殻を破れ!とはいうけれど…
脳傾向診断というのを受けた。大変面白かった。当たっているというか、ちゃんと分析できているなあ、と感心至極🎶
様々な分析を受けてなるほどなとおもったのだが、ざっくりいうと私は、「理論や計画性でじっくり」ではなく、「感情とカンでさっさと」という人間である。
ファシリテーターの方が一点、ちょっとびっくりした、とおっしゃっていたのは、まるっきり(理論ではなく)感情側が強いのに「情動アクティブ度がものすごく低い」ということだった。理論や合理性、規則ではなく、感情を主軸として生きている人はとうぜんのように、怒りや悲しみや喜びを外に出して表現する。しかしそれが通常よりも低いくらいだというのだ。
つまり、抑えている。怒りも悲しみも喜びも。外に出してはいけないものとして。
このnoteにも書いたことがあるような気がするけれど、私のなかには否定怪獣ダメダワアという強力なモンスターがいる。何にでもダメ出しをして、否定的な意見しか言わないこいつにはほとほと手を焼いていたのだが、最近自分を守ろうと必死になっている可愛いやじゃんと気づいたら、おとなしくなっている。
で、このダメダワアがやっていた大きな大きな仕事の一つが、この「感情は外に出さないようにする」「感情が大きく動く恐れのあるところには近づかない」ということだったと思う。
自分は「感情」というパワーに非常に大きく影響を受けるので、怒っている人、悲しんでいる人、嘆いている人、そうした人やものが写っている映像、みんな大変苦手である。ニュースやノンフィクションも嫌いだ。それでも、いたしかなく触れてしまったとき、大きく動こうとする自分の感情を全力で出すまいと止める。ずーっと長いことやっていきたので、もはやオートマチックで意識にも上がらなかった。
それでも、感情を動かすという人間としての作業をやりたい本能が、作りものとわかっている、安全を確保した上でのストーリー(小説、演劇、映画)愛の根源なのか!?とも思いガクゼンとしてもいる。
さて、このダメダワアの必死の抵抗が判明したワケだけれども、これはやめさせるべきだろうか、とファシリテーターと話し合いになった。殻を破って本音を、とか感情を表に、などというけれど、それってほんとに大丈夫?そうしちゃってどうにかなっちゃったらどうする??みたいなこと、考えちゃいますよね、って。
そうね、と思う。やっぱりこわいよね、と。
必死で堪えているのだということがわかった、時点で少し殻は破れている。此処が溢れる必要があるかどうかは流れに任せてみようかと思う。むりやりにこじあけることはないかな、と。
何年後かに、脳障害などでダメダワアストッパーが全壊してしまったら、あらゆる感情がダダ漏れになって、もう大人でもなければ人間でさえない状況になるかもしれないけど。しばらくは、此処に関してはヒビが入った殻くらいでいようかな。
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