物をまとめておく必要はあると思った
今回の事故でこうして
ひとのありがたさを感じたけど
またしても母親がやってくれたというか
ひととおり心配の連絡(主に金)を寄越した後で
「実家のピアノを父親が処分すると言っている」
と連絡が来た
事故った娘に何の報告?相談?
修理これからなんですけど
母親は言いたいだけで
別に手伝いも金も求めてない
それがわかるから
「なにか手伝う?リアガラス全壊してるけど」
とか,呆れる返信もしなかった
後輩ちゃんからケーキを頂いた
まっとうに育つと人間はこうなるのか
彼女を見ているとそう思うことが多く
ありがたさや嬉しさを感じつつも
後ろめたさを感じてしまう
どうして私はこうなんだ,と思ってしまう
もうどうしようもないんだけど。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?