なんでか急に、死について考える
お盆だったから??なぜか、死ぬってことについて考えてしまった。
今年初め、親友が亡くなった。まず、信じられず、それから怒りを感じた。なぜ、どうして!? おかしいでしょう?いろいろやるはずだったよね?ズルくない??いつもそうやって勝手にさあ…散々悪行雑言を叩いてから、やっと悲しくなった。ああ、死んじゃったんだ。もう会えないんだね。しばらく会ってなかった。どうして無理矢理にでも会いに行かなかったんだろう。後悔。そして家族を残して逝ったことへの憐れみ。辛いだろうなあ。…新盆だった。家族にお線香でもと思いながら、送れなかった。まだ本当には認めていないのかもしれない。卒業旅行で行きそこなったイタリアに(湾岸戦争で海外旅行は控えたんだった)六十歳記念で行くんだよね〜。ぜったい!
コロナになった。もう数ヶ月前だけど。今問題になっている自宅待機で一人(と、うさぎ)というのを5日くらい(家族二人は先に入院してたからね)。その後私も入院が決まって、医者に最初に尋ねられたのは「呼吸困難になったとき、人工呼吸器の挿管はどうしますか?ご本人の意思を先に確認しておきたくて」うわあ!そうか、気管切開ってやつにどういするかってことね。そのまま生きていたとしても喉に繋がった管は外せないあれだ。そうか、死ぬかもなんだなあ、うーん、でも管に繋がったままおしゃべりもできないなら、わたしが生きてる意味ってあるんだろうか…ほんの数秒であったと思うけれど、自分の死について初めて実感をともなって考えた。
自分の寿命がわかるってどんなもんだろう。想像するしかないのだが。
「死ぬ瞬間」の著者、エリザベス・キューブラー・ロスが死にゆく人の心理の変化を、5段階で捉えている。
1.否認と孤立 自分の命が長くないことに衝撃を受け、その事実を感情的に否認したり、その事実から逃避しようとしている段階。周囲の認識や態度にギャップが生じるため、孤立しがちになる。2.怒り 死ぬという事実は認識したが、一方で、「ではなぜ、自分がこのような境遇になってしまうのか」といった思いが強く、周囲に反発したり、怒りがこみあげてきたりする。3.取り引き 死をもう少し先延ばしできないか、あるいは、奇跡が起こって死を回避できないかと考えて、神仏にすがったり、善行を行ったりする。4.抑うつ 死を避けられないことが分かり、あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ、絶望といった気持ちが支配して、落ち込む。5.受容 死を誰にでも訪れる自然なものとして受け入れるようになる。これまでの価値観や視野とは異なる次元があることを理解し、心静かに暮らす。
これ、死を迎える人にとっての5段階だけど、たぶん、死に向き合う(家族や大切な人の死を体験した)人の心の動きでもあるかな、って思うな。
死を宣告されたとして「心静かに暮らす」そこまでたどり着けるだろうか、わたし。なんか、ばたばたわちゃわちゃもがきそうだけどな、私は。もしくはなげやりになってただぼわーんとして、ゲームでもして遊び呆けるかもな。いや、なんか、見栄っ張りが発動されて、「心穏やかに」を全力で演じるかもしれないなあ。
急になんでこんなこと書いたんだろう??最近時々思うからかなあ。いつまでこの機能で人間やってられるかわからんもんな〜って。いっぱい遊んでいっぱい喋っていっぱい楽しんで、ちょっとは人の役にも立っておかないと。
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