ふつーの自己顕示欲(かくれんぼ名人でした)
自分の得意や優秀性について語ることを禁忌としている。万が一、語ることがあっても必ず、大急ぎで、そうは言ってもこういう失敗をした、とか、実はこの程度のことなんです、というオチをつける。あたしはほんとに大したことありません、と。
自分のやっていることの宣伝が苦手だ。同様にお金をいただくことも。私なんぞが、私のやることなんて…自分で自分を否定しておけば、誰かに「そんなことないよ」と言ってもらえるから。それでいい(なんて捩じくれた…;;めんどくさ!)。
かれこれ3年、カウンセリングを受けている。最終段階に入ってきたけど、やはりこの「自分で自分を認めきれない」感じがどうにも残されていることが明らかになってきている。
自分で認めきれないない分を、ちょっとでも人に認めて欲しい。だけれども、それは自分発信ではいけないと自分で決めてしまっている。私のこれを見て!ではなくて、誰かが見つけてくれる形で、いいね!と言われて初めて満足できる…。
そういえば、かくれんぼが上手だったなあ、と思い返す。誰も探そうと思わないようなところに、わからないように隠れる。本当に誰にも見つからない。暗くなりかけてくると友達は一人二人と先に帰ってしまう。一番上手だったのに、誰にもわからない。誰もいなくなってから出てくる。ちっとも楽しくない。
お利口なかくれんぼ名人は置いていかれることがないように、少し程度を落とす。ちょっと探せばわかるところに身を置くようにする。そうすることによって、かくれんぼ名人はふつーの子になることができる。フツーに隠れればなんとなく見つかってかくれんぼは成立する。だけども、本当のところは「私はもっと上手に隠れられる」と知って欲しい。なのでそんなに楽しくない。
このブログのことを誰にも言わないでいることや、SNSの投稿もあまりしないこと、仕事の宣伝もやらないこと、などなどを、カウンセラーになぜ?と指摘された。やってみたいのに、やらない。だってそれはやったらいけないことだから…と自分の中の人が全力で止めているのを意識している。
「それは至極ふつーの自己顕示欲だとおもうけど」「それをやってしまうと何が起こると思うの?何が困る?」
いや、知っていますよ。別に何も起こりやしないことは。だけど…何も起こらないことがまた怖いんです。誰も私を認めてくれない事態があきらかになってしまうじゃないですか。ああ、本当に幻に怯えていただけなんだということを認めなくてはいけなくなってしまいます。満塁で逆転のチャンスに空振り三振!の恥ずかしさですよ。何も起きないことで傷つくのも怖い。
どうどうめぐりのアホらしさなのだということは、理解している。
かくれんぼをして自分はうまく隠れてられたと思っているのに(上手に隠れたね!といってもらえると期待しているのに)、ゲームはとっくに終わって、もう誰もいない、私がみつかっていない、ということを誰も気にしていないという事実が(そのくらいどうでもいい存在であるということが)明らかになってしまうのが嫌なのだ。
誰か見つけてくれないかな〜なんて思いながら隠れてたなんて、そんなこと明らかになったら恥ずかしくて生きていけない!あ、あれだわ、「山月記」…臆病な自尊心と尊大な羞恥心…自意識過剰な中二病のオバサンでさらにはずかしい、いや、またこうやって自分で自分にオチをつけようとする…。
もう何十年もこういう自分システムに苦しんでいるのだと思う。それでも最近はかなり和らいできているのだけど。
私を見て!というのはそんなにいけないことでも、恥ずかしいことでもない…と、どうにか納得したい。誰にでもあるフツーの自己顕示欲だ、うん、そうだ。
まずは…