無関心でいるより憎む方が簡単なので…
「愛する」の反対は「憎む」ではなくて「無関心」であるらしい。
苦しいことがあったり、理不尽な目にあったりした時、
それを忘れて「無関心」になることよりも
忘れないで「憎み続ける」ことのほうが容易くてラクなのだという。
忘れようとする努力というのは難しい。
辛く苦しかったことが何かのきっかけで不意に蘇ってくることはあるし
深い傷は痛み続けるものだ。
消してしまおう、感じないようにしようという努力がなおさら、悔しさや悲しさを思い出させて上書きしていくことは、めずらしくない。
なのであれば、ということなのだろうか。
憎み続けよう、忘れないでいよう、という努力をする人もいる。
繰り返し、繰り返し、辛い思い出や悔しい思いを味わい直して憎しみを強化し続ける人々がいる。
その人たちは「無関心」な人たちや「無関心」になっていきそうな自分自身と戦っている。
ん?
不思議なことになる。
無関心であろうとする努力をすると、無関心ではいられず
無関心になるまいとする努力をするひとのほうには、無関心がおそってくる
ふうん…まあ、そうだね。
「努力をする」って「愛」があるからやるんことだもんな
ああ、ほんとだ。
「愛」の反対は「無関心」だ。