自虐/自戒風自慢羅列の話

自虐風自慢の中毒性

自虐風自慢は、いいぞ()。
正直、自分はこの行為を悪だと断罪できるほどこの自虐風自慢から足を洗えてはいない。
それはなぜか。気持ち良いからである。この自虐風自慢、(話している本人からしたら)自慢していない体で、もっと言えば反省とか、自分を下に見せている体で自慢が出来る非常に画期的なメソッドなのだ。
自慢する体で自慢したら自分の中で罪悪感が生まれるが、自虐などを含めれば何となくその罪悪感が薄まる、気がするのである。

しかし!
話を聞いている側はそうではない。あなたの思惑とは裏腹に、受け取りてはそれを「気持ちの悪い自慢」としか捉えない。
実際この「自虐風自慢」という言葉自体もう世の中に普く広まっていて、もう常識のようなものとなっている。
だからやめよう。いや、なかなかやめられないんだけど、あんまりしないように、しようね☆

自虐風自慢アイデア

この自虐風自慢。意外と実生活では聞かない。体重50kgで「太っちゃった~」ということが良く例に挙げられるが、そういう場合は「前は45kgで、今50kgだから、そのころに戻るために痩せたい」と、「世間とかの認識はさておき、”自分は”その体重に満足していなんです」という自分の価値観ベースであることを事前に報告する場合が多い。童顔アピールなんかも、「自分は童顔が結構嫌だ」というのを、しっかり自虐風自慢に捉えられないように補足するのだ。
自虐風自慢が問題視されている昨今の情勢の恩恵であると言えるだろう。

では、いつその自虐風自慢を聞くのか。
それはネットの海の上だ。以下に自分が実際に見つけたネット上の自慢を(ちょっとぼかしつつ)挙げていきたいと思う。

著名人に気持ち悪いDMを送ったら親友になっていた

気持ち悪いDMを晒していく~、みたいな動画で、視聴者ではなくMCの人が話したもの。
「気持ち悪いDMと言えば、僕、その時好きだった作家さんに気持ち悪いDMをめっちゃ送ってて~」という始まりで、問題はここから。
「実はその作家さんと今では友達で、この間も旅行に行きました笑」
????????
後半関係なくない?
これは自虐風自慢の中の黒歴史風自慢というやつである。話のオチとして、著名人と友達になったこと、つまり人脈ありますアピールをする高等テクニックである。

たくさんの人と関係を持ったけどその都度「飽きた」と彼らを捨ててきた過去の自分を反省

これはTwitterであった話。
彼はバンドマンで、昔たくさん彼女を作っていて(浮気もしていた)、でもそのたびに「なんか飽きた」という理由で彼らを「自分から捨てましたよ」という過去を語ったうえで、そんな自分が情けない。と急に自省してくる謎ツイートである。
たくさん彼女がいた⇒自分モテます。
自分から捨てた⇒フラれてはないから
その自慢をしてから、それをさぞ「全然自慢できないこと」だという感じで「なんて自分は愚かなんだ」と宣うのである。

まずこれをツイートしている時点でキモイ。っていうかこういう系の自虐風自慢で思うのが、「わざわざ世間様に晒さなくて良いですよ」ということ。反省してるのは分かった。で?晒したのは何で?教えて?である。

似たようなツイートで、昔女子高生と付き合ってました。めっちゃ反省。というものがあった。
これも、あーそうなの。で?である。

不真面目自慢エピ

Youtubeの動画だ。
その人は視聴者から「大学生なのに○○しててすごい!」というコメントに対して「いや、全然すごくないよ」と、そこから自分がどれだけ不真面目かを伝えていくのだが。
まあ「大学10回も行ってなくて普通に留年してます」はまだ良い。
これも「留年しても何のデメリットもない自分の鋼の心アピ」や「留年しても困らないくらいお金がある(実家か自分かは知らない)」という薄い自慢が透けて見えるのだが、まだいい。
問題はこの後。
「なんなら自分が通っている大学には行かず、他の大学の研究室に遊びに行き、その研究室の教授にご飯を奢ってもらった笑」
???????????????????????
え?なあにそれ?ごめんそれなんか表題とどこか関係ある?大学行ってないのは良いよ?関係あるからね?でもその後の話はなあに?その話する必要あった?ころすぞ。
――これは自慢だ。
他の大学の研究室に遊びに行く⇒典型的人脈アピール
教授におごってもらった⇒偉い人に気に入られてますよアピール
まあどっちも人脈アピールというか、それくらい自分の能力高いですよ、と言いたいのだろう。

著名人による自虐風自慢の考察

自虐風自慢はみんなご存じの通り、自分の凄さをアピールしたいという欲求から来ているのであり、つまりは自分の現状にはあまり満足していない人がする場合が多い。
ただ、上であげた人たちはネットの中でそれなりに成功しているタイプの人種で、僕ら庶民からしたら「自慢しなくても……」と思わざるを得ない。
ではなぜ彼らはこんなつまらない自慢をしてしまうのだろうか。
それはいかにボクたち庶民の尺度で彼らの幸せを測ったところで、彼らの幸せは想像ができないからである。彼らは成功しているが、彼ら自身はそれを「幸せ」とは認識できていない。なぜなら「幸せ」とは直前の過去と現状、あるいは少し先の未来との環境の差で決まるからだ。
彼らが今の立場にいるのは彼らにとってもう当たり前であり、そこから転落することが「不幸」にはなっても、その場所に居続けることが「幸せ」にはなり得ないのである。

彼らの自虐風自慢の厄介な点は、彼らがそれなりに能力があったり、成功をしているので、その自慢が割としっかりした自慢になることだ。童顔だとか細いとかブルべだとか早慶落ち東京理科だとか、そういう庶民の自慢とは一味違う。
そこが僕のイライラする理由の一つである。
故に、タダの人間の自虐風自慢には正直靡かないが、こういう著名人の自虐風自慢は「糞気持ち悪い」と思ってしまうのである。

おわりに

「自虐風自慢をするくらいならストレートに自慢してくれ」勢力と「いや自慢すんなカス」勢力が世の中にはいる。
僕は前者の勢力だ。それは別にストレートに自慢してくれた方が気持ちが良い、とかではなく、「他人は自慢してしまうものだから(自分もそうだし)、それなら回りくどくしないで自慢してますよという態度で自慢してほしい」からである。そうすれば「いや自慢やないかい!」と突っ込みが出来たり、それを「自慢」として話を広げることができるからだ。
なので、この記事を見た君たちも、ぜひ自慢は自慢のまま自慢していってほしい。

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