ストーリーを楽しむ
本を読む、映画を見る、芝居を楽しむ…頭良くないとできません。
ものを知ってる、ってことじゃなく。ここでこうなって、この時この人がこう言ったとかこういう動きをしたっていうことについて、ちゃんと見ていて覚えていて、のちにそこを伏線として、ストーリーが収束していく流れを楽しめないといけないってことです。
テレビドラマ、特にちょっと前の時代劇なんかはとてもわかりやすいです。登場人物は顔色を変えるカットとか、こっそりと映し出すようなカメラワークとかで、ここ伏線だから覚えといて!って矢印書いてるくらいのわざとらしさw;;
こういうことにちゃんと気づいて覚えていて、後から語られる結果Cに、伏線Aと事情Bとを組み合わせて、おお!とびっくりしたり、なるほどねと納得したり、やっぱりそうかと涙したり…お馬鹿にはできない作業です。
閑話休題。ちょっと脱線するけれど、日本のエンタメはどんなサスペンス作品もキャストを見ただけで犯人がすぐにわかってしまうので(俳優の著名度で見当つきますよね)ほんとにつまらない。予備知識なくて見ていても、ん?この俳優さんが殺人現場の警備員の役としてだけで出演しているなんてありえない、あとで何か展開があるな、と気づいてしまう。海外のテレビドラマはその点、俳優のランク?のようなものを知らないから、まるっと騙されることができて楽しい🎶
作家側は、その「流れ」を作るのに魂を込める。最後まで真っ直ぐに順調に話を進めるのでは、読む人の心は動かないからだ。所々にアクセントとなるような仕掛けをして、その全てが最後までにちゃんと役割を果たす。その流れを作り出したいと思っている。
私はつい、そちらを見てしまう。
だから、何事も批評的だ、と言われることがある。意地悪だという意味かもしれない。ストーリーに丸っと乗っかって邪心なく楽しむことができない、つまらない人間ということなのかも。けれど、ああ、こういう仕組みか、上手いな🎶 ここはもっとこうしたらよかったかもな…的なメタ視点は嫌われがちだし、自分の感動を削ぐことにもなりがちだ。
だけど、といいたい。
素晴らしい作品はそんなメタ視点をものともしない。がっつり巻き込まれるし、こころをぶるんぶるんと振り回してくれる。
宣言解除。映画に行こう、劇場に行こう、…でもまあ、警戒して在宅で動画でもいいか。
ストーリーを楽しめるクリアな頭であり続けたい。